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最近の記事

「主意主知不自由」の「濃いめ固め少なめ」性について

 「不自由」とは「意のままにならないこと」を指すが、これもまた違和感のある表現である。はたして「意」を「まま」にするとは、何か。そもそも自分には「純粋に自分から表出」した「意」があるのか?という感じもする。常々「なんだかんだで流されながらも、まあそれでも人生十分だよね」という頽落もまた「意」と言えなくもない。というか「意」であると言い得たい。ので、もう少し客観的に「主意」と「主知」という観点から「意」を考えてみる。    主知主義=intellectualism はヒトの活動

    • 毎日のメタローグ

      240519 / 自転車の規則について YUU(12)-  歩道を通行するのは、子どもの場合なら良い。これは「わたしたちの安全」という教科書にもそう書いてあり、習いました。 TOCHAN(42)-  こどもとは?小学生を指すのだろうか。 Y- たぶん、そう。 AO(7)- なになにー? T- たとえば、ヘッドフォンをしながらの走行は禁止。これは周囲に向ける注意認知のための規制。ヘッドフォンをしながら走ったことは皆ないから、こんど安全な場所で試してみると、その危険性が

      • 応用行動分析的にゴーイング・ゼロを考える

         先週勉強した「応用行動分析」の一部が、“テキスタイル的”な「あいまいさ」についての示唆を含むものだったので、抜き出して振り返りたい。  「知的発達についての理解と支援」で概観したとおり、近年の知的発達に関する検査群は、「ヒトその人」(サン=テグジュペリのいう「ものそのもの、ことそのこと」)を理解しようとする試みから離れ、特定の能力の測定を行うことに焦点が当てられている。ここには、知的機能と適応行動の差異が一見見つけづらいばかりか、「社会側から押しつけられている障壁」によっ

        • 毎日のメタローグ

          240514 / 家の掃除の役割をどう定義していくか KA-CHAN(42)ー 今日は「毎日の掃除の義務をどうするか問題」を話していきたいと思います。毎日毎日「やりなさい」と言いたくない。これをどうすれば良いのか。みんなどのように考えているのか。早速ですが、おふろ掃除は、一人が担当をした方が良いのではないか、と考えています。 YUU(12)ー それはそうと、白米はそのまま食べた方が美味しいと思っています。 TO-CHAN(42)ー 白米をそのまま、とはどういうことを意味

        「主意主知不自由」の「濃いめ固め少なめ」性について

          現象学の基礎の基礎を内面化して、意味が意味たる意味を知りたい

           ここからの人生では「意味」を追求したい。と考えている。 もっと「自然的態度」を自分のなかで大事にして、「理念の衣」を通して世界を見ることを棚上げし、意識にあらわれる「意味現実」を大事にしながら、そうして「意味」に軸足をおいて日常の生活世界を歩もうとしている人たちと生きていきたい。あと、「現象学的なケア」という分野があるように、自分は物理的生理的な支援よりも、心理的支援、現象学的意味の支援が向いていると思ってもいて、その支援のツールとしてテキスタイル的なものの活用を目指してい

          現象学の基礎の基礎を内面化して、意味が意味たる意味を知りたい

          「視覚聴覚の障がいについての概説」を内面化したい。

           30年以上そうなので、普段は忘れているが、右耳の聴力が極端に無い。  滲出性中耳炎様の症状で以前は定期的に耳鼻科に通っていたが、今はある種諦めというか、まあ大丈夫だろう、という心持ちにあって、寛解と言って良いのか、とにかく自己納得的寛解のような感じである。聞こえは、右耳だけだと、子のデカいくしゃみがかろうじて聞こえるぐらいで、これはこれで非常に便利な活用法もある。寝るときに、左耳を枕に向けて横になると、ほぼ無音になり寝入りが良いし、制作作業中など右耳だけにAirPodsを

