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はじめてラジオでしゃべったあの日を振り返って。改めて私はラジオが好きなんだ。

手と声が震えた。

なぜかって、私の声がラジオの電波に乗って、顔も知らないどこかの誰かの耳に言葉を届けているからだ。


私は物心ついたときからラジオが好きで、大学卒業後はラジオ番組の制作を生業としていたが、27年間の人生でラジオでしゃべりたいなんて、これっぽっちも思ったことがなかった。純粋なリスナー時代だって、メールの投稿こそするけれど電話企画に出るなんて微塵も考えたこともない。


「裏方こそがかっこいい」


ずっとそう思って生きてきたし、今でも自分が前に出ることがどうしても苦手で、そう思っている。もちろん番組制作は共同作業で、特にラジオなんかは、喋り手と制作陣だけでなくリスナーも番組共同作業者のひとりだ。ただ、私は自分が前にでることなく、企画を考えたり台本書いたり、収録したり、編集したり…時々なんかの拍子に喋り手がスタッフの名前を放送で言って、なんとなくリスナーにも番組スタッフのひとりとして名前が知られる…そんな役回りが最高にかっこいいと思っている。ラジオ業界を離れている今でもその感覚は変わらない。


そんな私がラジオでしゃべることになった。
世界を旅しながらその様子を報告する素人リポーターとして。

厳密に言うと、しゃべらせてくれないかと頼んだのだ。理由は単純に少しでもいいから旅の資金の足しにしたかった。それと、ラジオへのある想いから。ラジオ業界の現状を知らない人のために伝えておくと、我らがラジオ業界はもう長いこと斜陽産業と言われ、正直素人レポーターとして10分~20分程度番組でしゃべったところで出演料は微々たるものだ。業界のなかにいた感覚で言わせてもらえば、もらえるだけで本当にありがたい。むしろネタ探しや内容を構成する時間、旅先での安定した電波の確保を考えると割りに合わないと思う人もいるかもしれない。

それでもしゃべりたかったのは、自分で足を使って得たものを言葉にして伝えたかったから。前途の通り製作資金がいつでも潤沢にあるわけではない業界なので、全ての番組が全国津々浦々、または世界中を飛びまわり足を運んで取材を行えるわけではないのだ。私は全国各地の観光地や名物を紹介する番組を担当していたこともあったが、ロケでの取材ではなく電話取材をして台本を書いていた。各地の担当者に電話をかけて話を聞き、それを原稿に落とす。これも立派な取材のひとつだし、むしろ言葉だけで伝えなければいけないラジオにおいては、実際に現地に足を運ばなくても番組は成立する。
けれども私はいつも葛藤を抱えていたのだ。写真で見た印象、話を聞いて想像した感情しか言葉に落とすことができない。それだと、ある程度のことまでしか表現できないのだ。本当に心に触れるような言葉は、実際に五感をフルに使って沸き立たせた想いをベースにしないとどうしても書けない。私ごときのペーペーは、そうじゃなきゃ魂が乗った言葉にはならない気がしていた。



前置きが長くなってしまったが、4年前、世界一周の旅をしながらJFN系『ON THE PLANET』とNHK『ちきゅうラジオ』という2つの番組で、素人リポーターとして自分の旅の話をさせてもらっていた。

はじめての出演は『ちきゅうラジオ』の方で、日が傾き始めた夕方の中国・成都からだった。ラジオというメディアは本当にフットワークが軽く、電話ひとつあれば世界各地から中継をつなぐことができる。

本番10分前。台本が書かれたWordを開いたノートパソコンと携帯電話を机に置き、東京のスタジオから電話がかかってくるのを待つ。緊張のため体はこわばり、肩は碇のようにあがっていた。
そうこうしていると、ブーブーと携帯電話が音を立てて震え始めた。なぜだか一瞬「これ本当にでなきゃいけないのかな?」なんて考えが頭をよぎったが、すぐに親指で画面をスライドして耳に当てる。

今までは自分が中継出演者に対して行っていた「放送の音声は聞こえていますかー?」などの確認をしながら、音声テストしスタンバイをする。そしてジングルが入って、アナウンサーがコーナータイトルと説明を読み上げ始めた。私の名前が呼ばれ…さぁ出番だ。




頭がグッと冴える感覚だった。興奮しているのに冷静で、でも電話を持つ手と声は震えていて。目は台本を追っているのに、一言一句そのまましゃべることを体が自然に避けているような。私の話を聞いてレスポンスをくれるアナウンサーの声は聞こえているのか聞こえていないのかわからない。とても不思議な感覚のまま、いつの間にか放送は終わっていた。


これまで裏方の仕事として、何人もの素人さんに電話をかけて出演をしてもらっていたが、なかには私と同じような感覚を憶えた人もいるのかもしれない。今は流暢にしゃべっているアナウンサーやDJたちも最初はこういう体験をした人がいるのかもしれないと思うと、なんだか感慨深い。それと同時に改めて彼らはすごい才能を持っているのだと思い知った。リスナーから飛んできた言葉を瞬時に理解し、自分の意見を交えて誰が聞いてもわかりやすい言葉にして落とす。それはくすっと笑えるものかもしれないし、寄り添うような優しい言葉の場合もある。言葉がそれぞれ持つ微妙に違う雰囲気を巧みに使いこなし、目には訴えかけず、言葉だけで耳と脳、心に届けるのだ。


私はというと、友達としゃべっていても、仕事で話していても0.5テンポくらい自分の反応や意見の整理が遅れているなと思うことが多いし、会話のテンポが速い人に無理に合わせようとすると、なんだか自分の言っていることが伝わっていないなと感じることが昔から多々ある。だからこそ書くことの方が好きで、放送作家を志し実際に生業にしていた。「言葉に想いをのせて届ける」という、行為は一緒なのに私にとってはしゃべると書くとの間にはそこそこの壁が存在している。ただ、世の中にはどちらも得意な人もいて本当に羨ましい。


世界一周中の1年間、カナダでのワーキングホリデー中の1年間、頻度は違えど定期的にラジオでしゃべってきた。しゃべることに慣れこそするが、やはり得意になることはなかった。むしろ今でも人前でしゃべることは苦手だ。それでも取材、台本書き、声にのせて届ける、まで全て自分でやったのは本当にいい経験だったと今振り返って思う。



旅を終え、帰国後に出演をした『ON THE PLANET』でのレポート最終回で、こんなメールを番組にくれた女性がいた。


「私もパスポートを取りに行こうと思います」



彼女はこれまでの放送をまぎれもない「私のストーリー」として聞いてくれていて、そして何かを感じ、自分も行動に移そうと思ってくれたのだ。これは裏方に徹して仕事をしていたときには感じられない喜びだったし、これからも忘れることは決してない「私とラジオの素敵な思い出」のひとつだ。




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