中高時代
わたしは中高一貫の私立女子校の高校生だ。なのでもちろん六年間生徒は同じ。高校募集は無し。中学受験を終え、わたしは楽しい中学校生活が始まると思っていた。
そして迎えた入学式。コミュ障と人見知りを拗らせ、あまり人と話せない。多分ここからつまずいていたに違いない。小学校から上がってきた人もいるので、教室は内部生が喋っていて意外と賑やか。しかし私は誰とも喋られず、机にポツンと座って時が過ぎるのを待っているだけ。こんな感じで初日の登校を終えたが、まだ友達作りはできるだろうと思っていた。
しかし一向になっても友達は出来ない。いや、多分私の性格が問題だったのだろう、クソ小さい声、挨拶されても反応薄い、会話も同様、反応薄い、こちらから会話広げない…。私がガチガチに緊張していたのが原因だが、周りからはひとりが好きな子のように思われたのだろう、わたしは7月までぼっちだったし馴染めていなかった(に違いない)
ところ変わって夏休み中にあった部活の合宿。そこでようやく1人できた。LINEも交換してクラスのグループLINEにも入れた。その子とはクラスも部活も委員会も同じだったのだ。なので、その子と中一の終わりまで一緒にいることが出来た。1年でできた友達はたった1人。中一の様子はあまり覚えていないが、多分面白くなかったし馴染めてなかったのでは無いかと思う。(勉強しなさすぎて数学、理科、英語で赤点取っていたし)
中2はコロナの記憶しかない。家で映像授業だったが集中力出来るわけない。夏あたりから登校できた気がするが何も記憶が無い。
友達は一人しかいないまま中三になった。その子とクラスが離れてしまい、またボッチ。結局最後までぼっちだった。中三の途中で保健室の利用回数が増えた。一日中気持ち悪くて教室に入れない時があった。暫くは気持ち悪さを我慢できるが、途中で辛くなってきて授業の途中で保健室に行く。そんなことが結構あった。自分でも、あまりに利用回数が多すぎると先生に目をつけられる(?)と思って部室で本を読んでひたすら授業が終わるのを待っていた時もあった。(つまりサボっていた、とも言えるが悪意は無いので許してほしい)結局、スクールカウンセラーと話すことになるがなんの効果もなし。反りが合わずこちらのストレスが溜まって終わった。さらに親に電話され、病院に受診してくださいと言われた。病院に行ったものの効果はなく、結局自然に治っていった。これを書いていて思ったのだが私、意外と大変だったんだなあ。(遅)今思うと吐き気の原因はストレスだろう。そりゃいつも周りが楽しそうにしている中私だけボッチで、体育とかでグループを作れと言われた時は地獄だったし死にたい死にたい毎日毎日思っていたら体調崩すだろう。
高一になって唯一の友達と同じクラスに入っなった。高一で自傷を覚えた。しかし性格は急に変わり人と普通に話せるようになった。むしろ会話が楽しかった。友達も増えた。部活も馴染めるようになってきた。担任ともふつうに話せるようになってきて、ここでようやく人見知りが消えてきた。大学受験が迫り、責任を問われることも増え、その環境に耐えられず(自分の中では)自殺未遂をしたのだが学校生活は楽しかったように記憶している。
何故わたしは変われたのか。 笑顔を作る。反応は大きく。自分は隠さない。人に手助けしたりして、関わる機会を増やす。あとは、唯一の友達を介して人と話す機会が増えたこともあるだろう。
人は意外と変われるものだと思う。生きる上で1番大事なのは適応力では無いのだろうか。わたしはその力を3年かけて付けたことになる。あとは変わる勇気かな。陳腐な言葉だが。でもどうしても辛いなら逃げた方がいいと思う。わたしは結果オーライだったが、そうはいかないことも多いのだろうね、いろいろ書きたいことがあったけれど疲れたからここでやめることとする。
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