マイノリティとマジョリティ
先日、福岡女子大学の公開講座
佐々木誠監督作品
「記憶との対話」上映会+ダイアローグに参加しました
作曲家樅山さんの呼びかけで
立ち上がったアート・アクション・ユニット
マイノリマジョリテ・トラベル
約1年にわたり東京境界線紀行プロジェクトを実施
何がマイノリティで、何がマジョリティなのか
それがひっくり返る瞬間を通して
見る側の常識と概念を意図も簡単に覆していく
各々の思うマイノリティはもはやアイデンティティ
というドキュメンタル
そのプロジェクトから早10年
現在の境界線はどうなったか?というお話でした
境界線というか、自分の常識の狭さやったり
そのいわゆる線引きも結局、その狭い常識がゆえに
シラナイ世界はあちら側、みたいに引かれてたり
それはお互いかもしれないし、
その交わる点の少なさは何故だろうという時間でした。
いつ自分がマイノリティになるかもわからない
それは不安ではなく、
どちらの側面も持っているのが
ヒトってやつなのかな、なんて思いながら、、、
この公開講座の最後
その佐々木誠監督の新作、ナイトクルージングが
福岡ではたった1日だけしかも1回限りの上映会がある
というのを聞いたので、KBCシネマへ
劇中劇作品は加藤秀幸さんが監督
見えない監督の世界に
あなたは何を"観る"か?
加藤さんが映画を作るまでを追ったドキュメンタリー
そもそも映画の成立ちを知らなかったので
こんなにもたくさんの人たちが
携わって行くのかと!
映画の冒頭はグレーのみ、足音と風の音とか
日常の中であまり意識しない
無意識系なモノが光る
それでも仕草はなんとなし感じる、想像をそそる時間
こうやって自分の中の想像をそそられる時間って久々な感覚
そういえば、最近、本も読んでないし。
とか、思いながら
視覚に頼らない伝え方は、何事も裏付けの説得力というか
自分が消化してないものは人に伝えられないわけで
色相環の説明とあらゆる概念
それもフラットに概念として吸収してる時の加藤さんの
イキイキ感が最高すぎて
そんな加藤さんの言う空間構成についても興味深い
劇中のセリフもちょいちょい入れ込んでくる〜
なんて思いながらニヤニヤ鑑賞
0からの想像ってやっぱなくて
どっかのなんかのナニカで見たアレが知らないうちに根本にあったり
一言で赤と言っても色んな赤があるわけで、
でもみんな想像できる、共通の次元イデアってやつの
ズレが面白い
面白いに語弊はないと思って使う
福岡上映はなぜか、この一回のみ
それでも流してくれたKBCシネマに感謝感激です
久々に興奮した映画でした
今はインプットは〜と思いながら
実はそっちが足りてなかったのか⁉︎
カチカチ山な頭とは
しばらくオサラバできそうです
すっかり2人のファンになりました
そして私の思う障害っていうのは
各々の線引きや、障害の有無
というか、みんなと友達になるキッカケ
点の交わる瞬間の少なさ、それこそが障害やと思う
ほんなん、自分で動いて会いに行けや、とか
自分の行動次第でしょとか言われたくないんですけども
私は地域のお祭りで会ったりお喋りする機会のあるし
そもそも私もひきこもりがちなので
すぐ、部屋から出なくなっちゃうから
でも、それすらもわかってくれる(くれていると思っているだけか?)
ナチュラルな「友達」という距離感は本当にいいモノですね
飲み会に友達もつれていくねーって車椅子を押しながら行ったとき
1人で排泄が困難(居酒屋だとたまに狭い)
そんな時の一言
「よく、そんなコトできるね」って
「友達が酔いつぶれてゲーゲーしてたら拭いてあげるでしょ?」
ゲーゲーの方がよっぽど汚いしな笑
なんて言う。
「困ってたら手伝うよ、友達じゃん」
このナチュラルな距離感が羨ましくステキだな、と思う私には
無いと思ってたけど、まだまだうっすら線があるのか、
地域のお手伝いしてても
「ボランティアお疲れさまです〜」とか言われるけど嬉しくない
ボランティア活動にいきんだつもりはさらさらないし
むしろ、困ってるから助けてって言われて
(友達やお世話になってるヒトから)
それを断る心理を知りたいわ
ちょっと話それましたが、そんな今日この頃です
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