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移住 記事まとめ

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移住やUIターンした人の体験談やインタビューなどのすてきな記事をまとめるnote公式マガジンです。
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2021年5月の記事一覧

vol.025 海でカッパになった日

竹富島の小中学校にはプールがない。一昨年までは石垣島まで通い、プールで水泳学習を行なっていた。 昨年からは、先生たちの粋な計らいにより、竹富島のコンドイ浜で水泳学習が行われている。海が大好きな娘は、数日前からワクワクしながら「海でキュウリ食べるよ」と何度も言っていた。なんのことだろう? と興味が湧き、当日仕事の合間に車を走らせてコンドイ浜まで行ってきた。 私が到着したのがちょうど休憩時間に入るところで、小学1年生から中学3年生までの竹富っ子たちがパシャパシャと海水を跳ねさ

海士町に約3年半住んだ私が、移住を検討されるみなさんに伝えたいこと

はじめに海士町の求人に関する記事を作成してきましたが、求人情報だけでなく、海士町で働き、暮らすことをもっとイメージしやすくなっていただけたらと思い、私が移住した気持ちとともに海士町についてご紹介させていただきます。 島の様子を知り、離島だけれどもっと身近に感じてほしい、移住を悩まれている方の不安を減らしたい、なにより海士町の魅力を知っていただきたいです!! 毎月更新している「今月の海士町」では、月ごとに海士町で起こる出来事をまとめています。来月のイベントなどの予定も掲載し

京都に来て、1年が過ぎました。

京都に引っ越してきて1年が過ぎた。 (THE京都という感じの写真。) 15年以上横浜に住んでいて(それまでは地元の佐賀に高校1年の頃まで住んでいたので)、そんなに場所に縁がない。 縁もゆかりもない京都にノリと勢いで来た。 『実際引っ越して、どう?』と聞かれることが多いけど、私にとってはベストな選択をしたな、と思う。 よく『移住して良かったこと』的なものでも言われているけど、 ・同じ家賃でも関東と比べると広さが段違い ・自然が近くにあるのでリラックスできる ・すぐに

地方移住と音楽・ライブやアーティスト活動の関係性について

最近、15キロくらい痩せてやっと横向きで寝れるようになったミッチェこと宮沢です。 今回は移住と音楽について。 僕は約10年以上前からVJという音楽ライブで映像演出することをWEB制作とは別にやっていました。 簡単に言うと、紅白歌合戦で演奏の後ろで流れている映像です。(紅白でVJやった事があるわけではない。。) VJがどんなものかは自分のnoteに記事があるのでお手隙でご覧ください。 という音楽業界に足を突っ込んでいたわけですが、特にインディーズの世界で、アーティストも大

移住支援活動inしただ

 こんにちは。「移住支援チーム」の「新倉茉優」です。  私たち移住支援チームは、今年4月に発足したばかりの新しいチームです。主に、県外在住の方向けに三条市下田地域への移住に関する情報発信やサポートをしていく予定です。  今回は、私たちの自己紹介、そして活動内容と今後活動予定のものをご紹介したいと思います。 1.移住支援チーム  メンバーは4人で、神奈川、埼玉、大阪、長野と様々な土地から下田へ移住してきました。昨年12月から1月にかけては全国的な大雪で、帰宅すると家が雪に

現実異世界転生漫画!「漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件」

異世界転生シリーズの漫画ってジャンルが確立されてきましたよね。『転生したらスライムだった件』とかAmazonプライムで観て、そのあまりのチート級の強さに快感を覚えます。 今日はそんな転生ものの現実バージョンの紹介をしたいなと思います。その名も。 『漫画編集者が会社を辞めて田舎暮らしをしたら異世界だった件』 講談社から発行されている「イブニング」に連載中のこの漫画、1巻が発売されていてKindleで買って読みました。 なぜこの漫画を今日紹介するのかと言うと、実はこの原作

100日後に地方創生の小さな一歩を踏み出すブログ 1日目

こんばんは。お疲れ様です。首都圏内の過疎化が進む小さな村の観光地に一縷の希望を見出したく行動を起こす男です。タイトルがすでに流行からだいぶ遅れをとっていますが、これしか思い浮かびませんでした。 地方創生を起こすこの土地は、昔は観光地として栄えていましたが、それももう20年前の話。地元にあった小学校5つはすべて廃校となり、中学校と統合されました。人はいなくなり施設はさびれ哀愁漂うこの地域、それでも自然豊な資源は残っています。都内からなら車で高速道路を使って1時間半と交通のアク

