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藤本タツキ短編集

短編集を読んだ。
内容については買ってほしいので触れないでおこう。
独立して売られてるルックバックやさよなら絵梨ももちろん面白いし、当然そっちの方が面白いのだけど、短編集を読んでいくと、チェーンソーマンやさよなら絵梨に出てきた「人を食べる」って言う展開やセリフがいくつか出てくるのが興味深い。
東京グールや寄生獣みたいな「食う」とはカテゴリーが違うというか。
食うことに目的のある後者に比べ、目的の為の手段や道中に食うがある前者の違い。
短編集の最後に後書きが載っているのだが、そこに、彼女と暮らした貧乏時代のストーリーが書かれている。

周りに助けられながらも渇望するでもなく幸せだった二人暮らし。そんな生活でもある時メダカを飼うことになった。
夏のある日に死んでるのを見つけた藤本さんがゴミ箱に死骸を捨てると、彼女が土の下に埋めてほしいと言ったので一人で公園に行って、木の下に埋めようとするんだけど、地面が硬くて中々掘れないので、仕方なくそのまま地面に放置。
するとアリの群れがメダカを持ち去ろうとする。その姿を見て急にメダカを大切にする気持ちが芽生えて来て、アリを払い除けてメダカを食べました。
って書いてある。一見するとサイコな風味が漂うエピソードなのだけど、埋めてきてほしいといった割に公園にはついてこない彼女の方が、体裁を気にするだけの冷徹なロボットに見えてきたり、藤本さんの方が嫉妬みたいなトリガーで慈しみが芽生えるところとかが人間ぽいなと思えてきたり、そもそもこの一件を強く記憶して後の作品にも取り入れていることから、彼がこの時の感覚を大事にしていることが伺えて面白い。

大切な人がいて、もし死んでしまったら体に取り込んで一つになりたいと言うのが究極の愛というか欲求であることはなんとなく理解できるのだけれど、一つになるという状態対してあまり魅力を感じないのは自己愛が強いからなのか、相手への愛が足りていないのか。
この体を操縦するパイロットが2人いたら何かの選択の時に揉めるかもしれないし、
常に監視されてしまうのではないかという発想にもなる。やましいことが無かったとしても、この感覚は自分だけが味わいたいとか、共有をしたくない場面も少なからず発生するような気がする。
逆に、一つになる形式として、もう一人の意思は介在しない。心の中にいるだけパターンだったとすると、意味がないというか、今と一緒なのではとも思う。

藤本さんの中ではこの感覚がどうなっているのか知りたいところではある。
古来の宗教や村の風習としてあったカニバリズムに近い可能性はある。
火葬後の骨を噛む風習は今も残っていたりするのだが、これは死んでも忘れない。一緒に生きるという決意表明に近い表現方法なのだろうか。
そもそも、藤本さんからすると「食う」事は重要ではなくて、一つになることが重要なんだと思う。ファンタジーを排除した結果、実現可能な食べるというより内部への取り組みを手段に用いただけで、もっとスタイリッシュに、ポタラ着けたベジットみたいな一つになる方法があれば、そちらを選びそうな気さえする。

学校で今はもうあまり見かけないが、クラスで育てた家畜、ペットを命の授業として最後にみんなで食うかどうかを議論するやつがあったら、愛ゆえに反対する学級委員の女子と、愛ゆえに食べようと提案して藤本少年は対立するのだろうか。

ちなみに、人間の肉を食うことには自分はそれほどタブー視しているわけではない。
自分は絶対一生食べないと言い切れるのではあるが、誤解を恐れずに言えば、動物が動物を生きるために殺し、喰らうことなんてこうしている今も起きてるし、どんな精神的課題があろうとも食ったものは聖人であれ、犯罪者であれ、それ相応の栄養素に分解されて然るべき器官に送られるだけだ。
そこにあるのは圧倒的に冷静な科学的反応があるだけだと思う。
自分が実際に食べないのは食べる習慣が身についていない事と、タブー視されている風潮が常識となっている社会の一員として生きてるからに過ぎず、逆に食うのが当たり前の常識の社会に暮らしているのなら食べていることだろう。ここに、食うという行動自体に対して、僕自身の自発的な心情はあまり介在していない証拠だ。

しかし、食べて一つになるといつ以上の愛情表現が見つからないのも事実だ。
なんなら食べるという事がタブー視され、嫌なことであるというリスク的な側面も持ってるからこそ、表現力として強みを高めているフシさえある。
この表現を見た後に、「君が好きだ」とか「愛している」みたいな言葉にして約数秒くらいのアクションで完結する伝達方法を見せつけられても、今更チープにしか感じなくなってくるレベルだ。

他の漫画とは違い、こういう世間一般で多用されてた表現を全く別の方法で過去のものにしてしまうという天才ぶりは、感心もするが、罪深いことでもあると思う。
今後も色々な作品でいい意味でも悪い意味でもブレークスルーしてしまう突飛な発想を、期待せずにはいられないのもまた事実だ。

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