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多元主義な人生

 巷で話題の勉強法や成功法、ライフハックな知識を得るために心理学部に入った。一年たった今、まるでその信念を批判的(否定的)に捉えて心理学を勉強している。そうなるに至った経緯はまた後日記したい。しかし、それまであった信念の崩壊と新たな信念の再生との過渡期にいる今、モノゴトの捉え方が曖昧で、脳の稼働率でいえば常時40%強の認知処理速度で日々過ごしているようだ。

臨床心理学の原則

 今学期から臨床心理学概論という授業を取っている。そこで、個々の臨床実践場面において常に考慮されるべき考え方を学んだ。それは、多元主義である。

 そもそも、クライエント(患者)の心の問題と向き合う臨床実践において、どのクライエントにも同じ理論や方法論に基づいた援助を行うことはできない。個々のクライエントはまったく違う人間であり、彼らの置かれている状況、病態は異なるからだ。これを前提として、多元主義の定義を齋藤(2018)の言葉を借りて説明したい。

 複数の理論的立場の併存を認めながら、個々のクライエント、個別の状況において適切な臨床判断を行い、その状況における最善の方法論や技法を選択(あえて何もしないという選択も含まれる)していく姿勢が、臨床心理学的実践には望ましいと考えられる。(総合臨床心理学原論:斎藤 清二)

 つまり多元主義とは、複数の異なった考え方、ときには矛盾するような主張の存在を認める立場である。平たく言えば、モノゴトはいろんな方向から見ることができるということだ。

臨床心理学の在り方

 臨床実践は多元主義を前提として展開されるとき、十分に機能する。しかし、臨床心理学の在り方は多元主義だけではない。以下にそれらを簡略化して説明する。

教条主義:ある一つの決まった理論や方法論に依拠し、それ以外の考え方は認めないとする立場。個々のクライエントに対して常に同じ立場からアプローチを行う。

折衷主義:複数の理論や方法論の存在を認めるが、個々のクライエントに対して無作為的にそれらを当てはめて支援や援助を行おうとする立場。何でもあり、行き当たりばったりと揶揄される。

統合主義:複数の理論や方法論の存在を認めながら、それらが最終的に一つの考え方に統合されることを目指す立場。個々のクライエントの状況に適切な理論や方法論を適合しつつ、それらが統一された理論によって支持されている。

 これらの分類は、『現代精神医学総論(The concept of psychology: A pluralistic approach to the mind and mental illness)』にてガミーが行ったものである。現在では一般に、多元主義、統合主義が望まれる姿、教条主義、折衷主義が望まれない姿として認識されている。しかしながら、統合主義に関しては理想とされる姿であり、注意深くその立場に依拠していなければ教条主義に陥ってしまうという危険な側面もある。

多元主義な人生

 ここまで臨床心理学とそれを支える考え方について長々と書いてきてしまったわけだが、私はこの多元主義という立場を人生という壮大な枠組みの中で適応できないかと考えた。要するに、多元主義に沿った人生というわけだ。

 そもそも人生について、私は幸せを追求するものであると考えている。これは根源的な原理であり、いわば定言命法である。その定言命法を達成する上で、多元主義的立場を採用するのは非常に有効なのではないだろうか。

 私の偏見かもしれないが、最近、教条主義的な考えに囚われてしまっている人が多い気がしてならない。自分の世界観のみを是として、それを批判されたり否定されたりする瞬間を極度に恐れる。確かに自分の殻に閉じこもるのは心地よいかもしれないが、同時にそれは得体のしれない虚無感や閉塞感をもたらす。幸せとは、遠く離れた状態だ。

 一方で、多元主義的な立場を自身を置いたとき、他者の考えを理解しようと努めることができる。折衷主義ならこのとき、相手の考えを自分の内に無鉄砲に当てはめ、結果として混沌とした世界観が出来上がる。しかし多元主義はそうした相手の考えからある程度の一貫性を持ったものを抽出し自己を形成していくことが可能になる。

 結論として、人生レベルで多元主義を採用したとき、自分とはまるで真逆な相手の意見や考えを理解しようと努めることができる。さらに、そこにある程度の一貫性を持たせて自分の考えを深めたり広げたりできる。

 もちろん幸せになることを希求する人生において、多元主義の採用は一手段であって教条主義であろうと折衷主義であろうとそこに幸せを見出せるのならこの上ないことだ。その点で、臨床心理学レベルの多元主義と人生レベルの多元主義に違いがあるのは明らかだろう。

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