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知らなかった自分の感情

こんにちは!かいとです!

ゲストハウスを開くために、7月から長野県信州塩尻の古旅館シェアハウス「宿場noie坂勘」に移住し、坂勘の運営をしながらコミュニティ形成や繋がりについて学んでいます。

最近は、文章でのアウトプットが滞っていた代わりに音声でのアウトプットに力を入れていたのですが、音声では時間的制約や思いついた事象にたいして思考するので深くなりずらいなあ、と思い、

ラジオで話したことを補足・深掘りして書いたり、日々の多くの学びを文章でアウトプットする場が必要だなと再認識したので、これから継続的に書いていきたいと思います!


継続しながらアウトプットすることが目的なので、短く読みやすい形で発信していきたいと思います。

長野県の田舎、坂勘に移住して変化したこと

僕が移住して最初に変化したと感じているのは、

自分自身の内面がまっすぐになった

ということ。

前よりも素直になったり、純粋になったり、肯定感が高い状態になっている状態な気がします。

長野県の田舎にあるシェアハウス『宿場noie坂勘』に住んでいるのですが、
このシェアハウスを通して関わる人とは、

肩書きを通した自分ではなく、ありのままの自分として関わっている気がします。

みんな、僕と話をするときに、僕が何をしているのかという情報の話よりも、どんなことを思って生きているのか、何をして生きていきたいのかという内側の僕自身の考えや思想を聞いてくれます。

僕という人間性を肯定されている感じ。

そういう環境の中で生活しているからこそ、目の前にいるひとを大切にしようって思ったり、好きだな、さみしいな、嬉しいな、っていう感情が全て表に出てくるようになったんです。

そして、そういう感情を人に対して表現できたり、感じることができる自分が好きになって、そんな自分を肯定してあげられるようになったので、周囲の人に対しても肯定することができるようになったのかな、と思います。

時々感じる焦燥感のような感情

焦燥感、という言い方が正しいのかわかりませんが、

シェアハウスに暮らしている大半の人は今、自分で仕事をしたり、夢を本気で追いかけている人がたくさんいます。

そこには、熱意や志が野望が込められていて、本気で生きていると感じるし、そして実際に生み出されたものがある。

この場所にいると、

僕は何を生み出せているんだろう?

焦燥感とも虚しさとも取れる感情が心の奥底であって、その感情に以前よりも気づけるようになった今、時々泣いてしまうんです。

何も生み出せてないじゃないか。

もっともっとやれるじゃないか。

って自分が言っているんです。

悔しくて悔しくて、負けられないんだって感じます。

少し泣きやすくなってしまったけど、
この感情が芽生えるようになって、すごく良かったと思っていて、
今まで感じることができなかった悔しさを感じられるからこそ、もうちょっとやろう、もっとやろう、って思えるんです。

今日はちょっと終わりにしようかな、、
と思ったときに、目の前の大好きなみんなが僕を奮い立たせてくれるんです。

だから、今できることを全力でやるし、目の前の人たちを大切にしながら生きていきたいと思うし、この気持ちをずっとずっと大切にしたいなと思います。


読んでいただいてありがとうございました!
noteでのアウトプットもできれば毎日やっていきたいと思っているので、また読んでいただけると嬉しいです。

それでは今日はこの辺で。
また明日ー!










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