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お母さんが作ってくれた原体験が、今の仕事の原動力。

現在30代半ばの私が、今の仕事に対して辛くなるときに思い浮かべる母親が与えてくれた原体験、そこから得たことをシェアしていきます。

仕事の目的を見失った方に、げんきを分けられますように。

20代後半で、都市部から地方に移住しました。
帰省では約11時間かかる距離で、両親からすると親戚に不幸があっても伝えるのに躊躇する、そんな遠く離れた場所で暮らしを営んでいます。

そんな私の仕事は農業で、冬以外の多くの時間はそれに費やされます。

好きなことを職にしている人、自分らしく生きる人に憧れる一度目の時期って20代半ばなのでしょうか。私はその時期に新しい挑戦をしました。(趣味で畑を借りたり、週末農業学校に通ったり)

縁があり農家に嫁いだ私ですが、これまでの心地よい範囲内であったわたしの農活動とは大きく異なる今の仕事。大変さを身にしみながら、これまで様々な葛藤や壁にぶつかってきました。

ある時ふと、過去の記憶を思い出したのです。
お母さんが夜ご飯のデザートに、頻繁に苺を出してくれたこと-

『お母さんがスーパーで苺を買って、夜ご飯のデザートに苺を出してくれた』

これって、よくある「日常の定型文」かもしれません。皆さんにもよくある日常かもしれませんし、スーパーでの買い物はルーティーンという意味で。

しかし農業従事、スーパーに苺を卸している私にとっては、スーパーで自然と手にとって購入してくれる方がいるからこそ頑張れる、有り難い話なんです。
買うか悩んで購入してくださる方にも、本当に感謝です。

仕事で辛くなったときや、仕事をする目的を見失ったとき、私の場合は『お母さんがスーパーで苺を買って、夜ご飯のデザートに苺を出してくれた』この定型文を思い出します。

私のように〈お母さんの手料理に一品足されたデザートの苺、情緒的にいえば「お母さんの愛情」を大人になってから思い出す〉 ーそういう人を想像しながら、私はげんきを取り戻すことができるのです。今している仕事が救われるのです。

仕事、家庭でのしごと、私事、志事。どのしごとにおいても頑張る理由・原動力はきっとあると思うので、それを大切にしていけたら…いいですよね。

「生活のための仕事」であなたが辛くなったときや、仕事をする目的を見失ったときは

きっと、あなたのすることで幸せになれる人もいる。無駄なことはなにひとつない。

そう信じてコツコツと/淡々と、仕事の達成に向けてやっていきましょう。

自然とあなたは、会ったこともない誰かをどこかで笑顔にしていることでしょう。

どんな食材に置いてもそうですが買って食べて応援、できる範囲で私もしていきたいです。

応援のつもりはなくても、お近くで買える場所での消費自体が農家さんの励みになっていると思います。まわりの農家さんを見ていて実感します。

私は色んな人の仕事によって支えられています。直接的ではなくても、まわりまわってきっと。

何も一人でできない私のままでも大丈夫。生きていける。(急に楽天家⁉)

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。


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