母の不在、少しずつ認識する

朝、起きたら風邪気味。

暑いので、窓をあけっぱなしにしていたら、雨が降って涼しい風が入ってきた。ありがたいけど、いま、体調崩すのは困る。まぶたが閉じそうになりながら、窓を少し閉めた。

これから、数時間後に母の火葬。




この前、打ち合わせのとき、遺影をつくるかどうかを訊かれ、断った。

祖父が亡くなったあと、遺影の中にいる祖父を家で見ると、この世からいなくなったと認識させられるのが嫌だった。そのときの気持ちを思いだした。

すると、業者の男性から、「カメラのキタムラに(写真を)持って行くと、小さい遺影をつくってくれる」と。

でも、いまのところ、つくりたいと思わないんだよなー。


いままでと違うこと。

食事のとき、テーブルの向こうに座っている母がいない。

夜、リビングでネットをしてると、トイレに行く母が2回、私の後ろを通過するのだけど、いまはずっとひとり。
「早く寝なよ」と言ってくる人もいない。

祖母と母が寝ているときに、イヤホンを使わずに動画を見ると、音が聞こえて母に注意されるので、必ずイヤホンを使っていた。
けどいまは、耳の遠い祖母には聞こえないので、リビングでイヤホンを使わずに動画を見られるようになった。

こんな感じで、日常で少しずつ、母がいなくなったことを認識している。それでいい気がする。

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