年の差がある友だち
私「友だちほしいなー」
相手「新しい職場で見つけたらいいよ」
私「でも年齢が違ったりするだろうし…」
相手「あー、年の差気にするタイプ?」
私「気にしない!気にしないんだけどさー!」
先日の会話なんだけど、あっという間に矛盾してしまって可笑しかった。
この人と話すと、毎回何かしら気づかされる。私は咄嗟に気の利いた返事ができなくて、悶々として帰って、数日かけて消化する事になる。その結果がこれ。
年の差があっても友だちになれるか
「年の差があっても友だち関係になれるか」と聞かれたら「なれる!」と断言できる私だけど、実際問題、なかなか難しいのも理解してる。
友だちって対等なものだけど、年の差があったら、自然と対等が崩れてしまう。
目上の者が指導すべきで、
目下の者は素直に従うべき
目上の者がお金を出すべきで、
目下の者はお茶を入れるべき
などなど、いろんな固定観念があって、
なかなか対等っぽい関係を築くのは難しい。
でもじゃあ、指導する/される、ご馳走する/ご馳走になるの関係があったら、友だちじゃないのかと言われると、そこはよくわからない。
私は先輩に指導されるし、ご馳走にもなるけど、友だちに対するのと同じくらい親しみを覚えている。でも、だからといってその先輩を、友達と表現するのはおこがましいよなぁ。
「友だち」という言葉には当てはまらないけど、同じくらい親しみを覚える事をなんて言うんだろう。
ちょうど良い単語が見つからない。
世間の目によって交流が制限される
それに、いくら私が年の離れた人と親しく過ごしたいと思っても、年の差を理由に交流がはばかられる事も多い。
二人の中では自然な距離を保てたとしても「上司に対して馴れ馴れしい」とか「部下に対して私的な連絡するのはコンプライアンス違反だ」と言われる可能性もある。
年の差があると、仕事とか何らかの催しを理由にしない限り、一緒にいることが難しい。会議とか打ち合わせとか「〇〇の件について」とか大義名分を設けないと、中々話す機会をつくる事ができないのも、友だち関係が困難な理由の一つだと思う。
そうなってくると、「年の差は気にしない」とか「何歳になっても友だちになれる」とは言いにくい。不可能ではない。不可能ではないけど、同年代より難易度は高いという言い方をせざる得ない。
友だちはいない(しいらない)
私が好きな先輩の一人は「友だちはいない(し、別にいらない)」と言っていた。その人は、どう考えても周りから好かれているし、懐かれているし、魅力的なのに、友だちがいない(しいらない)らしい。
その場その場で話す人がいればそれで十分との事。そんな風に言い切ってしまえる先輩のコミュ力を、ちょっと羨んでしまった。そりゃ都度話す人がいれば問題ないですよねー。コミュニケーション下手の寂しがりは、老後がハードモードかもしれない。
私は今、友だちが欲しいけど、いつか「友だちはいないし、特に必要性も感じない」と言えるくらい孤独耐性がつくんだろうか。
それとも、「ま、特定の友だちはいないけど、老人ホームでも誰かしらと話せるし、それで十分。」と言えるくらい、近くにいる適当な人とコミュニケーションが取れる人間に成長できるんだろうか。
予測できないな。
2024/07/14_67
私のnoteを見つけて読んでくれてありがとう♡