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精神障害者としての日々

わたしは精神障害者です。統合失調症と躁鬱病をあわせもった、でもどちらでもないという障害です。


なんとか、こうやってほぼ毎日noteに記事を書けるほどまで、回復してきてはいるけれど、実際働けません。noteとの両立は無理です。どこか、パートを見つけようとおもえば、できないことはないけれど、かえって体調悪化をたどる心配のほうがまさり、それはやめています。健康な方もそうだとおもうけど、明らかにやりたくないことをやるのは単純に気分よくないとおもう。わたしのような障害者は、そんなところがダイレクトに精神的に影響してくる。このnote暮らしが今の精神状態にどれだけの良い影響があるか、実感する日々です。


これからのこととか、友人と話していて、NPO法人をたちあげたら、と意見をもらったけど。友人はわたしの生き方が伝わるからと言っていた。それはわたしの許容範囲を超えて倒れてしまう。同じ精神障害者の方たちと接すると、いろんな問題が生じてくる。わたしはそんな中に入ると、頼られてしまい何かと相談され、盛り上げる役目が回ってきて、疲弊してしまう。そしてストレスがとまらなくなる。目に見えている。だから、できない。まずは、自分を守ることが先だ。これは何年か前に経験したこと。


社会的弱者は何ができるのか。自分にできることはできる。自分にできないことはできない。 ただ、それだけ。


話は変わって、先日夜中に母のところに父の病院から電話あり、顔が蒼白なので個室に移りました、との報告あり、びっくりして、お昼には病院に着いていた。それで、面会させてもらえた。去年の年末以来だった。父は、誤嚥性肺炎を起こしているとのことで、それ以外は順調です、と、先生から説明があった。母とほっとした。父とは1時間も家族水入らずで過ごせて、心が安らいだ。父の体をさすり、左胸にレイキをした。父は目を閉じてじっとしていた。そのうち、眠ってしまった。父も弱者だ。わたしと同じ。


人生にはながれがある。今ここでできることをやっていたい。そんな静かな時間のながれがある。とにかくあまり欲張りたくない。そのことをよく考える。欲張ったとたんに、穴に落ちる。部屋にいると、十分満たされた暮らしをしていると、よくわかる。精神的にも物質的にも満たされている。もちろん、孤独である部分は否めない。


だからというわけではないけれど、大丈夫だろうと信じたい。時期がくるということがある。きっと、変わってくる。


日々是好日。



それでは、またお会いできますように。
ありがとうございました。





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