備忘録】優生保護法に対し、反対した参議院議員を ◎やっと見つけました!! 🔵1949.田中耕太郎 氏(法律家、文部大臣→最高裁長官) 🔴頑張れよ!現代の参議院議員!2022夏、選挙だ〜!

🔷 注意…… わたしのこの記事は、単なるコピペてあり、個人メモであります。
田中氏の背景やその後の流れを、調べてはいない。
わたしにとって、まだまだ 歴史 等等は 謎だらけであります。


《 下記の田中氏の発言は、優生保護法「全般」に対しての意見ではなく、、『経済的な理由の人口妊娠中絶という条件緩和』の部分を反論し意見したようです。》

🔷 「田中耕太郎」Wikipediaよりーー

1949年5月13日、参議院で優生保護法による人工妊娠中絶に経済的理由を追加する事に反対し、
「一家が貧乏だから四人の子供を二人にしろ、人口八千万が多過ぎるから六千万にしろ、そういう考えこそ、これはフアツシヨ的、全体主義的の思想であります。
国がそれを指導するに至つては言語道断だというふうに考えるのであります。
外国にそういう事例があるとしても、外国ではこの弊害に懲りておる。
日本だけがそういう陰惨な方法を用いなければならないということは国際的正義人道の精神に反する。
それを外国で若し日本に押付けようとするものであるならば、我々は堂々と国際的法廷において、それを広く世界人道及び正義の観念から、我我は断乎として今後闘わなければならぬと思うのであります」と発言した[16]。


🔷 朝日新聞デジタルよりーー
(教えて!強制不妊手術:1)食糧難解消へ産児制限

有料会員記事  2018年5月16日

写真・図版

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🔷 他に、わたしが 最近 少しわかったこと。あいまいですが、、

・1948年(昭和23)「優生保護法」成立。その当時、終戦直後のひどい食糧難。おそらく、【配給制】だったろう。
・ 当時は、精神病に対する、現代的な【医療薬】が  まだ、日本では??、使われていない時代。
したがって、治療法も画期的なものがない 古い時代だった。
・さらに、戦争中は 精神病院が激減したようで、戦後になってから、精神病患者のためのベット数をもどすような 揺り戻しがあり、精神病院が増えたようだ。

・また、歴史的に 残念と思えるのは、、1964年(昭和39)ライシャワー事件。
ちょうど、精神障害者に対する法律が論議されていた最中だった。
「精神病患者を野放しにするな!」という見出しが、新聞に掲載された。
精神障害者に対する待遇は悪くなり、、もしかしたら、入院させ   そして強制不妊手術を行う、という流れを起こしたか??


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