「ワケ」無いから書けません

最近自分の書きたいことって何だろうって思う。書くことが得意ではないにしろ、好きなほうだから書くことで幾ばくかの報酬を得たい、という目標がある。この半年くらい勉強しているが、幾ばくかと言ったが欲を言えば会社員の月収の半分くらい得たい。

ここで私が考えている書くことは、ざっくり分けて、コピーライティングと小説だ。

お金をことを考えないのなら小説を書きたい。でも私の場合、これではダメなのだ。

なぜならお金にならないからだ。例えば、何かの賞をとったり、権威のある人が取り上げたり話題にしたりしない限り、誰も見ず知らずの作者の書いた小説なんてお金を払ってまで読まないだろう。

一方、コピーライティングなら全ての事業について回るものなので、需要が多くお金になりやすいのだ。セールスライティング、ブログ・SNS代行など山ほどある。

ライティングの勉強をしていると、何かと電子書籍が儲かると勧められるが、私が一番向いてない、不可能なライティングだ。

あれって、ライティング能力というより自分の専門性がある人なら誰でも書けるし儲かる。専門性と言っても大それたものでもなく、くだらないことでも人より詳しければ(できれば実体験があれば)何でも良いのだ。

しかも、コンプレックスがあったりして昔悩んでたことがあった人とか、そういう人のほうが書きやすい。無職になっただとか、仕事が続かなくて転職しまくったなどだ。

私は至極平凡な人生を送ってきたので、非常に書きづらい。仕事のことも、世間のライフスタイルに関連するような仕事ではないので需要がなさすぎる。(職種は貿易事務である) 英語は使うが、ブログにできるほど全く堪能ではない。

仕事が、不動産、医療、金融、介護、法律、美容などの関係だったら書きやすいだろうな、と羨ましくなる。

小説が好きならシナリオライティングはどうなの? と思われるかもしれないが、あれはどちらかというとコピーライティングだ。シナリオライティングは物を売るために書くことが多いので、セールスライティング同様「売れる型」が存在するし、ターゲットやリサーチが欠かせない。

小説もある程度、売れる型はあるかもしれないが、コピーライティングと比べて凄く自由だ。

コピーライティングが、客観的事実で書くことが必須であるなら、小説は主観で書いても良い。コピーライティングが、基本ハッピーエンドであるなら、小説はバッドエンド、はたまた曖昧で読み手の感性に任せて勝手に終わらせることができる。私はこの自由が心地好いと思うのだが。

自分への備忘録としてまとめる。冒頭の私の自分自身に対する問いの答えは、お金を目的とするなら好きなものを書くだけじゃダメ。

自分のことが書けないなら、他人の事、他人の事業の為にリサーチして書くこと。

こちらの道で行くしかない。書くこと、と言っても深い。いろいろ考えたけど、何事にも最終的にはパッションと覚悟なんだろうなぁ。


















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