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わたしをつくるものはわたしでなく、彼女である、ということについて


はじめて彼女に会ったときからいままでのわたしと、そのまえのわたしとでは、からだのなかみが全部いれかわったくらいにちがう。

彼女にであった瞬間にわたしはなにかちがうものになった。

なにに惹きつけられたのか、といわれたら彼女の全部だ。心も見た目も周りの空気もすべて。

じぶんから「友達になりたい」と思ったことははじめての経験だった。だからしばらくはおはようすらも緊張した。

わたしは彼女のまわりの人を大体知っていたので頼んで外堀を埋めていった。「どうやら同年代らしい」「どうやらお互い既婚子供なしらしい」「どうやら仲良くなりたいらしい」などの情報を伝えてもらった。

はじめて食事したとき、そんな外堀を埋める必要がないほど、わたしたちは気が合った。同じ年・同じ環境・服の趣味・たべもののすききらい。こどもはほしくなくて、ずっとゆったり好きなことをして生きていきたい。


その日からずっと一緒だった。仕事も。仕事の休憩も。仕事終わりの飲みも。休みの日も一緒に過ごした。

服の趣味も似ているので、待合せたらほぼ同じ服装だった、ということも多々あった。よく女同士だと真似をする、ということが起こるが、そういうことではなく、相手を意識せずとも同じものを選んでしまうのだ

彼女が落ち込んだりしたらわりとなんでもした。じぶんのことよりよっぽど大事だった。


彼女は一見優しく柔らかい雰囲気を持っているのでいろんな人が寄ってくる。

どうしようもない人、寂しい人、妬む人、心を病んでいる人。いろんな人が彼女の前にあらわれる。なぜか引き寄せてしまう。

わたしもそのひとりなのだ。でもわたしは彼女には絶対に嫌われたくないので「その他大勢ではなく」、でもただ、「すこしだけ寂しい人」というのをずっと演じつづけている。


わたしくらいの年の人で子供がいなくて、結婚しているのに自由奔放な人はなかなかいない。

結婚しているから男のためじゃなく自分のためにお洒落して外見に気を遣って、自分で稼いだお金でそれらを買って美味しいものを食べておいしいお酒を飲んで。そういう人をみつけるのはほぼ不可能に近い。

こどもなんていらない、じぶんの時間がなくなる、好きなときに起きて、服買って、お金使って、お酒をのんで、眠って。そうやってずっと生きていきたい。彼女はいつも言っていた。

わたしも20歳のときに病気をして妊娠が難しい身体だということもあり「わたしもお酒が飲めればいい」と返していた。


わたしたちはふたりの世界で暮らしていけた。

老後のことまで考えていた。お互いの夫はまあ付属として(生きているかどうかも分からないし)、大きい家を買って(お互いのマンションを売れば結構な額になるだろうし)、わたしがごはんをつくって(彼女は早起きができないし料理もにがてだから)、いちにちみんなおなじ家で好きなことをして過ごす。お酒をのんだり本を読んだり遊びに行ったりしても同じ家に帰る。そんなふうにいきていきたかった。



こどもが、できちゃった、うみたくない、でもおろすことはもっとできない、じぶんがじぶんでいられなくなるのがいや、すくなくとも20ねんじゆうがなくなる、ぜんぜんうれしくない。


彼女の口が動くのをじっと見ていた。

頭がまっしろでどこかが痺れていて話すことも動くこともできなかった。

人間としての機能を停止しないと壊れてしまいそうだった。

もし彼女がそれを喜んでいたなら、わたしは素直に泣き喚いたかもしれない。そしてそのまま離れられたのかもしれない。


彼女の妊娠初期の混乱をまえに、停止したわたしの脳がしぼりだした言葉は「いっしょにがんばろう」だった。はじめて一緒にいるのが苦痛だった。一刻も早くこの場所を去りたかった。口が動くのだけを見続けてたまに機能的に相槌をうって、何を話しているかも理解できない、「いっしょにがんばろう」など微塵も思ってないのに痺れた脳がそれを言わせそう言った自分を憎んだ。

のちに「おめでとう」って言われなかったのがうれしかった(その時の気持ちにそぐわないから)、と言われたが、「おめでとう」など浮かぶはずもない。あの日はわたしにとって人生最悪の日だったから。わたしのなかのどこをさがしてもみつかるはずもない言葉だった。


家とは反対方向の電車に乗った。人間としての機能のなかで涙だけが蘇り、恥ずかしさの機能はまだ戻っていなかったので、声が出るほど電車のなかで泣いた。

いっこくもはやくおさけをのんでこの時間をはやおくりしたい。知り合いの店に行き「わたしを早く酔わせて」と頼んだ。意識をなくしたかった。じぶんをいためつけたかった。絶望しかなかった。


