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安定企業を辞めて海外大学院に進学する3つの理由

私は、新卒から5年4カ月勤めたユーザー系エンジニアリング会社を辞めて
8月末よりリトアニアのヴィリニュス大学院
社会科学修士課程に進学する。

勤めていた会社は、大手繊維メーカーの子会社であり、福利厚生や待遇は申し分ない環境だった。

業務内容は、電気自動車用のリチウムイオン電池用製造設備の営業活動であり、今後も成長が見込まれる分野だ。

数十億円もする設備の契約を取る過程は、
困難の連続だったが、
5年目で大きな成果を得て、
大変有意義な経験を積むことができた。

未熟者の私に社会人のイロハを指導いただいた職場の方々には感謝しかない。

そのようないわゆる「安定企業」の企業戦士として
働いていたにも関わらず,
なぜ海外の大学院に行く決断をしたのかを
3つに絞ってお伝えしたい。

多くの人に突っ込まれるなぜリトアニアを選んだかは
今回触れず、民間企業から海外大学院決断に至った理由に焦点を当てる。

1.一定期間余白を作りたかった。

1つ目の理由は、一定期間余白を作り、腰を据えて1つのことに集中したいと強く思ったからだ。

正直に言えば、企業戦士としての仕事が激務で
常に脳疲労状態が続いていた。

私自身マルチタスクが苦手な性格だが
本来の業務に加えて毎日の問い合わせやトラブル対応に追われ、さらには一部の人間関係で大変疲弊し
心身の限界に近づいたことが何度もあった。

おそらくサウナがなければ休職するほどに
追い込まれていた。

そして、学生時代や働きながらNPO法人WELgeeのボランティアで難民の方々と関わっていた時の「情熱」
薄くなり、ニュース記事を読んでも
以前のような違和感や様々な考えを持つ事が
出来なくなっていると感じた。

心を亡くすと書いて「忙」と書くように
「忙しさ」が心身の健康や思考、情熱を奪っているのではないかという疑問が湧き上った。

そのため、実務から一度離れ、余白を作る期間があっても良いのではないかと考えた。

1つのことに集中し、自分の興味のある分野を学ぶことで、新たな視点が開けるのではないだろうか。

もちろん、英語で修士号を取得するためには1年半という短期間で多くの勉強をしなければならない。

余白と言っても、暇な時間などは存在しないだろう。
しかし、大学院期間は、企業戦士の時に比べたら
ある程度のゆとりを持つことが出来るだろう。

日々の生活に余白を作り、勉学に専念した上で
自分の未来に向かう道を再考したい。

2.強烈な危機感

2つ目の理由は、強烈な危機感を感じたからだ。

入社してしてからポンコツ過ぎた私だったが
5年目でようやく数字で語れる大きな成果を出すことが出来て、有難いことに会社で表彰された。
(逆に言うと4年間はずっと真っ暗闇なトンネルの中にいる感覚だった。)

と同時に激務な仕事や生活環境に「慣れて」しまった。

心理学でいうとコンフォートゾーンと呼ぶ。
このまま安心領域に留まり続けると、思考が停滞し、
本当にやりたかったことを完全に忘れてしまうのでは
ないかと危機感を感じた。

5年目に職場の先輩方や上司をまじかに見て
数年後や10年後「自分の未来」が想像することが出来た。

その未来は、自分がなりたい姿ではなく
「このままでは、いけない!」と痛切に感じた。

今一度自分に問いかけたことは
このままで満足か?
自分は本当に何をやりたいのか?
何に夢中になれるのか?

