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私の知らない父について

私の父は41歳で亡くなった。海に落ちた人を助けようとして、父も落ちた人も両方とも亡くなった。私が中学2年生のときだった。

これを言うと、みんな父のことを素晴らしい人と思うかもしれない。
正直、父のことをよく知らない。釣りとお酒が好きでほとんど喋らない私のおとうさん。それしかわからない。

のちに聞いた話では、九州の実家から家出して各地を転々とし札幌まで流れ着いて母と出会って結婚したらしい。
その間のことは誰も知らない。
母が言うには、結婚した後各地の女性から連絡が来たりしたらしい。
もしかしたら私のきょうだいがどこかにいるかもしれないが、それもわからない。

父が誰かを助けようとして死んだことより、私には家出していた間のできごとのほうがよっぽど人間味があって興味がある。知るすべもないけれど。

父がどんな人間だったのか。

子供心に、父には父の世界があって、それを侵害してはならず、もしそれをしてしまったら、ある日急にいなくなってしまうような、痕跡を残さないように生きているような、そんな雰囲気があるように思えた。

母が父のことを好きすぎて、必死でなんとかこの場所に引きとめていたのではないかと思うほど、自分の父親なのに遠い存在だった。

消防の救命士に聞いてみたことがある。
目の前に死にそうな人がいて、その人を助けることで自分も死んでしまうかもしれない場合に、すぐ飛び込むことができるか?
職務ならできる。でも職務が無かったらその判断を一瞬ですることはできない。

目の前で人が海に落ちた。日本海の入り組んだ岩場は、たとえ天気が良かったとしても足を滑らせた人はすぐ波にのまれてしまう。
発見されたとき、父はその人の腕を掴んでいたらしい。ということは、落ちてすぐ飛び込んだはずだ。
人を助けて死ぬことは美談だ。だが、その、飛び込む一瞬の間に、家族のことを思い出したなら、飛び込めなかったのではないか?

もちろん、父は私の誇りだ。
でもその一瞬を引きとめられなかった、残された家族である私たち、がその裏にずっとある。
その一瞬の躊躇のせいで助けられなかったと、後に父が苦しむことになったかもしれない、ということもわかる。

だから私は、父は素晴らしい人でした。とは言わない。
釣りがうまくて晩酌が好きで自分の世界を持っていて、もし今も生きてたら一緒にお酒をのみながら、面白い話をたくさん聞かせてくれるはずだった私のおとうさん。これが、父のことをほとんど知らない私の父の全部だ。

父の遺体がみつかって、家に帰ってきた。
母は半狂乱だったが、私はなぜか落ち着いていた。
心の中で、父に呼び掛けた。
これから起こること、私の目を通して見ていいよ。おとうさんの代わりに私が見てあげる。

そんなに面白いもの、見せてあげられてはいないけれど。

今日、私は父の年齢を追い越した。

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