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ありのままの社会不適合者

マジメに真っ当に仕事してるけど、実は本来の自分は「社会不適合者」じゃないかと思ってる。

社会になじんでるように見えるのは後天的に身につけてきた能力のおかげ。
生まれ持った車輪だけでは前に進めなくて、後付けした後輪を回して生きてる。

親からもずっと「マイペース」「いつもぼーっとしてる」と散々言われてきた。


そうだよ。

ぼーっとしてたい。のんびり過ごしたい。猫と遊んで暮らしたい。

急かさないでほしい。指図しないでほしい。

目標とか持ちたくない。あまり先のことは考えられない。

情熱や使命感はないけど、頭の中はファンタジーで常に考え事してる。

世間一般にいう「ダメ人間」の部類に入る。


でも、さすがにそれでは生きていけなくて、社会に適応するために涙ぐましい努力を続けてきた。

緊張感を持ってるからか仕事はちゃんとできる。

納期は守るし、遅刻もしない。

だから、長年自分のことを「ちゃんとした人間」だと思ってた。
多分、周りからもそう思われてる。

でもやっと気づいた。全然そんなことないわ。


素の自分はポンコツすぎる。

忘れ物多い。言われたことすぐ忘れる。電車乗り過ごす。段取り悪すぎ。

仕事ではミス少ないのに、プライベートでは途端にできなくなるのはなんで?

一日過ごすのめっちゃ疲れるんですけど。
みんなどうやって生きてるの?


もしかして自分は発達障害?と思って調べてみたけど、そこには当てはまらなかった。

ただの生き方不器用人間。うっかり者。

直したくても直らない。そういう素質を持った人間。

それでも生きていかなきゃいけないから、足りない部分を補って取り繕って、何とか社会に溶け込もうとしてる。

不器用さを隠して、他人に気を遣って、空気を読んで、生きてる。


生まれ持った一輪車でスイスイ世の中を渡っていけたら、どれだけ素晴らしいだろう。

喜怒哀楽をあらわにして、周りのことは顧みず、自分の思うままに生きるという生き方。

そうわかっていても、一輪車に乗れない人は世の中に多数いる。

感情よりも理性を大切にする。自分よりも他人を優先する。我を通すことよりも調和を望む。

それがその人たちの「ありのまま」の姿だとしたら、一輪車を強要するのは逆に不自然だ。

それは、「じゃない側の人間」のただの僻みかもしれない。


そりゃ、ずっと自分を押し殺して生きてたらしんどいに決まってる。

でも、「ありのまま生きる」というのは、無理やり他人に自分を認めさせたり、傍若無人な振る舞いをしてエゴを通すことではない。

自分を表現したいなら、自分を表現できる場ですればいい。
意見を伝えたいときは、言葉を選んで優しく伝えればいい。

思いやりの心を忘れて、自分を貫くことが「ありのまま」ではないよ。



ありのままにこだわればこだわるほど、ありのまま生きていないことの証明になる。

別に一輪車じゃなくても自転車でも三輪車でも補助輪付いててもいい。

乗り物に優劣も正解もない。生き方にも。

社会になじんでるか、はみ出してるかで人の価値は変わらない。

自分と他人と社会に折り合いをつけながら、不器用に生きる人生にも同じくらい価値がある。


ありのまま生きた結果、社会になじんでるのか微妙なラインにいる。

自転車で進む人生も悪いものではないよ。

仕事する楽しさを知った。
スキルも手に入れられたし、人生も広がった。

きっとこれからも私は不器用な自分を笑って、周りに気を遣って余計な言葉を言わないように飲み込んでいくんだろう。

優しく生きていきたいから。


最近やらかしたミス。

iPad miniとApple Pencilを注文したんだけど、なぜか2回注文してた。

商品届いてから気づいたわ。

そんなミスする?

するんだよ。どうするんだよ。メルカリで売る。

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