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885.私の夢はね、私がね、有名になったら、兄弟や父や母が訪ねてくるかもしれないわ。

My dream is that if I become famous, my brothers, father, and mother may come to visit me.

【お馬鹿なcoucouさんの逆さま論64】


©NPО japan copyright association Hiroaki

1.27番目の100の心の言葉.27th 100 heart


もし、
if,

困難に、
difficult,

直面したら、
When faced with

それに、
in addition,

逆らっちゃあ、
Go against me,

いけないんだよ。
You can't.


苦しくなったら、
When it gets hard,

それに、
in addition,

逆らっちゃう、
I'm going against it,

必要はないんだよ。
There's no need.

悲しくったってね、
You said you were sad,

辛くったって、同じ。
Even if it's painful, it's the same thing.


それを、
That,

認めていたとしても、
Even if you admit it,


何にも、
nothing,

囚われないで、
Don't get caught,

離れても、
Even if we leave,

逃げ出してもいい。
You can run away.

受けて立たなくったっていい。
It's okay if you don't accept it.


一瞬にね、
In an instant,

背を向けて、
Turn your back,

走り去ったっていい。
It's okay to run away.


だけどね、
But,

その、
the,

困難に、
difficult,

感謝してやるんだ。
I'll thank you.


ただし、
however,

その、
the,

困難や、
Difficulties and

苦しさをね、
The pain,

嫌っちゃあいけないよ。
You can't hate it.

負けちゃったって、
Even though I lost,

いいんだ。
it's alright.

勝てなくったって、
Even though I couldn't win,

いいのさ。
It's okay.


だってね、
Because,

困難や、
Difficulties and

苦しさ、
pain,

辛さって、
It's painful,

それはね、
That's right,

自分を、
myself,

守ってくれている、
It protects me,

神さまみたいなもんだもの。
It's like God.


Ⓒお馬鹿なoucouさんの逆さま論
ⒸStupid oucou's upside-down theory
27番目の100の心の言葉.
27th 100 heart


©NPО japan copyright association Hiroaki

2.否定されるって素晴らしいIt's great to be rejected


否定される。
世の中って、何でも否定、否定~
仕事場の上司だって、同僚だって、上司のそのまた上司だって、人を否定する。何か、新しいことなどの意見なんて特に否定されてしまう。
友だち同士も同じ、「それは、違うよ~」「違うんだよ~」「そうじゃあない~」と、望んだ通りの答えじゃあないとすぐさま否定される。

夫婦だって、親子だって、否定し合う。恋人や好きな人にも、「そうじゃあないんだよ~」と言われてしまう。中でも酷いのはお互いがいつも否定し合い、なかなか次に進めない場合もある。

なにこれ?
珍百景~

小さな子どもたちが、嬉しそうにお母さんに見せたくて作ったものがある。だけど、手や洋服が汚れてしまった。
すると、せっかく見せようとしたものを見る前から、否定されて汚した洋服のことで叱られる。

これだって、否定だよね。
旦那さんが、もらった花を妻に渡そうとして、持ち帰り、よれっとした花を見て、「なにこれ~よれよれだわ...」なんて、文句を言われてしまう。旦那さんは、何か悲しそう…。

戦争や、争いだって、国同士だって、利害が一致しなければ否定し合う。そして、争いにまで発展する。喧嘩だって、言い合いだってそうだよね。否定し合うから喧嘩するんだよね。

もう、そこいら中、否定の花が咲き誇る、美しすぎる世の中のように思えるね。

そう、この人間社会から、人を否定し合うことなんてなくなることができないんじゃあないかと、最近、coucouさんは思い始めたんだ。

だからね、
もう、少しばかり、諦めて、この否定さんを逆さまに受け取ることにしたんだ。別に否定する人のことを認めたわけじゃあないよ、認めたりしないからね。ただ、自分だけは人を頭ごなしに否定しないようにするようにしている。

考えて見たら、coucouさんも子どもの頃から否定ばかりされてきた気がする。何かをやろうとしたとき、新しいことを伝えるとき、意外と猛反対される。別に、あくまでも自分の考えや、ただ意見なのだから、気に入らなければ取り入れなければいいことなのに、相手にムキになられたり、否定の渦となる。

だけどね、これじゃあ誰も素直に意見なんて言えないよね。
だって、伝わるのは、その相手の良いことだけしか受け入れられなくなっちゃうんだもの。

だからね、coucouさんは否定されると逆さまになるんだ。

そう、否定されればされるほど、エンジンは全開、アドレナリンは満タン~そう、燃え始めて、点火する。
だからと言って、別に争うことじゃあない。すぐに意見を引っ込めて意見を言わないようにしている。だけど、燃える~

否定されるって、燃えるんだよね~
そのエネルギーを違う部分で爆発させるんだ。その場所はね、否定しない、理解してくれる人たちのところでパワーを全開させるんだ。
そこで、上手く行く、喜ばれればいいんだもの。

