脱・三日坊主

多分今日で三日目になりますでしょうか、noteに書き連ねようと思います。

というのも私飽きっぽく、怠け者でひとり七つの大罪である以上何かしらのモチベーションがないとものを続けられないという性質ですので毎日一回は何かを書こうと思っているのです。
よく三日坊主といいますが、三日続けば大したものじゃないかと思うくらいには怠惰です。

物事は三日でわかるのか?

さて、三日坊主と馬鹿にされ、石の上にも三年と励まされとにかく私は今までいろんなことを長く続けなさいという風潮の中を揺蕩ってきたのですが、果たしてそれは本当なのか?続ければ何かが見えるのか?という疑問もうっすらと感じているのです。

この世に生まれ落ち成人するまでの間、義務教育の中で6年と3年、そして多くの人はそのあとも高等教育として3年、そして今や半数を超えるであろう学生が4年のモラトリアムと更なる学びを求めて大学生、さあ次は就職して長い人生まだまだ序盤となるわけですが、その中で何度『続けてみなさい』と言われたか覚えていますか?

もちろん学ぶために学校に通っている以上は『続けなさい』と言われずとも勉強して当然だとは思います。ですがそれ以外の部分で言われたこと結構ありませんか?

私の中学校では部活に入ることが伝統なのか何か知りませんが絶対でした。
これが嫌で嫌で仕方がなかった。仕方なく消去法で選んだせいか、生来の断裂している運動神経のせいか、それとも威張り散らす先輩のせいか毎日の放課後が憂鬱でした。
学校と勉強は好きだったので毎日通学はしていましたが、部活は模範的な生徒ではなかったかなと思えます。

ある日、学校の先生に『強制なのは何故なのか、嫌で仕方がないので帰宅部になりたい、自分の時間が欲しい』と相談したのですが、返ってきた言葉が

『将来何かに役立つから(部活は)続けなさい』

さて、学生としては模範的であった私は『まあ世の中そんなものなのか』と少しの失望と理不尽を感じつつ、何とか部活を続けて卒業を迎えはや十ウン年。

正直何の役に立ったのかわかりません。

協調性や団結力、チームワークなどもちろん学ぶところはあっただろうとお思いの方はいらっしゃるでしょうが、それは強制されたチームじゃなくても良いのではないか?と思うのです。

社会には嫌なことを我慢しなければならない時があるのだという負の側面のみ刻まれた感じです。

私の体験談として中学校の部活を例にあげました。これを読んでくださっている方にとっては親から強制された習い事だったり、付き合いでのゴルフだったり、あるいは自分の肌に合わない会社だったりすると思います。

『続ける』のではなく『続けさせられる』のは体に悪い

ある程度の理不尽を中学で学び、昔から映画の吹き替えなどに憧れていたこともあり高校では放送部に入り、朗読を始めました。

これは私の人生の中でもっとも輝き眩しかったときです。

自分で本を選び、どうやったら聞きやすいだろうかと工夫しながら、同じ目標へ向かう友人と一緒に本を読んだあの放課後の夕日は、あれほど早く落ちてくれと願っていた中学の頃の夕日とは違ってあっという間に暮れていきました。

地元の朗読の大会やNHKの大会ではそれなりに上位に入り、今でもその光景を夢に見るほど焼き付いた3年間でした。


さて、そのあと私はふらふらと大学へ進学し、映画やドラマが好きだったので映像系の仕事に就くことになりました。

結論から言えばその会社にいた数年は『続けなさい』の時期でした。

作りたいものを作れない、自分の意見を述べても前例がないと突っぱねられる、もちろんその道を長くやってきた人の意見ですので尊重し、続けた仕事でしたが。

『先輩はいつ自分の作りたい映像を作らせてもらえましたか?』

『うん、とりあえず今は上司の言うこと聞いて作り続けなさい』

朝早くから深夜遅くまで、自分が視聴者に届けたいものはこれなのか?と悩みながら番組やCMを上司の言われるがまま作り続けたある日、プツっと私の中で何かが切れたのか、それともボキっと折れたのか知りません。

『このままだとあれだけ好きだった映画やテレビが嫌いになってしまう』

そんな考えが浮かんだその次の日、私は引継ぎの準備を初めて退職届を出しました。

そうしてそのままふらふらと現在に至るのです。

正直ダメ人間の戯言だとは思いますが、何かを続けるということに関しての私の教訓は

『好きなら続くが、続けさせられるとしんどい』

この何の役にも立ちそうにない言葉を残し、noteは4日目へと続けていこうと思います。

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