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864.人って、人と自分を比べて安心したり、喜んだりする。でも、人の悲しみと自分の悲しみを比べて悲しんだりはしない。

People feel relieved and happy when they compare themselves with others. But I don't get sad by comparing other people's sadness to my own.

【お馬鹿なoucouさんの逆さま論㊸】


©NPО japan copyright association Hiroaki

1.6番目の100の心の言葉.6th 100 heart words


信じること、
to believe,

信じることに、
To believe,

疑いはいらない。
There's no need for doubt.


信じることは、
What you believe is

望むこと。
What you want.


切に望む、
I sincerely hope

そうすれば、
that way,

必ず、実現する。
It will definitely come true.

私は、
I

そう教わった。
That's what I was taught.


だから、
that's why,

そう、信じて生きてきた。
Yes, I lived my life believing that.

もちろん、
of course,

疑いなんて持たずにね。
Don't have any doubts.


そして、
and,

望み続けた。
I kept hoping.

切に望んだ。
I desperately wanted it.

必ず、実現すると、
Surely, if it comes true,

信じた。
believed it.


だけど、
However,

簡単に、
simply,

すべて、夢破れた。
All dreams were shattered.

すべて、壊れた。
Everything is broken.


それは、
it is,

信じる力が足りないからだ、
Because I don't have enough strength to believe,

信じ切ってないからだ、
It's because I don't fully believe it.

と言われた。
I was told.


だから、
that's why,

もう一度、
once again,

何度でも、
No matter how many times,

信じて見た。
I believed it and saw it.


だけど、
However,

それでも、
nevertheless,

裏切られ続けた。
I kept being betrayed.

傷ついてきた。
I've been hurt.


©NPО japan copyright association Hiroaki

もう、
already,

信じる力を失った。
I lost my ability to believe.



そして、逆さまとなった。
And then it turned upside down.


それはね、
That's right,

疑うこと、
to doubt,

疑うことに、
Doubtfully,

疑うことを信じて見た。
I believed what I suspected.



疑うことが、
To doubt,

望むこと。
What you want.

切に望む、
I sincerely hope

そうすれば、
that way,

必ず、信じることができる。
You can definitely believe it.



そう、
yes,

信じて疑うんじゃあなくて、
Instead of believing and doubting,

疑ってから、はじめて信じることにした。
After doubting it, I decided to believe it.


するとね、
Then,

本当に信じることができるようになった気がしている。
I feel like I can now truly believe.


自分のこともね。
About myself too.



Ⓒお馬鹿なoucouさんの逆さま論
ⒸStupid oucou's upside-down theory
6番目の100の心の言葉.

6th 100 heart words

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.裏切りなんて、当たり前だよね。Betrayal is normal.


あの人に裏切られた~
あんなに信じていたのに、騙された~と言う人はたくさんいるよね。coucouさんもたくさんの人に裏切られてきた。たくさんの人を裏切ったこともある。
だけど、自分がこれだけ信じていたのに、こんなにも信頼していたのに簡単に裏切る奴がいる、許さない、許せない、許したくないと口を揃えてその裏切りを呪う。
人って、誰もが信頼している人が欲しい~
当たり前だよね。疑ってばかりいる人、信頼できない人の中にいたらおかしくなっちゃうもんね。

でもね、自分勝手に思い込んだ信頼なんて簡単に裏切られてしまう怖れがあるよね。例えば、頼んであった仕事を忘れられてしまった。

任せてもらった仕事なのに失敗した、なんていう裏切り、期待通りにできなかったというお互いの裏切りもあるよね。

でも、人に任せた時点で、自分がしなかった、できなかったという自分自身への裏切りもある。

そう、自分で自分を裏切る場合もあるよね。

人の信頼にこたえられない場合、裏切り者になってしまう、厳しい人間社会。子どもの頃から、親や友人の期待を裏切り、好きな人、愛した人たちのの期待を裏切り、互いが勝手に期待して裏切り合う。

このように悪意がなくても、何かのトラブルが起きたとしても互いは裏切り合う運命だよね。だから、自分を裏切ったり、相手を裏切るなんて当たり前のような気がする。

だからね、逆さまに考えるんだ。

そう、裏切りなんて当然、当たり前だとね。

人を騙したり、陥れたり、傷つけたり、金品やモノをだまし取る以外の裏切りなんて当たり前、当然の出来事~だから、そのたびに落ち込んじゃあいけないし、落ち込む必要もない気がする。

だからね、
人は裏切られても当たり前。
でもね、裏切られないように、裏切らないようにする覚悟は必要な気がするね。

coucouさんって、いつもみんなの期待を裏切っている気がする…

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.人は人、自分は自分じゃあないよPeople are people, I'm not myself


よく、人は人、自分は自分なんていうよね。
確かに、当たり前、その通りだよね。
人は自分でないし、自分は人でない。どんなに愛し合ったとしてもひとつにはなれない気がする。

でもね、
人は人、自分は自分で生きている人ってほとんどいないよね。
人は誰でも、生きている限り誰かしらに負担や迷惑をかけあって生きているんだもの。それに、一切のかかわりを持たない人生なんて山奥か孤島で一人で暮らさない限り不可能だよね。

それなのに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない~」と言う人生を送っている。

あれ~人は人、自分は自分じゃあないの?

