【読書】『神域』真山仁

(ネタバレ含みます)

『ハゲタカ』シリーズの大ファンのため、真山先生の本は全て読破している。今回の『神域』は再生医療の技術を通じてアルツハイマーの治療に挑戦する医師が出てくる話。物語の面白さでいうと、1-5段階で3レベル。面白いけれども、最初にネタバレしてしまい話の流れがだいたい見えてしまうのが残念。しかしながら、題材として取り上げているものは非常に興味深いです。

私が注目したのは、ふたつのジレンマです。ひとつは、再生医療が秘める可能性と、果たしてそこまでして病気を治すことは倫理的に良いことなのかどうか、というジレンマ。ふたつめは、被験者が望んでいる、かつ、その成果が社会に与えるインパクトが非常に大きいものだとすると、認証されていない薬の治験を行うことは正当化できるのか?私は特に2つ目の論点に関して考えさせられた。

救われる命とその家族とを考えたインパクトが仮に10億人いると考え、100人が犠牲になればその後10億人が救われる、かつ、100人も自らそれを望んでいる場合に、治験をとめることが良いことなのか?

この質問を細分化すると

①まずはひとりひとりの生き死には誰が決めるのか?それは個人にゆだねられるべきなのか?国家の法律に従うべきなのか?なぜなのか?

②法律は何のために存在するのか?法治国家である以上は法を守らなければならないが、しかし、人々をより健康にすることを阻害する面もあるのであれば法は何のためにあるのか?

また、さらに上位概念の質問は、これはタイトルからもある通りで

③再生医療は人間が手を加えてよい領域なのかどうか?自然の摂理から放て過ぎてしまっていないか?では、医療と再生医療で、どこからどこまでが神域なのかを、誰がどの正義をもって決めるのか?

④そこから発展して、個々人で見たときには病気が治ることは素晴らしいが、社会全体・地球全体に与える結果としては本当にプラスになるのかどうか?

現時点での自分の考えを述べると

①私は人の生き死には本人が決めるべきことであると考えます。命は、その命をもっている本人のものです。どれだけ周囲から言われても、すべての最終的な決断をするのは本人であるという自分の信念からそう考えるが…果たしてそうなのか、他の考え方も勉強したいと思います

②法治国家は、人々が安心して生活を送るためには秩序が必要であり社会のルールが必要である。そのためには、従うべき模範があり、それを法律が担なっていると考えるとします。(知識不足を露呈するようですが)秩序を作り守らせることが目的であれば、大きいベネフィットのためにリスクを許することよりも、悪いことが起こることを極力避ける方が法律としては機能しやすいと考えます。つまり法律の持っている特徴と、より多くの国民の健康を向上させることには相いれない側面があるということです。法治国家にいる以上、こういった柔軟性のなさという不便な面はありますが、私個人としては、それによって受けているベネフィットが大きいと考えるため、法律には従うべきだと考えます。正当化はできないはずです。ただし、法律は変えることができるため、法律に従うことが常に倫理的に良いことかどうかは分かりません。

③『神域』を犯しているのかどうかの論点ですが、「命を救う」という大義名分があるのであれば、人間が手を付けてよい領域なのかを判断するものはありません。再生医療は神域で、手術は神域ではないというのは、どこで線引きするべきか、明確にできるものではありません。といいつつ、私は遺伝子による産み分けは反対です。命の選別を始めれば、病気以上の選別に歯止めがかからないからです。この矛盾する考えは、自分の倫理観に基づくものであり、法律云々の話ではないと思います。正解がない議論のため、自分が何を信じるかに依存していると思います。それは倫理観は時代時代によって変わってくるため、私は反対ですが、私の孫の世代になれば、その感覚は変わってくるものなのでしょう

②③をということを踏まえると、医療の進化を止めることはできないという前提で考えた方がよいと思う。マクロ的なインパクト、例えば健康な高齢者の増加、等を考え、どうするべきかを見つめていくのでしょうが、この辺で思考をストップさせます。

こんなに考えさせられるのであれば、プロット的には3でも、人に問題を提起するという観点では5の評価でもよいなぁとふと思い直してきました(笑)。本の評価軸を決めないとですね。

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