普通が分からなくなってきた日々
昔からなんとなく悩まされてきた“普通”
なんとなく普通になりたかった
最近は、そもそも論を繰り広げてる
普通ってなんだろう?
まともって何?基準は?
何をしたら変わってる人なの?
子供の頃の自分に問いたい
「普通ってなんだと思う?」
大人になってしまった私は、
一周回って普通が分からなくなってきたよ…
普通しないよ? 変わってるね
一般論で考えて、世間的には
そんな言葉に敏感なったのはいつからだろう。
斜に構えて、「あなたの普通ってなんですかね。まずそれを定義していただかないと話始まりませんけどね。」とか思ってた時期もある。
私は、普通に囚われすぎなのだと思う。
謂わゆる“普通の人”は「普通とは何か?」とは考えないのかもしれない。「普通の人になりたい」とすら考えた事ないんじゃないだろうか。
人それぞれの普通がある、はず。
それぞれの価値観、ものさしがある。
それでいいのに。
私の考え以外、私には浮かばない。
他の人ことを分かろうとするけど、相手の気持ちを思い遣ろうとするけど、それでも自分以外はやっぱり違う人間なんだなって思う。
私には思いつかない考えを持ってるから。
だから惹かれるのに。
変わってるね、がプラスの言葉になれば良い。
(勝手にマイナスなイメージになったのもいつからだっただろう)
変わってる、という字には“変”なんて使うからだ!と暴論すら言いたくなる。
「みんなちがって、みんないい。」
金子みすゞさんの詩を思い出す。
小学生の詩の授業や道徳の授業こそ、いま大人になって響くんじゃないだろうか。
おわり
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