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人との接し方、いちINFJ女の話

人は少なからず相手によって態度が変わるものだと思う。その人との距離感、関係性、その人の性格、年齢、性別、色んな要素によって。 

「全く態度を変えませーん、みんなに対して同じです!」という人が居たら不思議だ。UMAとかネッシーの話をされてる気分になる。

私は人見知りだが、それを誤魔化して生きている(つもりである)。コミュニケーションは楽しい時も疲れる時もあった。疲れる時は、負の感情にやられそうにもなる。


そんな私の“人との接し方”について考えてみた。



まずは相手の様子をみる

初めまして、はどんな人かわからない。

この人はこう返答するんだ とか。
この話題はあんまり盛り上がらなそうだな。
この言葉で笑ってくれるんだ。
返答内容、表情、リアクション、テンション感、

会話している間、その人の雰囲気を感じる。

会話の中で何に反応するかを無意識下に探ってしまう気がする。「本当のその人なんて分かりっこないよな…」と頭では分かってても、探ってしまう癖が抜けない。


心を開くのは遅め

私はとてつもなく心を開くのが遅い。
物静かとか コミュ症とか、そういう話ではない。

以前noteにも書いたが、私は心の扉が段階ごとにたくさんあり、吟味して開け閉めを行うような感覚がある。


心を開くか否かを決める手段として、相手がどういう人間か見定めようとする。そのため会社でも雑談などの会話はきちんとする。

つまり、自分は簡単に心を開かず
まずは相手がどんな人か知りたい
といった感じ。



ひとり心理戦ごっこ

ただの会話なのに一方的な心理戦が始まることがある。

あれ、今日この人機嫌悪い?
会話、早めに切り上げた方がいいかもな
これは触れない方がいい話題だったかも…
声掛けるタイミング悪かったか…
この前よりすごく気を遣われてる?

そんなこと気にすんな と言われそうなことや、本当はただの気のせいかもしれないこと。
そういうことに、勝手ながら、すごく敏感だ。


(ご本人に「なんか今日ご機嫌ななめですか…?」なんて聞けるはずもないので、真相は不明です。でもなんとなく当たってるような時もあるからこれまた不思議。)


対話が好きなとき、疲れるとき

あまり話したことない人と話ができた時、なんだか嬉しくなる。いつもよりちょっとだけ深い話ができた時、これもなんだか嬉しい。

向こうはどうか分からないが、少し、ほんの少し、距離が縮まった気がする。
嬉しい時は、総じて向こうが楽しそうな時。お互いが楽しいなら尚のこと。

対して、変に様子を伺い続けたり、上部だけの会話や、思ってもないことを言わなきゃいけない場にはやたら疲れてしまう。

すり減らされてる感が否めない。心にバリアを貼ったり、会話からするりと逃げ出せればいいのに。それを上手くできない自分に もどかしさを感じる。


自分と接する時間を与える

対人関係を無理に頑張って、自分が疲れてしまうのはもうやめたい。
かと言って、人と話すことで楽しい面もある。それを見失ってはいけない。


人と接するのも大切だが、私に必要なものは「自分と向き合うこと」「自分とも接すること」だと、最近やっと気づいた。
(接する、と言うとまるで自分が2つ以上いるような言い方になってしまうが…)


頭でぐるぐる考えたり、時には紙に殴り書きしたり、こうやってnoteに文字として整理したり。いま私は何について考えたいのか、本当の感情はなんなのか、自分に問う時間を与える。

“人との接し方”については、これからも模索することになると思う。悩むこともあるだろう。
そんな時、相手について考えるばかりではなく、自分と向き合って、自分に還って、自分と接してみるのもいいのかもしれない。


おわり

追記:INFJと書いておりますが、あくまで個人的なお話ですのでお手柔らかに。

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