だから、思う~
否定されるって、素晴らしい~
coucouさんは否定し合わない世界で生きようと思うんだもの。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.結果なんていらないんだよI don't need results

世の中って、なんでも、結果、結果、結果第一主義だよね。
結果が悪ければすべて駄目。もちろん、結果は大切なことだけれど、結果ばかり追い求め続けている人って、心に余裕がない人ばかりだよね。これが上司だったら、そのチームは結果疲れになって、良い結果など生まれない気がする。
これが仕事以外だって、おんなじ、みんな結果を求める。
結果ってね、目標じゃあないんだよね。

お金が絡むものは止む得ないことかも知れないけれど、結果主義ってもうすでに疲弊している気がする。

みんな精一杯に全力で真面目に仕事だってしているのに、人は増やさず、賃金も上がらず、仕事量だけが増え続けるブラック企業ばかり。

賃金の値上げを国が求めたって、そんなものは大企業の儲けているところだけ。個人事業主や小さな会社のほとんどはブラック化し続ける。

これはね、
結果第一主義が生み出した社会現象の一つだよね。
だからね、結果なんてあとでいい、
大切なのは、人間第一主義になる。人を、働きさんたちを優先に大切にする、働きやすくする環境、仕事のカイゼンが優先だよね。

するとね、結果がついてくる~
素晴らしい結果が起こる~

こんなことをcoucouさんは講演会でいい続けているから否定する人が多い。
でもね、否定する人たちをね、coucouさんは否定してあげるんだ。だってね、人に優しくないおつきあい、仕事、会社や取引先って、逆に時代遅れの産物でこれから滅んでいくんだもの。

だから、結果第一主義が目標でなくて、
人間第一主義が結果を出してくれている、ってことを伝え続けている。

みんな、結果なんていらないんだよ~
結果は、あとのこと、後伸ばししてみようよ~
その方がこの人間社会は明るくなるかもしれないからね~


©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

世の中、逆さまになって見てごらん、
何か、ちがうものが見えるかもしれないよ~


この言葉はね、「昭和のこどもたち」の石井美千子さんがcoucouさんのYESの会に参加して、二人で考えた新しい生き方のキーワードだった。まさか、このnoteでこの言葉が再登場するとは、自分でも驚いている。


©NPО japan copyright association Hiroaki

追悼:「昭和のこどもたち」後編


前編でもお話したけれど、彼女はcoucouさんの本を読んでくれて、出版社に連絡してcoucouさんの連絡先を知った。
それがきっかけで、出版の助言をしたり、イベントの相談にものるようになっていった。何よりも、同時代、昭和30年代をともに生きて来た戦友のように感じたからだ。それに、一冊の本の発行でいろんな人たちと出合うよろこびに浸っていた頃だった。
もう、出会ってから20年を超えたかも知れない。お互いが40歳代、coucouさんがすべてを失った時代の新しい出会いの人たち。その自伝的なcoucouさんの本を読んでくれて、共感して会いに来てくれた。また、形は違うけれど互いの運命があまりにも似ていたせいかもしれない。

【石井美千子プロフィール】再録

その後も、全国各地で『昭和のこどもたち』展を開催。昭和30年代のブームのきっかけにもなる。

同年、『昭和のこどもたち』写真パネルの制作にも入り、販売・巡回展示などを開始。
現在、『昭和のこどもたち』展は全国各地で開催されており、その動員数は150万人以上にもなる。


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彼女には親がいない。
生まれて間もなく、養護施設で育てられた。だから、彼女の親や兄弟姉妹はみんなこの養護施設の人たち。

coucouさんに話してくれた言葉をnoteで紹介~
彼女の作品の意味が少し伝わるかもしれない。


「coucouさん、わかるかなあ。親がいないってね、信じられないことだけれど、親ってこと、父や母のイメージがないのよね。生まれたときからいないから、それが自然、それが当たり前だと思って生きて来たから、寂しいって気持ちがよくわからないのよね..」

「でもね、養護施設から社会に出て、ああ、親ってこんな人のことをいうんだ、って初めて知ったわ。だからね、自分がいつか、親になるなんて考えたこともない。親は施設長さんだし、兄弟姉妹は施設仲間なのよ」

「でも、父や母のことを考えたことないったら嘘よね。いつも考えていた気がする。いつの日か、私があなたの母よ、って名乗り上げてくれるかも知れないし、いつか会えるような気がするの…」

そして、1971年に東京に単身で上京し26歳で学研(学習研究社)で働く。
coucouさんは、ひと足先に1964年に学研でデビューする。そのご、様々な出版社関係をかけもちで動き、彼女とはスライドしなかった。
この学研は、小学生、中学生、高校生対象の教育雑誌だった。子どもが好きだった彼女らしい。

1973年に、28歳で働きながらデザイン学校をお金をためて入学、グラフィクデザインを学ぶ。coucouさんは同じ、デザイン学校で、時期が違うためスライドしていない。

