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金木犀の香りがわからない大人たちへ

「金木犀の香りがわからない。」
「金木犀の香りを知らないまま大人になってしまった。」

Twitterでみかけたこの言葉に秋の訪れを感じてみたりして、自分の知ってるキンモクセイの香りを思い起こしてみる。

ほのかに記憶するその香りは
小学校の通学路で鼻をかすめたときの香りで、
自分よりもずっと背の高いブロック塀を見上げたときの香りだ。

「変なにおいがする」

小学生の僕にとってその香りは表現も、例えることもできなくて、通学路に時おり香る「変なにおい」で毎年片付けられていた。

何日もたたないうちに雨にうたれたり風に吹かれたりして、さっさと散っていく短い記憶だけど、それでも僕の記憶には確かにあって、僕はキンモクセイの香りを記憶にもっている。


だからこそ…なのか
キンモクセイの香りってわからない(笑)

小学生の頃から変わらず
記憶にはあっても人に伝えられもしなければ、twitterで教えてあげたりもできない。

思いだしてるようで、自分でも疑ってかかれるほど印象深くはない記憶で参りそうになる。

でも、キンモクセイの香りってそんなものだと思ってる。


本をたくさん読むわけじゃないから偉そうなことは言えないけど、キンモクセイの香りを「〇〇な香りだ」って人に伝えてる文章を僕は知らなくて、僕の好きな歌にはいつも曖昧に表現されている。

赤黄色の金木犀の香りがして、たまらなくなって何故か無駄に胸が 騒いでしまう 帰り道

赤黄色の金木犀/フジファブリック 詞:志村正彦

だいたい夜はちょっと感傷的になって金木犀の香りを辿る

金木犀の夜/きのこ帝国 詞:佐藤千亜妃

やっぱり金木犀の香りってアーティストでもわかってなくて、
それぞれが動かされたり、浸ったりする誰にも縛られていない香りなんだろう。自由で、曖昧で、人と共有したくなるほど、わからない。

キンモクセイの香りがわからない大人たちへ
たぶん、僕らはわからないから、正常だ。


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