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【HSS/HSP】血の繋がりよりも友達といる方が落ち着ける


家族から
どう見られるか、どう思われているかが
すごく気になってしまう。


もちろん、家族以外の人から
どう思われているか、どう見られているかも
気になるんだけど…


他人からどう思われてるか、強く気になってしまう。
それ以上に
家族からどう思われてるか、強く気になってしまう。


他の記事に書いたけど
私は『家』という存在が苦手。


家族の目を気にしてしまうというのは
家が苦手な理由の一つなんだろう。


小さい頃から
姉に負けてはいけないという意識
があって
学生時代は
毎日のように塾に行く従兄弟に負けてはいけないというプレッシャー
があった。


こんなことを言ったら、家族から
『そんな事していない』
という言葉が返ってくるだろうけど
でも、私は小さい頃から
家でずっと”他人との比較”を感じてきた。


親戚の中で、一番できる子だって思われたいとか、
自慢の娘でありたいとか、
いつの間にか、そんな気持ちが強く根付いて
自分と他人と比較をする行為を、
自分を苦しめる行為を、
私が自分にやってしまっていた。


他人との比較を
周りからされて嫌だったのに
自分も知らないうちにやっていた。


他人との比較は一番苦しいことなのに
私の一番強い、個性・性格になってしまった。


それでも、どれだけ苦しくてもやめられない。


比較されることよりも
その結果
誰かに負けていることの方が嫌だった。
その結果を目の当たりにする方が苦しかった。
その後、家族の顔を見るが辛かった。


『がっかりした?』
『ダメな子だと思われた?』
『お姉ちゃんの方ができる子だと思った?』
『従兄弟みたいに毎日塾行けていれば、もっとできたのにって思った?』
『これ失敗したら、永遠と言われる…?』


こんなことをずっと考えてきた。

そして、こんな気持ちのままいると


・家族に自分のことを話さない秘密の多い子になる
・何も話さないので、家の中で若干アウェー・孤独になる
・家族以外の人に対しても、秘密主義になる



辛かった。
自分のことを話せば、顔色が気になって辛いけど
話さずにいれば、秘密主義人間として扱われ
家族や友達から、心の距離を感じてしまう。
(HSP笑)


でも、最近になって発覚したHSSの気質はごまかせず。



公務員
安定


こんな言葉を子守唄のように聞かされていたにもかかわらず
私は今、この言葉とは無縁の場所にいる。


HSSの気質に従って生きるしか選択肢がない。
HSPも持っているので、他人の顔色は気になって仕方ない
深く傷つき、苦しんでしまうこともあるけれど


それでも、
みんなができること、
私にはできないことがかなり多いから。


『考えが甘ったれている』
『みんなと同じことができないってやる気がないだけで、
みんな我慢している』とか、
言われることもあるだろうけど、どうでもいい。


みんなはみんな。
我慢できるなら、したいなら、すればいい。


私は
自分を我慢せず、生きていく。


自分らしく生きていく。
そこについてくる不安や恐怖は
みんなと同じことをする苦痛や圧迫感、違和感に比べれば、なんてことない。




悪気は一切ないと思うし
みんな優しい家族だけど


でも、
何気ない言葉でも、
ずっと同じことを言われ続けたら
幼い心に植え付けられるし
そのまま大人になるし
やめようと思ってもやめられない個性になってしまうことがある。


その結果、今の私ができた。


それでも
本当の私も嘘をつけず、顔を出す。

好奇心旺盛とか
衝動的に行動してしまうとか、
矛盾した性格とか。


最終的に
他人と自分は全然違うと自分でも認識できた。


”たった一人の自分”に気づけた。


比較を感じて生きてきたこれまでの人生に
『ありがとう』は言えないけど
『お陰様で』は言えそう
かな。



他人と違うから
私には価値がある。


逆に
私は、自分らしくいないといけない人間。
私は、自分らしくでないと生きていられない人間。



これ読んでいる人も
みんなと同じことができなくて苦しい人も
そうじゃない人も
みんなそう。



みんな、自分らしくが一番良い。








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