1977年、32歳で結婚。
「私は、父も母もいなかったから、自分の子どもにどうしたらいいのかわからなかったのよ~どうしたら、いいのか、どう接したらいいのか...。図書館の本で勉強したの…」

同時に、子どもを育てながら夫の義祖母の介護生活を送る。
「coucouさんね、私にね、父や母ができたのよ。それでね、介護の世界で生きようと勉強し続けたの。でもね、祖父母を失い、働きすぎたのか結核となって、子育ても満足にできないまま闘病生活となっちゃったの..」と、1983年に長女が生れ、二人の子どもを抱えたままの入院生活を送る。そのことを無念に思いながら、それでも明るく話す。

1987年、42歳で闘病生活から社会復帰する、そして、桐塑人形作りの基礎勉強を始めた。

そして、48歳で1993年、1995年と初めての「昭和のこどもたち」の個展を開いた。この当時、coucouさと彼女は出会うことになった。今から28年前のことだった。

2000年、江戸博物館で全国に名前が知られるようになった。本当のデビューは50歳代かもしれない。coucouさんと彼女はフジコのファン。お互いのCDを貸し合ったりしていた。そして、coucouさんの会に参加し、みどりの日が「昭和の日」となり、昭和天皇、大正天皇の眠るこの街で、時の総理大臣、国会議員も参列して「昭和の日制定記念」と題して、coucouさんたちのイベントとコラボして「昭和のこどもたち」の人形たちとともにイベントを開催した。

「coucouさんね、私の『昭和のこどもたち』に出てくる登場人物はね、たくさんの私の兄弟姉妹たち、祖父母たち、父や母のイメージを人形に託しているのよ。もしかすると、私の母はこんな人かも、父はこんな感じ、兄弟たちもどこにいるのかわからないけれど、こんな感じ。そしてね、私の子どもたちがここにいるのよ。もしかすると、私が有名になったら、兄弟や父や母が訪ねてくるかもしれないわ。だから日本全国でこの『昭和のこどもたち』の個展を開き続けているの。だから、養護施設のこともプロフィールにわざと入れているのよ…」

そして、その後本格的な交流もはじまり、出版社の紹介、本の制作、ホームページの内容、販売方法、著作権や著作権などの使用許諾書、取引や契約書、法人設立などの無給顧問に就任。
coucouさんの会にも正式入会した。そして東京都内での個展開催のほとんどはcoucouさんの仲間たちを引き連れて回った。

そして、2023年、7月と10月の7月にcoucouさんが手術日に何度も連絡が入る。そして術後の電話内容が、「あとわずかな時間しか生きれない、力を貸してほしい…。」

そして、彼女が住んでいたこの街、昭和天皇の眠る地にすべての作品を寄贈する話となった。現在、その最後の電話でしかないが、作品は市で間違いなく保管することとなっている。あとは、常設館を作ること。これって、考えたらcoucouさんにとっても大仕事だよね…。

でも、動けるうちにしたいと真剣に受け取った…。

でも、彼女は父や母と、あちらで逢っている気がする~

彼女の人生の魂の作品を前編後編を通して見てほしい~
ささやかな針の穴のような顔もわからぬ、父や母との再会を夢見て五百羅漢を目指し、願いがこもった作品たち。あと、約20体で500体だった、でも480体を生涯にかけて作り続けた。1体作るのに数か月、洋服も草や木もすべて針と糸で縫い続けた千羽織りのようなお人形さんたち、生きている気がする。

あの素晴らしき昭和時代が、また蘇る~


じっくりと見てあげてくださいね~
実は、元気になったらnoteを始めるように提案していた…。
身体が動かなくても手とパソコンさえ使えれば表現ができるんだもの。
それも、残念...。


みんな、ここまで読んでくれてありがとう~
長すぎて、ごめんなさい~

では、また、
あしたね~


文字数7,593文字

美千子さん、また、あえんことを。

coucouさんより~


昭和のこどもたち★感動の原点回帰人形展見学

昭和のこどもたち人形展会場からのメッセージ

石井美千子人形展「昭和のこどもたち」 in Toki no sumika ARENA

昭和のこどもたち in 2014

絵葉書 昭和のこどもたちの世界


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あの頃を思い出して見ませんか?
なにもなかったけれど、人の心があたたかくて、優しくて、生きるのに必死で、みんなで支え合い、助け合い、敗戦から復活の道を日本人は昭和の子供たちに戦後、人々は夢を託した。



日本映画 昭和女優の軌跡 ♪女優は歌う♪ リンゴの唄・銀座カンカン娘・東京キッド・夜来香 他

【戦後の昭和の子供たち】戦後の昭和に生きてきたたくましい子供たちの心の叫び!

【あの頃写真】昭和の夏と子ども達


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Ob-La-Di Ob-La-Da - The Beatles 1968 - ザビートルズ「オブラディオブラダ」【和訳】

coucouさんのアーカイブス(過去作品)だよ、みてね~

coucouさんのお気に入りnoteの素敵なクリエイターさんたち~


coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~


Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru


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