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【わたしとポケモン】1.出会い編

こんにちはしょうです。
今回はポケモンのお題記事です。長くなったので出会いからだいたい10年あたりで区切ってます。

私は1990年生まれで初代ポケモンの世代ど真ん中でポケモンがないと学校での会話が成り立たないし、一種のコミュニケーションツールとして存在していた、今思うとポケモンとはそんなゲームでありそんな時代だったと思う。

ポケモンとの出会い

保育園の年長の時に赤いゲームボーイポケット『ポケットモンスター緑』を手に入れた、なんで色合わせしてないのかと思ってしまうがこれが私のポケモンとの出会いです。この時期はもっぱら『ドラゴンボールZ 超武闘伝』三昧だったのでアニメもまだ始まってないポケモンをこの時期になんで買おうと思ったのかは思い出せないです…結構年の離れたゲーム好きのいとこがいるのでその影響の可能性があると思います。

緑を始めて半年ほどしてコロコロコミックの通信販売で『ポケットモンスター青』を買った。たぶん人生で初めて雑誌を買った、漫画を読んだ記憶はない、新しいポケモンを手に入れるために買った。そう言い切れる、郵便局にたくさん切手を買いに行った記憶…郵便局に行った記憶で一番古いのもこれだ。

これで小学生になる前に2バージョン持ちの自称最強環境になった。
攻略本は『ウルトラスーパーDXポケットモンスター最強トレーナーズ手帳』

今思うと何とも凄いバカっぽい名前の攻略本だがビニール製のブックカバーが好きだった、劣化してボロボロになるまで読んだ記憶がある。正直今も手元に置いておきたいくらい好きだった…

調べていて初めて知ったのですがこの攻略本は「手帳は高橋」でおなじみの高橋書店が出版してることを知りました。だからあのカバー付きのだったのかとちょっと納得がいきました。攻略本ではなく手帳だった意味も理解できる。

説明書を読むタイプではなかったのでレポート=セーブだとは知らずに最初の1週間は毎回オーキドからポケモンもらってたな…そんな初代ポケモンとの思い出です。

ポリゴンショックと遅れネット放送

初代アニポケは1997年の4月小学校への入学と同時に放送開始しました。
見る手段としては2つがあった、ケーブルテレビ加入してればTVQでテレ東との同時放送で見れた。ケーブル入ってないと長崎の放送局(たぶんNIB)が数週間の遅れネット放送だったと思う。
当時住んでたとこはケーブル率が高かったがわたしの家はケーブルがなく遅れネット放送で金曜日の夕方に見ていた、たぶん比率的には9:1くらいで遅れネットが少なかったと思う。これによりアニポケの話をしてるのに友達とは結構話が合わなかった。遅れネットの概念など知らなかったので変な感覚ではあったが特に気にしてなかった。

しかし半年ほどたって問題が起きた。

みなさんご存じのポリゴンショック!!!

みんながポリゴンショックの話をしているのにそんな回は放送されてないので知りもしない。たぶん3~4週遅れだったのでポリゴンショック回の予告すら見ることなく放送は打ち切られた。当時小1でろくにニュースも見て無いので正直何が起きていたか理解できなかったが、遅れてたことは理解できた!
放送再開後もそれなりに見てたが小3から放課後は少年野球になったのであんまり見て無い。映画は祖母に連れられて市民センターみたいなとこで3作目の『結晶塔の帝王』くらいまでは見た。

GBCからGBA時代

話をゲームに戻します。
少し時間が経ちみんな大好きクリアパープルのゲームボーイカラーと『ポケモンカードゲーム』『ポケットモンスターピカチュウ』を買った。

たぶんピカチュウの時の攻略本はこれだった。
この頃は学校から帰宅したらポケットピカチュウを振る日々です、みなさんと同じですね。確か約2万歩でふしぎなアメを手に入れることができたのですが、帰宅して2万回振るのはダルいとかいう次元の話ではないんです。でもゲームの時間も限られてるとここでアメをもらえることはかなり重要です。
しかしこんな生活をしてると、とうとう母親に突っ込まれます。

母『なんで毎日、万歩計振ってるの?』
私『振るとアイテムもらえるんだよ』
母『私がやろうか?』

この時点では学校に行っている間、母親が必死に振ってくれるのかと思ってましたが家業を思い出しました。

農家!!!
畜産農家!!!!
年中無休の歩き仕事!!!

わたしの実家は毎日少なく見積もっても2万歩は歩く最高の仕事だった。

そして母はふしぎなアメ製造機となった。

『金』、『銀』、『クリスタル』ハードを紫のGBAにして『ルビー』、『サファイア』、『エメラルド』と兄弟も多いのでバージョン違いもほぼ網羅する形でGBA時代を終えた。
当時の最新ゲーム機だったPSP1台持って学生寮に入ることとなり、任天堂ハードとの別れることになりました。これにより約10年のポケモン生活が終わりを迎えます。正確にはGBAは持ってましたがDSとPSPでPSPを選んだ感じです。
周りにはポケモンプレイヤーもたくさんいましたが、この時代はかつてポケモンが担っていた同世代とのコミュニケーション手段としてのゲームは『モンスターハンターポータブル』に置き換わっていた印象があります。

ポケモンと再開する社会人編に続く…

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