「ママ」と呼ばれるのがあまり好きではなかった理由

子供が新生児の頃は、ネットで子供に関する記事を良く読んだと思います。新生児の育児は、分からないこと、悩みや不安がそれだけ多いということでしょう。

個人の性格にもよりますが、いくら楽観的な人でも多少は必ず悩んでいたと思います。私も子供が新生児だった頃に読んだ記事の中で、母親の共感を得ようとしてるのか知りませんが、奇妙な(私にとっては奇妙だった)立場目線の記事を結構な頻度で見かけました。

" 赤ちゃんがやっと眠った! と思ってその間に溜まっていた家事をしたりしてしまう人いますよね。でもそれだと、ママは自分の時間が全然持てません。思いきって、寝たからその間にリラックスしてお茶を飲むとか、ママの好きなことを是非やってみてください。気分転換になりますよ " 
" 赤ちゃんは睡眠と覚醒の波が頻繁なので、ちょっとのことですぐ起きてしまいます。ママが寝ようとしたときに起きたりして、ママも全然休めませんね。赤ちゃんが寝たときに一緒に寝るのがおすすめです "

これどう思われますか? 

文章って読み手によって様々な印象を持つ人が出てきます。私の感想としては「母親一人しか家事する人がいないのに、子供寝たときに家事しないと生活できなくなるよ?」と思いました。赤ちゃんが寝たときに一緒に寝る、も同様です。中には楽観的に「それがいい! 寝ればいい!」と思う人もいると思いますが、そう簡単にいかない人も沢山います。家事どころか自分の食事もとれず、本気で鬱になりそうなくらい悩んでいる母親もいます。"パパにもお任せして" と言われても、そう簡単に頼れない人も沢山います。彼女たちに「今だけの辛抱だよ」などとは言うのは安易すぎると思います。

本気で悩んでいる当人にとっては、その時は終わりの見えない長いトンネルに間違いないのです。

綺麗なだけの薄い文章中に出てきた、わざとらしい「ママ」という呼称も、気持ちが良くありませんでした。母親業で悩んでるときにそうは呼ばれたくないんですよね。誰にとって有益なのでしょうか。どこか誰かの『子育て奮闘記』などの泥臭く、時には良くないとされる感情表現が溢れた記録のほうが、よほの感動します。

客観的な文章にするのであれば淡々と事実や解決策、時に「母親はしたいことをするのはこの時不可能、割りきりましょう」と寧ろ言い切ってしまったほうが、薄っぺらい文章よりも割合俯瞰的に悩みを見ることも出来、こちらとしても考える余地が出てきます。

いろいろ言いましたが、私が薄いと思ったそういった記事も、要するに「ママは十分に頑張っているのだから、たまには休んでいいんだよ」ということなんだろうな、ということぐらいは分かります。ですが、

人って本来はきちんとやろう、頑張ろう、やり遂げよう、とする生き物だと思うんですよね。最初から「サボりがちでいいや」と思って挑む人ってあまりいないと思います。自分を追い込み過ぎて、精神を止んでしまうサラリーマン、母親、子供たちも沢山いると思いますので、力を抜いて適当にする、ことはとても大事なことだと私も思います。でも彼らは自分達でそれに気づくのは容易ではない。そもそも、自分はそんなにまだ頑張っていないと思いがちです。

もしそんな彼等が記事を読むのであれば、俯瞰的で事実を正確に述べた、誰にも媚びていない文章が良いと思います。医学的事実も含めていたら尚良いです。

まとめると、当たり障りのない綺麗事は、誰の心にも響かず動かさないね、と言うことなので私も気をつけたいと思います……。

ではまた明日。









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