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翔太の「活動を続けていく原動力」とは

みなさん、こんにちは。翔太です。
初めて翔太の記事を見てくれた人は、初めまして。
引き続き見にきてくれた人は、お帰りなさい😊
もうすっかり翔太のファンですね笑

今日は、5月から「翔太」としての活動をし始めて2ヶ月が経ちましたが、未だかつてなく気力失うことなく活動できている翔太の原動力について話していこうと思います。結論から言うと、ズバリ「反骨心」じゃないかなって思います。自分はもともと幼い頃から”それ”を持っていて、常に「周りからバカにされたくない」とか「先輩後輩関係なく対等の立場で話したい」と言う思いを常に持っていました。こういうことを言うと文章を正面からしか捉えられない人から反感を食らうので、あえて誤解ないように例外を言わせてもらうと、例えば会社でいうと、「雇う側(社長、オーナー、会長)」と「雇われる側(社員)」では全く立場が違います。責任の重さが違いますから。自分は、ここでいう「雇われる側」の中で「早く就職したから自分はその仕事ができる」とか「年齢が上だから尊敬しろ」とかいうしょうもない理由でまだ仕事が満足にできない人に対して高圧的威圧的な態度をとる人間のレベルが低い人のことを言っています。じゃあ、そんなこと言う翔太はレベルが高いのかって言われたら自分が答えるのは「自分の世界ではそう言われています」ですね。だってそれは自分の美学だから。これを読んでいる皆さんは翔太の文章を読んでいる間は自分の美学に従ってくださいね。それができないんだったらさようなら。
だから、話を戻すと部活とかで先輩から「上の先輩から教えてもらえるのを当たり前だと思うな」とか偉そうな口を叩かれると「はあ?そういうお前も上の先輩から教えてもらったんだろ。まだ未熟な人を教えてあげるのが先輩の役目だろ。」って心の中でずっと思ってました。その先輩としての役目を果たせない人はそこにいる価値なしだと思っています。だって、それを言う人の代わりなんぞ誰だってできるから。多分、何ヶ月か何年もすれば自分もその代わりになれます。できるかできないかなんて、自転車早く乗れたか乗れなかったかぐらいどうでもいい。だから、自分も教える立場になった時には自分が偉い立場にいるとか思ったことはないし、自分が先輩からそうしてもらったようにまだできない人にもそのスタイルを貫いてきました。
ここで、少し話はそれますが、翔太の先輩に言われたらマジでブチギレるランキング第1位を発表します。それは、「前にもそれ言ったよね」。これ言うやつにはマジで可愛くいって『お尻ペンペンの刑』ですね。これは、言われる側の普段の状態にもよりますが、一生懸命覚えようとしている「真面目な人」に向けて、例え「もっと頑張れよ」って意味を込めて言ったとしてもナンセンスだと思います。この言葉は本当にダメだっていることがしっかり証明されていて、自分の子供にこの言葉をかけ続けるとその子は「自分は何度言われてもできないダメな子なんだ」ってネガティブになってどんどん心を閉ざしていくようになるんです。挑戦もしなくなります。嘘じゃないですよ?本当です。だから、自分が本当にその人のことを思っているのなら自分の怒りたい気持ちは我慢して「どうやったらその人が覚えてくれるのか」を考えるべきです。メモを取らせたり、仕事が終わったら毎日今日やったことのまとめをメールやLINEで送ってもらう習慣をつけるとか。やり方はたくさんあります。
あ〜、また話が脱線してしまいましたが、自分は今言ったようにそういう人間です。でも、一回、自分でも考えてみたんですよ。仕事が現在できていない人に対して上の人が偉そうに人間の頂点になったようなおつもりで高圧的な態度をとるのかについて。そうしたら、少し心地が良かったですよね。それを言っている間だけは、自分が優越感に浸っていられるというか、自分の立場が確立されているような、自分はここにいる意味があるんだって錯覚できました。でも、現在下に見ている人が時間が経って仕事ができるようになったらどうするんだろうかってことも考えたんですけど、多分、自分だったら、めっちゃその人に対して今度は下から接するか、自分の惨めさを感じたくないからそもそも距離を置いて自分と同じ考えを持った人とつるむか、新たに入った新人さんを怒ることでまた自分の立場を確立しようと考えると思います。と言うことは、自分がそうされたら成長できているという証ですね。

