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「私は傘を4本持って出掛ける」

もうすぐ梅雨入りだ。

今日も曇りと雨の中間のような天気だ、
これは小雨なのか、曇りなのか。
ハッキリしていただきたい。

私は今日片手に2本ずつ傘を持って歩いている、
つまり、計4本だ。

自分の傘が1本、
残りの傘は、全部借り物だ。

普通に考えれば、
1日1本の傘を持ち歩きながら、
歩けばいい。

それなのに何故
私は1気に4本の傘を
持ち歩こうという思考に
至ったのか、それに基づいて
かがりねんという存在を
紐解いて行こうと思う。



この傘は3本とも
借り物の傘だ。
私のものじゃあない。

まず、私は天気予報を見るという
習慣もないし、折り畳み傘を持ち歩く
習慣もない。

なので、出先で雨に降られると、
そこにいる人から、
「この傘つかって」と言われて
傘を借りる。

それを3本分繰り返した訳だ。

この時点で、まぁ……おかしい…
ちゃんと傘を私が持ち歩けばいいだけなのに……



しかも、それを1本ずつ返せばいい物を
私は3本まとめて持って行こうと思うわけだ、
トータル4本。

今日は湿度が高い、汗もかいていて、
前髪はデコに張り付くし、
ボロボロの服、
体に対して小さ過ぎるリュックに、
酷い猫背。

不信感フルコンボだドン!
もう1回遊べるドン!状態だ。

こんなん傘泥棒にしか見えないわ。

まぁ、実際には誰も見ていない。
人間はみんな忙しいんだ。

他人なんて見ちゃいないと突然冷静になる。



トータル4本の杖をつきながら
私は歩く。

うーん!カチャカチャして、
邪魔でしかない!邪魔!!

だけど、傘を借りパクをしたくもない!
嫌いな傘で嫌なイメージをつけられるのは
もっと嫌なんだ!!

絶対に傘を綺麗に返してやる!!

しかも、計画的に
傘を1本ずつ持って返しに行けば、
計3日も傘に片手を縛られる。

そんなのはもっと嫌なんだ。
3日も傘を持ち歩くなんてゲーだ。

そんなことするくらいなら、
ばっと、3本まとめてガチャガチャ
歩きながらでも返したい。

傘は長く重い。
それが歩く度にガッチャガッチャぶつかり合って、足にまとわりつく。邪魔くさい。

私は傘を1本ずつ持って行こうと
思えない自分に⸜( ‵_′ )⸝プスンプスン
している訳なんだ。

今日はなんだか、
プスンプスンしている。

怒りとか悲しさじゃないんだ、
プスンプスンが1番ちょうどいい表現だ、
言語化できない気持ちなんて
いくらでもあるんだ、
それを無理くりなにかに当てはめたら、
消える物が多すぎる。病名と同じだ。

機嫌なんていつも良くいられないんだ、
プスンプスンしてる日もある。
そういう時は書くことによって、
プスンプスンを発散するんだ。私は。

脱線した、話を戻そう。




私は雨に打たれるのが好きだ。
だから、傘を差すってのは
人に傘を預けられて、
傘をさしてと言われたからだ。

カバンにはいつもスーパーの大きな
ビニールブクロを入れているから、
カバンの中のイヤホンやipadは、
ちゃんと無事になるようにしてる。

雨が好きだ。
はたから見たら、
「傘を忘れちゃったんだな……大丈夫かな……」
と思われることもあるのかもしれない、
でも濡れたら濡れたで、
別にいいじゃないか。

風呂だってあるんだし、
雨に濡れると冷たくて風邪を
ひくってことも分かるけど、
もう20年生きてりゃ、
どのくらいの距離びしょ濡れで歩いたら
風邪をひくかくらいわかる。

それをわかった上で、
傘をささずに歩くわけだ。

雨は気持ちがいい。
「傘をなんで持ち歩かないの?」
と聞かれても、気持ちがいいから
としか答えられないけど、
この答えは、
私をある程度知っている人にしか使わない。

