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そうかやっぱり私はオタクだった

自分の属性とは何かと考えることがある。
どうにも最近ひとつのことしか考えてしまうという情熱がなくなってしまい、加齢のせいだと心の中で片付けていた。
大河ドラマは好きだし歴史だって好きで調べたり本読んだりするけど、他に優先したいこともある。
ひとつのコンテンツに打ち込んで、X(Twitter)を開けばそのことしか投稿していない人に対して羨ましく思ったりもした。
きっと私はもうオタクではないのだと思った。

ところが最近どうにも思考がひとつの作品のことしか考えられないようになっている。
勇気爆発バーンブレイバーン』である。
なぜ私がいまこうして外出中にもかかわらずスマホでnoteを打っているかといえば、X(Twitter)を開けば昨夜放送された最新回のネタバレが乱立しているからである。
私は今日この外出のためにまだ最新回が見れていないのだ。
けど頭の中はブレイバーンのことでいっぱいで、油断したらすぐにX(Twitter)を開いてスタッフの投稿やファンアートあさってしまう。
だからこうして今noteのスマホアプリを開いてX(Twitter)を開かないようにしているのだ。

『勇気爆発バーンブレイバーン』の何がそうさせるのか。
1話から早々に様子がおかしい巨大ロボに触れてしまったからか。
イサミに対するブレイバーンやスミスのクソデカ感情に触れてしまったからか。
あまりにも腐女子心をくすぐる内容ではあるのは間違いないのだけど、それだけならここまでハマらない。

そもそもなぜブレイバーンが地球に降り立った瞬間からイサミの名前を知っていたのか、どうしてこんなにイサミを求めるのか、実は謎だらけのアニメなのだ。
謎があれば探究心が湧く。
このセリフやあの背景から実はこういうことなんじゃないかと、考察や妄想したくなる。
そして毎回のようにトンチキな行動をとる巨大ロボが笑いを誘う。
そもそもなんだあのなめらかに動くロボの口は。

私の思考は暇さえあればブレイバーンのことを考え、隙さえあればブレイバーンの過去回を見返している。
最初見た時に「人間のことが分かってない」とロボが人間を諭す様に違和感を覚えたが、その違和感は正解だったと分かってもまた見返す。

オープニング曲とエンディング曲が、珍しくキャラクター名が歌唱クレジットだということからも、ただの添え物ではなく物語からの地続きだと分かる。
ならばと、歌詞も熟読した。
回を重ねるごとに「この歌詞は今回のあのシーンに通じてる」と考えたりもする。

ついには脇に連ねるキャラクターについても考え始めた。
ハル・キング提督の心労を考えない日はない。

こんなにも頭の中を占められることが、この年になってもあったのかと自覚した。
相変わらず美術館や博物館、歴史は好きだけど、ハマり始めゆえの熱中具合が今ものすごいことになっている。

ああ、やはり私はアニメオタクであったのだ。
まだまだ私は「属性:オタク」と名乗っていても大丈夫だったのだ。

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