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ボランティアに懐疑的な私が海外でボランティアをしてみた話。【インド・コルカタ】

2016/10/26投稿

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インドはコルカタという街から旅をスタートさせた私。その理由はバンコクからの航空券が安かったというのと、コルカタからそのまま北上してダージリンに行き、その近くのバグドグラ空港からブータンへ行くことになっていたからです。

が、しかし、このバグドグラ空港が工事を行うようで直前になって全てのフライトがキャンセルに!…空港の工事計画なんて相当前からわかっていたでしょうに…さすがインド。

ということで急遽予定を変更して、ブータンへはコルカタから飛ぶことに。ダージリンまでの移動、観光の日数も逆算してコルカタに入ったので、少し時間を持て余してしまいました。さて、何をしようか。


コルカタといえば世界的に有名なのが、マザーハウス。マザーテレサが開いた様々な人が入所する施設です。各地に施設があるそうですが、ここ、コルカタが原点なのだそう。コルカタにはいくつかの施設があり、そこでボランティアができます。

私はというと、物心ついた時から、ボランティアというものには懐疑的です。ボランティアを、しかもまさか外国なんかでする気はさらさらなかったのだけれど、行ってみたら、体験してみたら何故自分が懐疑的なのか、ボランティアに熱く心を燃やす人が存在する理由もわかるかもしれない。そう思い、行ってみることにしました。[2016/7/23-25]



今回書いていることは、あくまで私が体験して感じたことです。色んな考えの人がいて、人それぞれでいいんじゃないかと思います。マザーハウスやそこでボランティアをしている人、そして他のボランティア活動、またそれをしている人を批判しているわけではありません。自分には温かい血が流れていないんじゃないかと、ある意味へきへきしながら書きました。


朝7時。本部となっているマザーハウスへ向かいました。夏休みシーズンということもあってか、かなり多くの人が集まっていますが、インド系の顔の人は見かけず、たくさんの欧米人と少しのアジア系。
パンとチャイ、バナナという質素な朝食をいただき、誓いの言葉(?)を唱えた後、それぞれ自分が担当する施設へ向かいます。

この言葉、私や一緒にいった日本人の人はやっぱり知らなくて黙ってしまうのだけれど、欧米人は、ほとんどがクリスチャンなのでしょうか?皆唱えていました。

ボランティアをするには登録会なるものに行き、登録を済ませなければならないのだけれど、登録会は曜日が決まっているのです。次の登録会の日まではワンデーパスなるものをシスターに発行してもらいボランティアに参加します。
「何日やる予定?」って聞かれたので、素直に1日と言ったら、驚かれて3日(次の登録会がくるまで)のパスを発行してくれました。ここで自分の行きたい施設の希望を聞かれるみたいだけれど、私は聞かれなかった…。

どこになったか。障害を持つ子供の施設になりました。後から聞いた話だと、この子供の施設は割と人気らしい。ボランティアをやる側にもやっぱり要望や好みがあるのか。


行って何をするかというと、まずは洗濯。基本的に何も指示されないので、自分で仕事を見つける。他の人がやっているのを見たり、聞いたりして、見様見真似で、とにかくやるという感じ。

各施設には、シスターのほかに、施設で働いているインド系の顔の女性たち。そして私たちボランティアは、「アンティ(お姉さんだとか、おばさんだとか…そういう意味らしい)」と呼ばれます。

洗濯だけですごい量。朝一でスタートしたのに洗濯が終わるのは10時くらい。その後、一仕事終えたお茶休憩があり、クッキーとチャイを飲んで一休み。休憩後は、子供のご飯をあげる補助をしたり、みんなで遊んだり…。

午前中しか活動していないのにぐったりしてしまいました…。行けば、自分でもやってみれば、なぜ皆がボランティアに精を出すのかわかるかと思ったけれどたった一日だけではわかりませんでした。

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(ボランティア後に食べに行った屋台のカレー。衛生観念皆無だったけれど美味しかった。辛かった)


ので、1日だけではなく続けていってみることに。2日目の朝、昨日と同じようにマザーハウスへ向かって、パンとチャイを食べていると1人の日本人女性に捕まりました。Eさんは多分50代。もう長いことボランティアをしているそうです。彼女がボランティアをしているのは、精神障害を持っている女性や老齢の女性のための施設です。ここは、ボランティアも女性しかできません。人手が少ないからと連れて行かれました。
シスターに断らなくていいのか、と聞いたけれど、「いいのよ」とのこと。マザーハウスは実質シスターではなく、長期ボランティアが仕切っているというのが段々と見えてきました。