月齢を重ねるたびに彼女は落ち着いてきた。

嫌がってはいたが、それはわたしに気を遣っていたからかもしれない。

つわりがひどいけど子供のために食べる、とかいう言葉ですらもわたしはいちいち傷ついた。メイクもできない顔をみるのもいやだった。おなかがおおきくなってウエストが伸びるパンツを履いてお洒落など忘れて髪も痩せてきて艶もなくなって、それでも彼女はどんどん前向きになっていく。会うのが辛いのに、「嫌われたくないわたし」が会いに行ってしまう。そしてそのたびに別れた瞬間から涙が止まらなくなるほど傷つく。その繰り返し。


子供は無事うまれた。ことしで4歳になる。

妊娠初期にあれほどいやがっていたのに、彼女は子供をこころからあいしている。わたしと話しているときもわたしをみていない。はっとして彼女の顔を見ると穏やかに微笑んで子供を見ている。

わたしはいまだに毎回傷ついている。別れた後、泣いてお酒を浴びるほど飲んでいる。

もちろん子供はかわいい。子供もわたしのことを好きだという。無事に育ってほしいししあわせになってほしい。そういう気持ちはある。


傷つくのがわかっているくせに会いたくて、彼女の好きな食べ物。子供の好きな食べ物。遠出したときのお土産。遠出してないけどお土産。会う理由をつくる。カレンダーに会った日を記して会ってない日をかぞえる。

インスタに子供がいては行けないレストランやバーの写真を載せる。彼女だけのためにインスタを更新している。もし子供がいなかったらふたりで行っていたはずの場所たちが虚しく連なっている。

とっくに更新をやめたFacebookも数年前の「今日の思い出」のなかにはふたりですごした日々があって、彼女が投稿した、わたしといていかに楽しかったか幸せだったか、ということばを読みかえす。


会うときはいつもよりももっと美しい自分で完璧にしていく。もう傷ついていない、余裕な自分で会いにいく。子供をかわいがりプレゼントを渡したりお弁当をつくったりあそんだり話し相手になったり愚痴をきいたりする「いい友達」であり、仕事も順調で夫婦仲もよくてしあわせなわたし、で会いにいく。

もちろん、彼女は子供がいる人生がものすごくしあわせで、わたしがどんなに「キラキラ」を装ってもただ虚しいだけでそれがただ単にさらに自分自身を傷つけているだけ、ということはわかっている。じぶんがいかに最低であるか、くだらない人間であるかわかっている。彼女がわたしを羨ましがって昔のようにわたしをまたみてくれるようになるはずがないということも、時が戻らないということも。


きっと、わたしのなかのよこしまな気持ちが、もし彼女が妊娠していなかったとしても、わたしたちを壊していたかもしれない。


こんなことは誰にでも起こることだ。マラソン大会で一緒にゴールしようね、と言ったのに別々になってしまったことをずっと恨んでいるのとかわらない。

でもわたしはいまだに会いたくて、そのたび傷ついて、荒れて号泣して、もう会うのやめよう、と思いながらも会わないといられない、というのを5年も繰り返している。これはかなり異常なことだと思われる。

問題は精神的依存であり、肉体的な何かがあればまた違うのだろうか。彼女が異性だったら、まだ、よかったのかもしれない。


おもいあまって産まれて初めて告白というものをしてみた。彼女が笑ったので「笑わないで」と怒ったら「そんなの知ってるよ」「私も好きだよ」また笑った。わたし以外の、確固たるあいするものを手に入れているのに、狡い。

別れた瞬間泣いてても、顔をあわせているあいだは余裕な完璧なわたしでいるから、ずっとそうしてるからあまりに演技が上手で気付いてもらえないのか、彼女にとってはわたしのことなどもうランク外のただの友達でしかないのか

でもぜんぜんきらいになれない。ならいっそ嫌われたらいいのか。好きになってくれないなら嫌われた方がまだいいのか。


わたしはなにを求めてる?なにもほしくない。時が戻らないから。ただずっと拗ねてるだけだ。そしてものすごく惨めだ。彼女のしあわせをただ喜ぶことができないのか?大事に思うならそうするべきだ。絶対に。あと5年経ったらそうなれるか?自信がない。15年したら?そのとき、子供から手が離れたとき、わたしはしつこく側にいて、そのときまで待って絶妙なタイミングですべりこんで、


5年我慢できたからあと15年、


わたしがそれまで持てば。






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