この問いかけに対しての答えを実現するには
リスクを冒して、安心、安定を捨てて
何がなんでも環境を大きく変える必要がある。

現状維持は、あり得ない。
沈んでゆくか、成長するかのどちらかだ。


自分のコンフォートゾーン(仕事、居住環境、関わる人)を抜け出して、
自身の関心を持つ学問を探求するという修行は、
新たな出逢い・経験を生むだろう。
だからこそ、日本ではなく全く未知の国で勉強することが最良だと考えている。

3.好奇心に従いたい


3つ目の理由は、自分の関心ごとへの好奇心だ。
私は
「難民・移民など様々な理由で自身の能力を
発揮出来ない人たちをエンパワーメントできるか
どうやってそんな社会を作れるか」
を実務と理論の両輪で学びを深めたい。

そののきっかけは、20歳/大学2年生終了後に休学し
世界一周の旅の途中で訪れたパレスチナにて、
紛争がその土地に住む人の
あらゆる機会を奪っている現実を
目の当たりにしたことだ。

帰国後、日本のNPO法人WELgeeでのボランティアを通じて、日本に住む人権が蹂躙されている難民の方々の
ユニークな個性・ポテンシャルを持つ人たちを知り、
心が震えたことが何度もあった。

NPO法人WELgeeとNPO法人NICEの仲間と立案した
1泊2日の難民ワークキャンプは、
卒論のフィールドワークと合わせて実行した。

手応えがあったことで私が卒業後も継続して開催し
3年で日本人、難民申請者の方々合計して
合計12回/約100人にプログラムを提供することご出来た。

そのようなバックボーンを持つ私が
自分の原体験から湧き上がる「情熱」を改めて
再燃させる出来事があった。

それは、2022年終わりの大晦日に
5年前に執筆した卒論のあとがきを読んだことだ。

卒論では、ベルギーの難民センターや千葉の難民ワークキャンプ、青森での難民申請者と地元の高校生との多文化共生合宿を卒業論文のフィールドワークとして
取り組み、日本の難民問題について書き上げた。

こちらが卒論の66頁目あと書きの抜粋だ。

情熱を注いで執筆した本稿は、私の大学生活の集大成であり、この過程で学 べたことは今後の人生で何らかの形で活かされるだろう。本稿は、私の今後の原点になる だろう。将来、人生の岐路に立った時、本稿を読み返し、情熱を注いだ日々を思い出した い。


2017年度明治学院大学社会学部社会学科卒業論文
https://soc.meijigakuin.ac.jp/image/2018/04/2018-ki.pdf

2022年は仕事で大きな山場を迎え、とある人間関係で
メンタルを壊しかけていたが、体に鞭を打ち
大学院の準備に取り組んでいた。

心身ギリギリの状態でいつプツンと糸が切れるか
分からない状態だった。

まさにいま、人生の岐路に立っていた。

2022年締め括りの日にこの1文を読み
恥ずかしながら
涙が止まらなかった。

同時に探求した日々に思い返し、
好奇心・探求心の原点に立ち返ることが出来た。

「よし。海外の大学院に行こう。環境を変えよう」
と改めて決心した。

明確な論理はそこにはなく、ただの偶然と私の直観が絡んでいる。

未来のことを下手に考え・不安になるより
今このタイミングで「これを探求したい」という好奇心に従い自分の欲求を叶えてあげることが自分にとって
重要なんだ。

まとめ
私が過去に取り組んできたこと、そして社会人生活5年での悩み・葛藤から、リスクがあろうと安定企業を抜け出して、海外大学院に
進学したい理由を紹介した。

周りの多くは応援してくれているが、
職場や近親者の中には、私の今後を心配する旨のお言葉を頂いた。

「大学院に行くのは良いけどその後はどうするの」
「君の将来が心配だ」
「いま考えている目標が叶わなかったときの
バックアッププランはあるのか」

みな私の身を案じてて言っていることだ。
有難い。

ただ
小さな声で、
“黙って見ててくれ!”
と言いたい。

どんな結果になるかなんて分からないが
自分で人生のサイコロを振るという決断をすること
それは、きっと意味のあることだ。

自分の可能性を最も信じられるのは自分だけ。

この決断が自分の将来の物語を紡ぎ
良い未来に繋がると信じ切りたい。

PS:これからこのnoteでは、私のリトアニア留学における備忘録や
これまで考えていたことを言語化するために、
いろいろ書き記していきたいと思います。
閲覧していただけたら嬉しいです。

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