山梨での暮らしは偶然とつながりに生かされている(鈴木の場合)

こんにちは、 山梨移住計画のメンバーの鈴木啓太です。 フリーランスのWebディレクターとしてウェブサイトをつくる仕事をしています。出身は東京都葛飾区。2012年に妻、4歳の息子、1歳の娘とともに家族で山梨県北杜市に移住しました。 今回ははじめての記事ということで、自分が山梨に移住するまでの経緯を振り返ってみたいと思います。 偶然が重なって、山梨にいます最初に山梨への移住を考えるようになったきっかけは、2011年の東日本大震災。当時は東京の多摩のほうに住んでいて、近くのスー

地方移住とパラレルワークは相性がいいかもしれない。

 好きな場所でも、仕事がなければ暮らせない。かといって誰もかれもが起業したりパラレルワークやフリーランスの決意ができるわけじゃない。そんな不安定なの怖!  それでも30才のタイミングで東京を離れたくて、自由の時間を買ったと割り切り、無職で静岡へ引っ越しました。その後、紆余曲折はありましたが、今は二か所の職場に通うパラレルワークで元気に暮らしています。  そんなことをまとめて投稿したところ、たくさんの方に読んでいただきました。反響の大きさに、移住への関心の高さを実感しています。

「古民家再生というコトバがしっくりこない。」をもうちょっと考えてみた。

築200年とおじいちゃんは言っていたらしく、その側で育った従姉妹は築220年と推定(築年数更新?!)している古民家を息子と一緒に引き受けました。この場をどう利用するかは、まだはっきりとは決まっていない。とりあえず3世代分の家財を通いでお片づけしながら思案中。 お片づけに通い始めた頃に「古民家再生というコトバがしっくりこない。」という記録を書きました。カラダを動かしながら、通いながら、そのモヤっとしたところが少しずつ分かり出してきました。 そのモヤっとしたところとは、「家」

「移住体験記」@山梨県富士吉田市

5月10日から1週間、富士吉田市にて「移住体験」して来ました。 (自粛期間中なのに🙇) ☟ふじよしだ定住促進センターが運営する「NERUTOCO」という施設に宿泊させて頂きました。 3月に申込みした時点では、ワーケーション需要もあり4月末まで満室とのことで、この時期になったのですが、とても有意義な時間を過ごすことが出来ました。 1.なぜ移住体験しようと思ったか?☟下記ブログのとおり3月末に会社を辞めたことがキッカケです。 会社を辞めて次の仕事をするまでに、自分の中で「空

人口密度の低い町で暮らすということ

「余裕を持つようにしてます。余裕がないと、人にやさしくできないので」 と、友人Aちゃんは言った。 彼女も移住者で、移住者の私にも本当によくしてくれているのは、この土地でたくさんの恩を受けてきた証でもあるなと思う。        ◇     ◇     ◇     ◇ 私の長年暮らしていた中野区は、東京23区で2番目に人口密度が高い。 私が今暮らしている岩手県は、全国で2番目に人口密度が低い。 岩手県は北海道に次いで47都道府県で2番目に面積が広く、すなわち本州では一番で

【マイストーリー#2】山形自然暮らしへの道のり。いざ、屋久島へ。

国際協力を実施する日本政府機関に勤めて11年目に突入。 「人の健康を支える仕事✖️世界で活躍する仕事」、「自己成長できる仕事」を志して大学院卒業後に東京へ上京、アフリカを中心とした世界への出張、日本国内も元気にするという、やりがいのある仕事をしながらも、キャリア一時休戦で、育休を長期間とり、実家の山形へUターンして自然の中での生活を送っているきっかけを、3部作にてお届けします。 前回のストーリー⬇︎ 【マイストーリー#1】山形自然暮らしへの第一歩。きっかけとなる切符 ー

【移住、してみる⑭】虫には秒で慣れる。

5月1日に瀬戸内海の大三島に移住しました。 移住までのあれこれ 都会からの地方移住、特に田舎であればあるほど心配&心配されたのが 「虫とかいっぱい出るんでしょ?大丈夫?」 はい。虫問題。 これは必ずと言っていいほど直面しますね。 特に東京生まれ横浜育ちの虫嫌いの夫と、「虫こわ〜い!」が口癖の都会っ子どもたち。 わたしは田舎育ちとは言え、上京して20年ほど虫との遭遇が激減したためすっかり免疫を無くし、喜んで虫採集して飼っていた当時の面影はどこへやら、ここ最近はバッタ