2024/02/07 晴れ

 きょうも労働。ほんでその帰りに『ジェヴォーダンの獣』を観てきた。まぁなんか、ブラボの元ネタってわけではなさそうだな。獣はキリスト教過激派の仕組んだ王政打倒の陰謀だったんだよという話だった。全体的になんかスッキリはしない感じの作品といえる。ごちゃついてるというか。面白くないわけではないが……。あとは冒頭の女性が獣に襲われてるシーンは大変痛そうだったり、教皇直轄っぽいスパイがかっこよかったり、ヒロインの兄はなんで隻腕のフリしてたのかさっぱり分からなかったりした。分からないと言えば入場者特典があって、なんか本作のトレカだった。本当になんでだよ。ちなみにくだんのヒロインの兄が当たった。うん。ほんで『家事か地獄か』も読了した。我が炊飯器処分とかの切っ掛けになった『寂しい生活』の著者の本。家事という名の自分の始末を自分で付けられるようにすることで生きる実感を得たり老後不安への対処ができるようになる、という感じの内容だったかな。自力で家事をこなしていくには生活を小さくしていくのが効果的で、生活が小さくなればかかる労力も小さくなり、得られる手応えもちょうどよくなる的な。掃除も洗濯もため込まずに毎朝やるというなら、そら小さくしていかな無理だわな。しかし「ため込んだ分を掃除したとしてもその傍から汚れは始まっていて、結局一週間なら一週間を汚れたまま生活することになる」「タオルも雑巾も一枚しかないとなれば使い終えれば洗うしかない、それによってすべてのものが常に稼働している状態にある」という感じの話はハッとするものがあった。新陳代謝である。生き物は常に新陳代謝しているからある程度浄化された状態を保てるわけで、部屋等にしてもそれを適用すればよいのだなと。できるかどうかは置いといて。

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