          「視覚聴覚の障がいについての概説」を内面化したい。

          「社会における“障がい”の変遷」を内面化したい

           放送大学、心理と教育コース、21年開設科目「障がい者・障がい児心理学」を学んでいる。  基本的に、各章ごとに教科書をさらい、ポイントだと感じるところにマーキングする。といっても、受講前なので当然ほとんどがマーキングされる。つぎにそれをスキャンする。ここ1年でMacintoshの標準OCRは大変進化しているので、おおいに恩恵をうけているどころか、それありきの勉強手順となっている。  以前は、スキャンした文章を適宜トリミングし、それをまずグーグルドライブにいれ、ドキュメントで開

          「社会における“障がい”の変遷」を内面化したい

          小説歩き、コンドル、比較伝統、それと煎餅屋。

           春分あたりの平日、久しぶりに東京へ向かう。何年か前は毎週の土曜日に、なんやかんや講義をしたり、打ち合わせをしていた事を思うと、その気力体力がまるで夢であったように感じられる。いまはもう、数ヶ月に一度でも十分なほど、価値刺激受容体が低下してきている。必要なのは外部刺激ではなく、知識とその知識の内面化なのだ、と言い訳をしながら、自らのバイタリティを甘やかす。打ち合わせを終えて、AKと合流するために上野に向かう。合うのも久しぶりである。仙台では未だちらちらと降雪があり、肌寒さに我

          小説歩き、コンドル、比較伝統、それと煎餅屋。

          スタニギー再再考の中の、ハリー・ハーロウ

          スタニギー(うさぎ)に、よだれがつーっと染み込んでいくのを見る。ぬれそぼった痕跡が広範囲にひろがって、スタニギーは、より重たそうに垂れさがる。この子(スタニギーのこと)も、それはさぞや本望だろう、と考えて、良かったなあと目を細める。スタニギーがよだれを引き受けるという行為は、歴とした仕事である。郵便局員が、郵便物をしっかりとお届けするそれに相当する。だから、よだれを一身に引き受ける彼(スタニギー)の姿は、とても誇らしいし、本来的なあり方だ。  その日はじめてうちに来た男の子は

          スタニギー再再考の中の、ハリー・ハーロウ

          わたしたちは「脳虫」なのかどうか

          「脳虫」という存在がある。 脳の虫という、実直な名称に相対すると、清々しい思いがする。ときに、アリクイもそうであるし、オオアリクイは、よりそうである。ナマケモノもなかなかに実直ではあるが、厳密にはモノ・者なのかどうか一瞬、判断を迷う部分が、次点に欠した採決の所以であると識者はいう。さて、こうした実直さに裏打ちされながら、R・ドーキンスの「延長された表現型」では、ケルカリアといった線虫が、この「脳虫」として触れられている。 『「脳虫」は、その名にふさわしくそのアリの行動を変え

          わたしたちは「脳虫」なのかどうか

          民族心理学的にテキスタイルを紐解こうとすること

           ウィルヘルム・マキシミリアン・ヴントは、実験生理学の影響を受けながら、1800年代後半、それまで哲学者が専門的に思考する分野であった「心理」というものを、世界ではじめて実験的に捉え、観察・分析を通してその「心理」の要素と構成の法則を明らかにしようとした人物である。1875年にライプチヒ大学の物置小屋を改装するかたちで作られた心理実験室の発明をもって、実験心理学の父とされ、心理学史の多くが、この年を「新しい学問としての心理学の誕生の年」としている。もちろん、エビングハウスが1

          民族心理学的にテキスタイルを紐解こうとすること

          発達を区分することと、その区分でテキスタイルを捉えようとすること

           「発達障害という名称は、生来的に示す言動や認識に対して、その特性から分類し、医療の対象として認定した物である。僕はこれを脳のタイプに対する分類名称と理解している。」と、こころとそだちクリニックむすびめの田中康雄氏は述べる。(こころの科学 227号 発達障害の支援をつなぐ・発達障害を背景にもつ不登校児童・生徒と家族への支援)  普遍的ヒトとしての、正しいとされる脳のタイプは決められいない。はずであるが、現代社会には概してそのような、正しいとされている脳のタイプというか、振る舞

          発達を区分することと、その区分でテキスタイルを捉えようとすること