そんなこと、関係の浅い人に
言ったら、痛く頭のおかしい異常者でしかない。

もうそれくらい分かるのだ。



だから、距離を取りたい人には
敢えて、狂人キャラを装うこともある。

でも、そんな人もう最近出会わない。
だから、少しでも、
まともな人間に見られるであろう
回答を提示する。

ついつい忘れちゃっただの、
どっかに置いてきちゃっただの、

持ちもしない傘の嘘情報を
ツラツラと事実のごとく喋る。
笑いもとる。

実につまらない。




本当は傘なんて邪魔でしかない。
片手が塞がるのも大っ嫌いだ。

でも、傘を貸してくれる人は善意でしか無い。
優しい、その思いやりは好きだ。
あたたかいあたたかいけど、
傘は嫌いだ。

傘が嫌いだ
そう言いながらも
皮肉にも私の両手は4本の傘で埋まっている。

手が使えない。
触りたいものがあるのに、
まず、傘を置くというワンステップを
踏まねばならない、
実に不愉快極まりない。

リュックの持ち手に引っ掛けてもみたが、
歩く度、ふくらはぎの筋肉に
傘ぞこが引っかかって、
1本ずつパタリパタリと落ちていく。

不愉快ヘンゼルとグレーテルか。

1本ずつ落ちていくのがまた、
いやらしい傘共だ。

普通の人は傘をさすのがあたりまえ。
だから、私はさしているだけなんだ。

本当は人目がなくなりゃ、
傘なんて閉じる。

そんなこと、言っても
傘を私に貸してくれる人は好きだ。

その行為には慈愛と思いやりがある。

傘を貸すのは当たり前のようだけど、
愛なんだ。

でも、傘は嫌いだ。

その人達は好きだ。

かがりねんは
こういう好きと嫌いの板挟みの中、
普通に擬態しながら生きている。

尖り続ける、勇気とかないんだ。
気力とか無いんだ。

結局は、
大衆の普通に寄り添って
普通になりたい。

だから、我慢して、
傘もさす。

大雨の日なんて、
最高なんだ。
傘をさすのが勿体ないじゃあ
ないか。

大雨は、
本当に気持ちがいい。

服越しに、
水が当たる感覚、音、振動、
なんて気持ちが良いんだろう。

雨はなんて綺麗なんだろう、
みんなに嫌われてる。
頭が痛くなるとか、ボーっとするとか、
ジメジメするとか。

気持ちがいい。
心地がいい。

大雨に打たれている時は
「もっと!もっと強く降って!」

と思う。
少しでも弱くなったら、
寂しく感じるほどに。

でも、こんなこと、
リアルでは言いはしない。

こんな事を意気揚々と喋る
自分を想像すると不快だ。

実に痛い。

かがりねんの時は、
リアルの人間関係なんて関係無い。

何を言おうがただの
インターネットの泡程度でしかない。

それが心地よい。
責任感なんて持ちたくないんだ。
いつだって無責任でいたい。

無責任だと思う

だって、いつから私が自分の発言に
責任を持ったなんていった。

責任は怖い。だから、逃げたくなる。

逃げるは恥だが役に立つ
だけど、信頼は確実に失うのも
事実でしかない。

逃げ得は、
その逃げた後に自分を襲う
思いが大きくならない人なら、
すればいいと思う。

する時はいいんだ、それで。
でもした後にも、
毎日、日常はやって来るわけで、
その中でそれを思い出さずに
いられる人間であればいいんだ。

逃げるは恥だが役に立つ、
しかし逃げたあとの
自分の思いに追いかけられる。

あぁ、生き辛い。

結局、人生は鈍感力が
あるものが心身ともに健全に育っていける。

私は鈍感だ、
だけど、変な所に電波塔が
あって、変な情報ばかりキャッチしやがる、

ノイズばかりだ。

きっとこの文も、
私が30歳くらいになったときに
「あぁぁぁぁぁ!?!!
痛い!実に痛いよ20の自分!!うわぁぁぁ!?」

ってなるのは、
明白なんだ。だって今の私も、
中高生の時の文や絵を見て、
ウギャァアァァァァアアァアァァァアァ!!
ってなるんだもの。

若さは痛い。
でも、その痛さも
今しか出せない価値なのかなと思う。

知らんけど。



今日のnote終わり!

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