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自分の話をされると過敏に反応する私

誰かの口から私についてペラペラ話をされるのがとても苦痛だ。正確に言うと、あまり心を開いてない人に私の話をしてほしくない。
(しかもそれを鵜呑みにした人から様子を伺われたりするもんだから本当やめてほしい。)


そもそも あまり私を話題に出して欲しくない。
「誰もお前の話なんてそこまでしてないよ」なんて意見もあるのだろうが、現に人伝てに聞いたりするもんだから仕方ない。
例えこれがどんなに小さい内容でも、何故か心に引っかかってしまう。

誤解のある言い方をされてないか不安だし、
全部自分で説明するよ!となる。
とにかく私は、私の話をされることに過敏だ。


よく私を分からない奴に語ってほしくないのだろう。つまり信用してないのである。

しかし、人によって見せる部分を変えているのは私だ。なんなら滅多に心を開かないので、見せない部分が大半。「私のこと何にも知らないくせに!」とは言えないのではないか、とも思う。

よく知らない人の話をするなよ という意見もあるだろうが、これは私にもブーメランとして刺さる。
いや、ほとんどの人間にこのブーメランは刺さるんじゃないだろうか。

当たり前だが、他人の話をするときは 自分の偏見が入ってないか考えようという話だ。



好きなドラマに「ミステリと言う勿れ」がある。菅田将暉さん主演のドラマだ。(原作は漫画になります)

真実は人の数だけあるんですよ
でも 事実は一つです

真実はその人の捉え方次第で変わるから、人の数だけある。事実は起きた事だからひとつ。
これが私には とてつもなく響いた。そうなんだよ、それが言いたかった!と思った。

人の話をする時もそう。

まるで真実かのように話す人がたまに居るが、それはその人が捉えた真実。事実は何なのか、冷静に考える必要があると思う。


そういう事実と真実を混同した人に、自分の話をされることが嫌なんだな〜と感じた今日この頃でした。

人の振り見て我が振り直せ。
私も気をつけよう…。

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