慈母との最期の面会
コロナ禍で家族でも面会ができない日が続く中、母の容体が悪化してきた。
入所する施設の寛大な対応で、特別にベランダ越しからの面会を許された。
母に会うのは半年ぶりであった。
母は8年前に脳内出血で倒れ、半身不随となり、晩年は寝たきりで、口もきけないので、意識があるのか、ないのかも分からないような状態だった。
半年ぶりに会った母は痩せ細り、ベッドに横たわったまま、口は半開きで瞬きひとつもせず、無表情のままこちらをじっと見ている。
あの周りを照らすような明るい性格だった、母の面影は微塵もない。あまりの変わりように思わず口に手をあて、絶句した。
看護師さんが、母に「息子さん達が来てくれたよ。良かったね」と声をかけたが、反応はない。
私は「今まで来れなくてごめんね」とひと声かけてからは、どんな言葉をかけていいのか、よく分からなかった。
時間は10分と限られていた。なにを話したのかあまり覚えていないが、一方通行の他愛もない話をしたのだろう。
何も語らない母をみんなが見つめ、少し沈黙が続いた。
私は胸から込み上げてくる感情を必死に抑えて、終始平静を装っていた。
そして、これが生きて母と会う最期であることを悟った。
ベランダ越しからの別れ際、本当は「今までありがとう」と母に言いたかった。
しかし、今のこの状況には相応しくない言葉であると思い、「また来るね」と言って母に最期の別れを告げた。
その3日後に母は82歳で人生の幕を下ろした。
兄から訃報の連絡をもらったその夜。
母は風前の灯であった命のなか、私が来るのをずっと待っていたのではないかと思った。
そう思うと、今まで抑えていた感情が溢れ出し、嗚咽した。
幸いにも家族はもう寝ていたので、気づかれることはなかった。
泣いたのは、その一度きりだった。
面会の帰りの車中で妻が「お義母さん、ずっとお父さんしか見ていなかったね」と言った。
私は頷いただけで、言葉は返さなかった。
あの時の無表情のまま、瞬きもせずに、じっと私の一点を見つめ、何かを言いたそうであった母の顔は、今でも私の脳裏に焼きついている。
自分のことよりも家族のことを一番大切に思っていたひとだったから、迷惑ばかりをかけてきた息子にきっと
「家族を大事にするんだよ!」と言いたかったのだろう。
今も天国から見守ってくれていると思う。
-了-
※このエッセイは 倚門之望 親の心を探るから抜粋しています。
最後までお読み頂き、ありがとうございました🙇
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