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発言が誤解されて、嫌われたかもなって

「あー、あの時の発言、誤解されたかもなぁ」という事に思い当たって、なんだか全部が上手くいかないような気持ちに陥る事がある。今がそう。

気づいたが最後、誤解を与えたであろう様子を思い返して「あー完全に誤解を与えたわ」「あの表情は確実にそう」「嫌われたに違いない」という方向に考えが振れてしまう。まだ誤解されたって決まったわけじゃないのにね。

それまでルンルン楽しい気分でいれたとしても、誤解の可能性を考慮しはじめると、全部台無しになっちゃう。悲しい。ひどい時だと、できればもう誰とも関わりたくない!どうせ嫌われる!人間関係をリセットしたい!というところまでいく。

もう大人だからそんな事しないけど。

思うに、誤解される事より、誤解された後の対応が問題を引き起こすんだと思う。

「あの時は誤解したけど、総じてみれば暇真ちゃんは良い子だよ。だから仲良くしたげよ!」と思ってもらえるように、愛想良く振る舞う方にエネルギーを費やす事が大事なんだと思う。間違っても、嫌われたであろう世界線を想像する事にエネルギーを使うべきではない。

誤解を与えてしまったからと言って、変によそよそしくしてしまったり、もう関係の修復は難しいですと言わんばかりに自分から関係を断とうとしたりするんじゃなく、また新たな印象が上に蓄積されるのを待つしかないんだ。

誤解に動揺して、余計に悪い印象を与えないようにしよう。自戒。

2024/05/24_37

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