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(施設へはバスを乗り継いで向かいます。)


やることは昨日とほとんど同じ。洗濯をして、食事の準備をして食事の補助をして。他にも、ドクターシスターの指示に従って薬をあげたり、お絵かきを手伝ったり…そんなことをしている人もいました。


たった2日間しかいないけれど、Eさんに話を聞いていて色々と見えてきた部分もありました。まず、シスターとボランティア。施設で働いている女性たちとボランティアの連携がとれていない。例えば、食事をあげ忘れていて2日ぶりに昼ごはんを食べたなんて患者さんもいたそうです。ずさんだな。と思いました。

この、働いている女性たちは人によってやる気も様々。きっちり仕事をする人もいれば、サボり気味の人もいたり。Eさんに聞いたところによると、バングラディッシュ人が多いそうです。

子供の施設でも、女性の施設でもそうだけど、ご飯なんかは口に入る量を超えて、スプーンいっぱいに乗せてぐっと押し込んでしまうし。きちんと租借しきれていないのに、次から次に食べさせようとするし…なので、床や前掛けに大量にご飯がこぼれている…。お金をもらって働いている割には雑というか…。こんなんでいいのかな…。そして、ボランティアがいないと、この施設運営は回っていかないなと思いました。

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(Eさんに連れて行ってもらった、お店のマサラドーサ。ボランティア後、ぐったりするけど、やっぱりお腹は空く)


しかし、やっぱりわからなかったな。2日目も3日目も午前中しか動いてないのにぐったりで、精神的にも体力的に削られる一方だと思った。身を粉にして、無償で働く意味は私にはわからなかった。「ボランティアとは何なのかを知りたい」と思ってボランティアしている時点で、もはや患者さんたちに寄り添ったものではないから、ボランティアをしたとはいえないのかもしれないけれど。

やっぱり、お金を払って、お金をもらって仕事として、ある程度責任感を伴って、介護や治療なりをした方が健全なんじゃないかと思ってしまった。お金を払ってもずさんな施設はたくさんあるけれど。

この施設に入っている人たちがどういう経緯で、施設に入ることができたのかを聞くのを忘れてしまったな。コルカタの街を歩いていると、たくさんの物乞いやガリガリに痩せた人、寝ているのか、ぐったりしているのかわからない人など、「貧困」をたくさん目にします。そういう人たちをなんで救わないんだろう。もちろん人がやっていることだから限界はあるのは承知だけれど、結局選ばれた人しか助けられない、助けていないんじゃないか。…と思ってしまった。

もっともっと長くこの活動を続ければ「ボランティアとは何ぞや」ということが見えてきたのかもしれない。或いは私は「旅」に期待しすぎたのかもしれない。異国の地で、ある意味ボランティアの聖地ともいえるコルカタでボランティアを体験すれば、何かが見えてくるんじゃないか、私の、ある意味冷たい心もちょっとは変わるんじゃないかと知らず知らずのうちに期待していたのかもしれません。でも私には、やっぱりわかりませんでした。

…なんてこの記事を書いていたら、ちょうど弟とボランティアとか仕事、有償無償、対価…なんて話になって、
意見がかなり食い違いケンカしてしちゃいました。SNSで。
やっぱりボランティアできる人とできない人は根本的に脳の作り、心の作りが違うんだなということだけはわかりました。

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2021/2/15追記

大人の利権とか学生が就職活動の面接のために準備する用だとか、全ての人が利益を全く関係なしにボランティア活動をしているとは思えないし、行政や企業がやるべきことをボランティア精神の名を利用して搾取しているだけに見えてしまうことも多々あるので、ボランティアに対する懐疑的な想いは未だに払拭できていないですが、自分の心から湧いてくる無償の「助けてあげたい」という想いは、実は世界一周をやり遂げ、バンクーバーでのワーキングホリデーを経験してわかるようになりました。きっと本当にたくさんの人たちと出会って、その人たちの暖かい心を素直に受け止めることができるようになったのだと思います。
だからきっと「旅」に期待してもいいのかもしれない。

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