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ゲームに明け暮れた引きこもり生活(フリーター編#2)

こんにちは。実質多浪の社会人ロクです。
多浪受験前のフリーター時代のエピソードです。

前回の話はこちら。


高校卒業後、進路というレールから外れる

無気力な高校生活を過ごし、やる気のないまま大学を受験。当然のことながら不合格…。

高校卒業後、進路を失いました。

高校を卒業してから最初の1ヵ月間

高校卒業後、次の進路のレールから外れてしまいましたが…すがすがしい気分でいました。

「これで何も気にせず、毎日ゲームができる!」

恥ずかしい話ですが、当時そう考えていました。はっきり覚えています。

小学校、中学校、高校…と過ごす中で、「勉強しろ!」と親や先生から言われ続けていましたが、もう勉強する必要もありません。

「もう何も縛られることはない」と、本気でそう思っていました。

高校卒業をした後の4月。

私は朝から晩まで、毎日毎日テレビゲームに明け暮れました。

高校卒業後、2ヵ月目の異変…

家から出ずに、ひたすらゲームをする毎日。
当時はまさに、インターネットの黎明期。

それまでパソコンと電話回線をつなげるダイヤルアップ回線でのインターネット接続が主流でしたが、ISDN・ADSLという高速回線が登場。

テレビゲームがインターネットとつながり、全世界のプレイヤーとゲームをプレイできるようになりました。

ネットゲームというものは、ドラクエなどのオフラインゲームと異なり、終わり(いわゆる全クリ)がありません。

私のテレビゲームの夢中っぷりはエスカレートし、生活リズムは完全に狂いました。

深夜までゲームをプレイし、朝5時に就寝。夕方5時に目覚め、ゲームを繰り返す…

ゲーム廃人同然でした。

もはや、ひきこもりに近い状態になっていました。

このような自堕落な生活を2ヵ月間続けたにもかかわらず、両親は何も言ってきませんでした。

ゲーム廃人になった私の姿に、両親はどう対処したら良いのか分からなかったのだと思います。

高校時代、ゲームに夢中だったと言っても、ここまでのレベルではありませんでした。

両親から見れば、私は何を考えているのか分からない異様な姿に見えたのだと思います。

何か言えば、私が極端な行動を起こすのでは…と思っていたのかもしれません。

両親の心配はいかほどだったのか…。
(子の親になった今だからこそ分かります。親不孝ものでした。)

両親の心配をよそに、私はただただネットゲームに没頭するばかりでした。

ひきこもり生活3ヵ月目の変化

3ヵ月目になり、大きな変化が訪れました。

中学時代、とても仲の良かった友人2人と会う機会があり、久しぶりに外に出ることになりました。

高校を卒業してまだ2ヵ月ではありましたが、二人は驚くほど変化していました。

一人は大学生、もう一人は専門学生です。

外見は垢抜け、内面も自信に満ち溢れていました。私が知る二人とは全く別人に見えました。

二人があまりにまぶしく、直視もできませんでした。

3人で会話したのは、それぞれの近況です。

二人からは、「学校生活のこと、毎日がとにかく楽しいこと」。とても前向きな近況です。

話を聞くたびに、自分がどんどん惨めに思えてきました。

「ロクは最近どうなの?」と聞かれると、
「ひきこもってゲームやってるよ~(笑)」と…。

明るく振る舞って自虐するのが関の山。外面の明るさとは対照的に、私の心の中は暗かったのです。

ひきこもり生活4ヵ月目の決意

高校卒業後4ヶ月目。
友人との再会をきっかけに、私はある決意をしました。

「ネットゲームをやめる!」

持っていたゲームソフトやゲーム機を全て売却することにしました。

未練はありましたが…思い切って手離すことにしました。

当時、私が夢中になっていたネット系RPGは数百時間はプレイしたのではないでしょうか。

心血を注いだプレイヤーデータを消去した時は、何とも言えない寂しさのようなものがありました。

しかし、高校を卒業した後とは違った、気持ちの良いすがすがしさもありました。

そして次に私が行動したことは、働き口を見つけることでした。

友人二人が学生なのであれば、「自分は働いて差をつけよう!」と思っていました。

昔から負けず嫌いだったため、「友人二人には負けたくない!」とも思っていました。

そして、4ヵ月目から就職先を探すことになります。

世間知らずだった私は、仕事なんて簡単に見つかるだろうと軽く考えていました。

自分が考えるよりずっと、社会は厳しいことを知らなかったのです。

この後、その厳しさを身を持って知ることになります。

その③に続く。

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