子どもの頃、coucouさんは「みんながやっている」「みんなが持っている」と父親に話したら「人は人、自分は自分なんだよ」と教わった。

だから人と違っていたcoucouさんは「赤信号、みんなで渡れば怖くない~」という世界から遠ざかって生きてきた。
そのおかげで今でもそのまま生きている。

だから、そのままでいいと思って生きてきた。
でも、結果として、父の考えは、「人は人、自分は自分じゃあない」と言う考えだった気がする。どうしてかっていうと、父は、いつも人のことを自分のことのように考えて、捉えて生きていたからだ。
母も同じ、だから口癖はいつも「人として」という。

そして、大人になってこの言葉の意味がわかった。
それはね、他人に無関心でいるということではなくて、人は人、自分は自分という考え方、生き方が自分を守り、自分を自立させるための言葉だった。
当時のcoucouさんは知識も学力もなく、一般より劣っていたため、いつもコンプレックスに陥っていた。そして、いつも人と自分を比べるたびに落ち込んでいた。そのcoucouさんに自信や自立させるための素敵な魔法の言葉だったことがわかった気がした。
coucouさんの父もまた、戦争を体験し、戦後の壊れた日本の中で、今までの教育、政治、経済も含めて逆さまに物事を捉えて生きてきたような気がする。

人は人、自分は自分じゃあないんだよね~
だけど、自分は自分でいなければね~

©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

なんと複雑な人間関係、人間社会~こんなに情報技術が発達したのに増々伝わらくなって来た世の中~おかしいよね~
それにcoucouさんもおかしい~

人間って、人と自分を比べて安心したり、喜んだりする。
でも、人の悲しみと自分の悲しみを比べて悲しんだりはしない。
「私はあの人よりましだ」とか、「あの人より幸せだ」とか、「あの人より生活が楽だ」なんてすぐに比べてしまう。
病気だって、
「あの人の病よりもましなんだから」
「手や足があるじゃない」
「歩けるだけ幸せよ」
「目が見えるじゃあない」
「話ができるじゃあない」
「死ぬわけじゃあないからましよ」
なんて、慰めの言葉をいう。もちろん、励ましの言葉で悪意はないのがわかるけれど、実際には、手や足がない人、目や耳が聞こえない人、言葉が話せない人、余命を宣告されている人たちもいるよね。
そうやって、人と不幸や幸せを比べてしまう。

そんな言葉より、「生きていて良かったね~」の一言で充分な気がする。
そう、そんなときは、「人は人、自分は自分」なんだよね。

やっぱり、赤信号は自分で見て、止まらなくっちゃね~

本日も【お馬鹿なcoucouさんの逆さま論】、ここまで読んでくれてありがとうございます~

あら~このシリーズも43日目、43回なんだね~
どうして、時間って早すぎるんだろうね~
ああ~クリスマス、年末になっちゃう~

人は人、自分は自分じゃあないんだね~

では、また、あした~



文字数4,845文字


追記:本日は、coucouさんの父の月命日、久しぶりに弟夫婦と、お墓参り。
そのあと、先日結婚した弟の次男、長女夫婦との食事会。
たまたま、重なった…。
いや、父や母が合わしてくれたのかもしれない、みんな家族なんだもの~

父の言葉が聞こえる、「家族や兄弟姉妹は離れ離れになっちゃあいけない」それが最後の言葉。戦争で家族や兄弟姉妹が離れ離れとなった父の人生。祖父や祖母ともお別れ出来なかった父の無念の遺言のような気がする。今年は結婚式以来2回目。あと何回、みんなと会えるんだろうね…。

人は人、自分は自分じゃあないんだよ、って言葉が聞こえる...。


【和訳・日本語〗ティンカー・ベル | Selena Gomez - Fly To Your Heart (Lyrics)

coucouさんのアーカイブス(過去作品)だよ、みてね~

coucouさんのお気に入りnoteの素敵なクリエイターさんたち~


coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~


Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru


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