見出し画像

とりあえず片付け。クラッシュ&クラッシュ

先日から、実家庭のデッキを解体しています。
(私が😅)

父が、リハビリで使っていたデッキ。

2021年の写真!
3年前でした!


ある日、アレ?っと思ってみてみたら…
手すりがぐらんぐらん‼️
これはマズイ!と、次からデッキの手前、縁側廊下でリハビリしてもらってました。

横にじゃがいもを植えて見てもらったり…
風を感じたり鳥の声も聴けて…
隣近所の田畑の説明も受けましたねー。

この縁側の陽の入り方も真夏でなければ
まぁまぁよくて。


この春、
調子上がってきたら、ウッドデッキもなおしてみよう!また、リハビリを外でやろう!と計画していました。
もちろん、父のお小遣いで😅

ところが急展開。
サラッと春風のごとく逝ってしまいました。

で、もちろん、父のお金でなおすわけにいかないし、別の家族が所有するならば…我々がお金を出すものでもないわけで。


しかし!
しれっとそのままにして、知らない家族が踏み抜いたら大変なことになるんではないか?
と、思いまして…
事故が起きる前に、撤去しとこうと考えにいたりました。


床板むいたらヤバかった…

シロアリかなぁ?
ギリギリ持ってました…
あぶねー


が、脆いならスッと壊れるのかとおもいきや、意外とビスが効いているところもあり…
オイオイ😭

更年期で、以前ほど力の入らない指で、
インパクトドライバーを操作するのも、
悪いところを切り落としていくのも四苦八苦。


昔はもっとスッといろいろできたのになー。

とか思いを馳せながら、解体しています。

なんとかここまできた…
デッキの下はゴミだらけでした。
風かなぁ?


腰掛け程度でも残せたら…とは思うのですが、残す方がまた危険じゃないか?と思ったり…
悩ましい。。。

とりあえず、生きてる部分の骨組みだけにしておけば、後からのものが考えるだろう…
踏み抜くこともないでしょう。


とにかく、わかったことは…

腐ったモノに蓋はしてはいけません


悪くなったモノ、悪かったモノは隠していいことはない!

これはモノだけでなく、
人生もそうだなぁ…と感じてます。



失敗とか、風化したやり方とか…ありますよ。
今にそぐわないモノこと。いろんな面で。

その事実はそれでいいのです。

ただ、それをほじくり返そうということではなく。それを踏まえて、次回や未来に活かすということが大事なわけで、ごまかしたり、隠したりすれば、次もっと大変な災いが起きるということなんです。

お金でも権力でもそう。
自分の器に見合わない大きさのものを無理して持つことあると思います。そこまでの成長が未来に見えていれば、正解、成功なんでしょうが。人は時々、見誤るわけです。
それが、事件や事故やケガを呼ぶわけです。


ウチの庭のデッキは…

増築した棟の二階にベランダがありまして。
そこにいちいち母が洗濯を干しに上がっていました。憧れのベランダだったんだと思います。

でも、高齢になり、一階にある洗濯機から濡れた洗濯物を2階にあげるのも…大変なのに、母屋を抜けて増築の棟に渡ってベランダに干すという…状況を母がぼやいていたので…

私がリフォームをする際に、庭に洗濯干しができるデッキも作ってもらいました。
庭は狭くなりましたが…
布団も干せましたし、洗濯物も居間からすぐ取ることができたし…

父がリハビリで楽しめていたので、充分な活躍でした。約20年かなぁ。


だから、新しくするならば、新しく暮らす人のスタイルにあったものにすべきだし。
腐った土台は、壊してある方が手間が少ないし。クラッシュして0ベースがいいでしょう。

とにかく、知らずにケガしたり事故したりは…マイナス➖でしかないので。


しかし〜
指は痛いし、体は痛いし、なかなかはかどりません。(あ、ヘバーデン結節の頃に比べたら全然痛くないですけどね。)

『妻はセルフビルダー』は本当にすごいです。

でも、発つ鳥は、濁さない方がかっこいいし。
嫌なことを後に回すと、暑さも寒さも来るので…今のうちに。。。


そう、私という賞味期限もあるのです。
体力的に、お金を使わずにやれる体調がある日、ない日。気力のある日、ない日。時間のある日、ない日。

いや、ある年ない年。


「やるやる、片付ける。」
「ぼちぼちやるから置いといて」

そう言って、母はずっと片付けに追われていましたが片付けることはできず、
自身の編み物教室だの、講習会だの、カフェだのと外へ出て行ってました。

内が整わないから、心の癒しを求めて外へ出たがる

と、どなたかからいつぞや聞きました。
断捨離本だったかな?


なるほどな!
と思いました。


人生は無限じゃないのはわかっています。
が、自分にもしもは、あまり考えたくないもので…まずから考えない。

今一番嫌なことから、人はうまい言い訳を作って心を逃してやるんだとは思います。


ま、母は、最後、認知症になって、片付けなくていい人になりましたけど。

母の教室には、壁いっぱいの毛糸が詰まっています。ざっくり…冬ものだけで300着分くらいだと…春夏糸を含んだら500着⁉️見てるだけで怖くなって数えていません。
それ以上の絡まった毛糸の山から、生きてる子を救出して、その数です。

私も編めるので、🧶毛糸がかわいそう、惜しいなぁと、母らが好きそうな状態の良いものを選りすぐっておきました。
が…

ふと、壁を見て…
私の手の速さと残りの人生を考えた時…
1シーズンに1着編めたとして…
母が編めなくなった年齢を考えたら、約20年。4✖️20年🟰80着。。。


他の趣味を我慢して、編んで80着⁉️

いらなくね?そんなにセーター。
毎日着替えないし!
そんなに編んでたら、着る暇ないじゃん!

と、思ったら、編み物はしたい時にするものと思えて。毛糸への執着がなくなりました。

主人に言ったら「やりたくなったら、また買えばいいじゃん。その方が大事に編むでしょう?」
確かに…お金に苦労しないでモノを集めるとこうなりますね。


ぜーんぶ🧶母ときょうだいにあげます。


そうなんですよね。
「やるやる」
「また今度」はね…やりませんねぇ。
やるやる詐欺ですわ。ホンマに。


さ。私の賞味期限が来る前に、まだまだがんばるぞ!

いいなと思ったら応援しよう!