『こころ』夏目漱石

(一部、ネタばれ)

『こころ』を読むのは人生三度目です。

最初は中学か高校の国語の教科書に載っていたから、二回目は大学生のとき、三度目はその15年後くらいですかね。これ、Kの死の(先生主観の)真相を知らないで読んでるのと、知ってて読むのとでは、また感じ方が違うんでしょうね。。。国語の教科書で最後の部分だけ読んでしまったため、前者の体験ができなかったことが残念。

ということで、結論を知っている私からすると前半部分が長くてつまらないものに感じてしまう。しかし、不思議なことに、先生からの手紙を主人公が読み始めてからは、ジェットコースターのようにページが進んでいきました。先生の手紙の部分は暗く、常に自分の弱く醜い心を批判し責め続けているのを読むと、自分も責められている気持ちになり、私自身が精神的に安定している時でないと、闇に飲み込まれて気が滅入ってしまいそうになります。。。

常に筋が通っていて矛盾のない人間であろうとすることは、潔白に見えるかもしれませんが脆いのではないか?と感じました。SNSなどの発展から情報の透明性が高まり、情報を隠すとこが過去と比べて難しくなってきており、何が本当で嘘か分かりにくくなっている現代では、常にブレない人・一貫して筋が通っている人が、求められるようになっていると感じています。

しかし、実際にそんな人は存在するんでしょうか?みんな自己矛盾を抱えながら生きていくんじゃないかなと。それを逃げと捉え、矛盾を飲み込めず潔く生きようとすると、八方ふさがりになり、死という選択肢しかなくなってしまうと思う。それは私は非常に危ういと感じます。なぜなら、まだ健康で生きることができるのであれば、生きて社会のために少しでも貢献すべきだと私が考えるからでしょう・・・

ここを考えていくと「何のために生きているのか?どう生きていきたいのか?」という議論になると思います。矛盾ない人間としての尊さをまっとうしたいのか、社会の役に立つことなのか、とにかく生を受けて生まれたものは生きているだけで価値があるとするのか、、、Kや先生の考え方に共感するかどうかは、彼らの「どう生きていきたいか、なぜ生きているのか」の考え方がなんとなく分かるか分からないかの違いのような気がします。きっと『こころ』を読んだ人は、「ここまで思い悩んで一度の人生で何が楽しいのか…」と思う人もいれば、自分が普段ふたをしている醜く弱い部分を指摘されている気がして苦しく感じる人もいるはずです。自分の生き方を考える良い機会であると当時に、人は生きている限り矛盾する部分が少しはあるものであり、罪悪感だってあり、それを受け入ることも必要だと思いました。そういえば、あんまり先生の罪悪感については触れられませんでしたが、まぁいいかな。今回は罪悪感よりも、生き方の方が気になったので。

この本はきっともっと深くて、例えばこの時代背景を知ることで先生やKの極端な思考を理解しやすくなるかもしれませんし、先生と主人公の父親との生き方の対比も面白いはずです。ということで『こころ』を考察する本を読んでみてもいいのかもしれませんね。



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