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大切な人がこの世を去る時、去った時。

大切な誰かがこの世を去ってしまうとわかった時、

私はいつも冷静だった。

取り乱したり泣いたりはしなかった。


しかしそれは、告げられた言葉の辞書的な意味しか

理解できなかったからだと思う。


心臓が止まり、動かない体や冷たい肌に触れて初めて、

それまでに感じる事の出来なかった現実や感覚を感じることになる。

まるで津波が襲ってくるかのように。


そして次の日には大きな波は落ち着き、

その後数日間は、まるで波が打ち引きするように

泣いたり落ち着いたりを繰り返す。


しかし大切な人を失った悲しみは、

いつまでたっても薄れはしなかった。

それは冷静でいた時間が長ければ長いほど。


今でも何かがきっかけになって思い出して泣いてしまうことがある。今日もそんな日だった。


私は残されるのが辛い。

なんで先に行ってしまうの、置いていかないでって思う。


もちろん死にゆく人も、

大切な人や物や後悔を残してしまうことがどれだけ辛いことか、

その感覚や思いは私の想像で及ぶものではないと思う。


曾祖父や曾祖母、祖母、友達、を見送ってきたけれど、

関係が近く深くなればなるほど、すごく辛かった。

正直今後、両親や周りの大切な人を見送ることを、

そのタイミングがまたやってくることが怖いとも思う。


息途絶えて骨になるまでの時間はとても早い。


そしてこの世に存在しないことに対して、

もう信じられないね、なんて言いながら

私は私の人生の続きを生きるしかなかった。


心の中では乗り越えたと思っていたけれど、

祖母の死から約三年、友達の死から約八年、

ようやく私の時計はゆっくりと進み始めるようになった。


乗り越えるには、まだまだ時間はかかるんだと

やっと、やっとわかった。


今日はそれを感じて、この感覚や思い出したことを書き残したいと思った。

私はきっとこれからも大切な人たちを何人も見送ることになるだろう。

私だけじゃなく、誰しも必ず見送る経験をする。


いつか来るその時、

感じた感覚を受け入れる時間が必要だということ、

時間がかかる事、

無理して心を閉じ込めたり、焦らなくていいよって

私や読んでくださった皆さんに伝いたい。

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