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心の開き方、とあるINFJ-Tの場合

私は他人に心を開くのが遅い。

心を開く、とはどういう意味か改めて考えてみたが「本心を明らかにする。心の奥底をうちあける。親しい気持ちになる。打ち解ける。」とのことらしい。意味を調べた上で、やっぱり開くのが遅いと思う。


よく、心を開くこと=扉を使って表現するが
この扉、人によって姿形が様々ではないだろうか。

私の場合、ずっしりと大きく重厚な扉があって 仲を深めていくと扉が開いていく…というイメージはない。
どちらかと言うと、たくさんの扉があり 相手によって開ける段階や扉の数を変えている感覚に近い。


仲の良い人には 開く扉の数も多い…、気がする。

距離感が分からない人は とりあえず心の中で戦闘体制を保つ。

社交辞令で楽しそうな顔して話すけど、全扉1ミリも開いてないなんてこともザラにある。


そんな私が心の扉を開く時はどんな時か。

そのうちの一つに、
その人のおもしろみを感じた時や
人間っぽさを感じた時がある。

ギャグセンスがあるとか そういう話ではない。
何かしらの発言・対応が私のツボに刺さったとき、私はその人に興味を持つ。
失礼ながら「こいつ もしかしておもしろいぞ!」とわくわくする。

今までの戦闘体制から一変、心の扉がバン!と開く。コナン君のアニメでCMに行く直前の扉くらい、その勢いは強い。
いきなり会話量が増えたり話しかけたりするので、向こうからしたら怖いのかもしれない…。
もちろん 相手の様子を伺いながら会話するので引き際は意識している。


そして逆に心の扉たちを閉じることもある。
これがINFJと検索する際に出てくる「ドアスラム」というやつに近いのかもしれない。

その人を悪く言う気持ちはなく、そういう人だと理解し、且つ相手を尊重したいからこそ閉める。
悩んだ末に何枚もの扉が閉められ、
限界値に達すると残りの一枚が静かに閉まる。

また、これは私だけかもしれないが
自分の余裕が0%なった時、1人になって篭りたい時 一時的だが心の扉を閉めることがある。
それをきっかけにドアスラムのような現象になることすらある。人に連絡ができなくなるのだ。

そうやって「心を閉じる」という行為もする。



その人自身がどういう人か。
その人の性格を考慮し、価値観を尊重する。
そして私にどう対応するのか。
それを踏まえて心の扉を吟味して開け閉めする。

だから人によって私に対するイメージが違ったり、長年仲が良くても知らない一面があったりするのだろう。
話す回数が多くても、年数が長くても、深い話をされても、心を開くか否かは関係ないのかもしれない…。

しかし、このやり方が私には合っていると思う。

よく心を開かない人は“コミュニケーションが取れない、人間関係が希薄”など、あまり良い印象に書かれていないように感じる。果たして一概にそう言えるのだろうか。心を開くタイミングは自分で調整する。それによって保たれる関係性もある。

心の扉が何枚もあれば、自分を守りつつ、相手を尊重した上でコミュニケーションを取ることもできるのではないかと思う。


1人の時の自分、その人の前での自分、職場、家族の前、友達の前…などなど色んな自分がいるINFJの私だからこそ、心の扉が何枚あってもいいのかもしれない。

おわり

追記:INFJの記事みたいに書きましたが、あくまで私の話ですのでお手柔らかに。

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