でも、これを書いたところで自分の思い通りにならないのがこの世の中。今までだってそうでした。言ったところで変わらない。皆さんも思い出してください。先輩から仕事ができずに「まあ、翔太だからな。」って言われたり、言われなくてもそう言う態度を取られたり。自分は変態なんで、そういうの養分にできちゃうんですよね。いや、正確に言わせてもらうと養分にしていくしかない、ですかね。自分が言わなくても多くのインフルエンサーが言っていることですけど、新しいこと始めたら絶対周りの人は反対してくるかバカにしてきます。仕事においても新しいことに足を突っ込むと、仕事がまだ手につかないで間はできる人に「なんでできないの?」って言われます。もうそれは100%言われますね。自分は「翔太」になった時に友達に表上では「応援してるよ。」って言われたけど、いざやり始めてみると裏では友達と一緒に話のネタにされて笑われたりされました。自分がまだ売れてないから余計に腹が立つんですよ。もし、もうすでに売れていたら、自分が好きなことで生きていけてないから妬んでいるんだなとか言って流せるけど、悔しいけど今はそのバカにしてくる人の言っている通り。でも、それでいい。それを言われているということは、自分は確実に他の人が歩んでいるレールの上から外れて、自分が先頭のレールに車線変更できたって言うことだから。自分のやりたい理想の姿は他の人が歩んでいるレールの上には絶対100%ないんでしょ?
なんか、文章書いていたら名言みたいなかっこいい文章できたけど、自分はこうやって周りで起きたことを自分で変換して納得することで自分を鼓舞しています。特に自分が悔しい経験をした時はそうしています。自分はそれをしているから周りの人からどう言われようが、前を向くことができます。
だから、ここまで読んでくださった方にはあることを持ち帰ってもらいたい。この世の中の出来事全て正面から捉えるな。自分の都合のいいように角度を変えてみてほしい。「角度を変えても、友達が自分をバカにしてくる事実は変わらないじゃないか」って言ってくる人がいるかもしれないけど、自分から言わせればそんな友達切っちゃえって思う。「絶交しよ。」って言わなくても、自分から距離を開ければ勝手に離れていくし、その友達が離れた分、空いた席にはまた新しい人が座ってくれるから。
知ってる?人間の悩みの8割以上は人間関係の悩みなんだって。その悩み、少しでも解消できたらその空いた分、自分の好きなこと考えて生きていけます。自分が今頼りにしてる友達も、もし自分が何かで失敗したら「翔太が可哀想だから」って全て肩代わりしてくれますか。そんなことないですよね。「いや、借金したら友達はお金を貸してくれます。」
その通り!お金は貸してくれるかもしれません。でも、その問題を解決しなくてはいけないのは自分ですよね。だから、自分は今のメンタルが壊れて全てを投げ出さないように自分の都合のいい世界で生きています。物事の変換は自分の賢さだと信じています。
今日はなんか文章を書いていて、ついつい熱くなってしまいました。その分、結構きつい言葉使いになってしまったかもしれません。不快な思いにさせてしまったら申し訳ないです。

今日も翔太の書いた文章を読んでくれてありがとう。ここまで読んでくれたあなたはもう翔太のファンですね笑😉プラフィールから飛べるので、Instagram、Facebook、X(Twitter)、TikTok、そしてnoteフォローしてくれると翔太の励みになります。       

それではまた別のSNSで会えるの楽しみにしてます😌


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