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1945敗戦。 9月宮城県占領。 1万のアメリカ兵は、 「何」 を もたらした??

今回、この記事では、「益となった事」を考える。  (2,200文字)  

a.  キリスト教の輸入
b.  ウイスキー・バーボン・【ジャズの生演奏】ーーーアメリカ音楽・ポップスの国境を解く  兵士たち


a.  キリスト教の輸入

直接、アメリカ軍は、関与していないが、、キリスト教の活動や伝道の輸入がある。

( 手前みそで、スミマセン。。私自身が、キリスト教徒なので、どうも。。)

戦争中は、思想・宗教行為を平たく言うと、それは禁じられた。
しかも、敵国の中心的な宗教なのだ。
戦前・戦中、思想弾圧の標的だったから、『共産党とキリスト教徒には気をつけろ!』ということで、【アカ】と【ヤソ】を忌み嫌う慣習が、田舎の土地にも浸透したほどだ。

( 共産主義思想に対しては、大正時代??から、政府や資産家??は、とてもひどい弾圧をしていたらしい。
きちんと調べないで、書いていますが、、、
そりゃ〜、資産家からすれば、ロシアみたいに、日本が共産化したら、せっかくの  お金が取られてしまう、ヨネ〜。)

だから、たぶん、戦前・戦中をピークに、、
庶民は、、とにかく理由は分らなくても、、加えて、、子供までもが、(むしろ子供の方が極端に!、)  共産党とキリスト教徒に対して敏感になっていました。
ーーー  私の経験的な推測であります。

そして、GHQと同じように、、アメリカから輸入された、キリスト教で、一番 有名??だと、私が思うのは、、『バプテスト教会』という団体だ。

おそらく、私の、曖昧な知識では、、「会衆派」というグループに分類される、と思う。

わかりやすく言うと、そのグループの特徴は、民主的で、平等的。
何かと、古い宗教だから、司祭的な人が偉くなってしまうカンジだけど、、その逆の動きみたいなものかな??。


ここで、オマケとして、、私の個人的な解釈を書きます。
多くの人の、「不思議」だと思うので、。

ーー たくさん有り過ぎる!、、
ーー プロテスタントの中の教派について


「カラーだ」、と思っています。
1つだけではない、選べる「カラー」。
許される範囲で、居心地が良い方がいい。

もちろん、自分と神様(聖霊さま)と、よく相談することや、導きに従う姿勢が一番重要でしょう。

でも、まあ、成り行きで、頑張るパターンが多いと思います。。
いろんな人に、聞いてみて下さい。
信仰や教理、そして歴史の勉強にも、なりますよ。


全国を見ても、仙台を見ても、、各主要都市には、ミッションスクールの大学がある。

仙台もそうなのだが、、
たいていの、キリスト教的な大学は、、そのルーツは、明治時代までさかのぼる。

戦後の昭和ではない!。
びっくり、スゴイのだ!!。

さぞかし、戦前・戦中、苦労したろう。



★  計画とは、、予定が外れたので、わりと、グズグズな文章になっていきます。。

★  宮城県にスポットをあまり、当てない記事になり、ごめんなさい。

★  次回、少し挽回します。


b.  ウイスキー・バーボン・【ジャズの生演奏】
ーーー アメリカ音楽・ポップスの国境を 乱暴に?? 解く  兵士たち


視点を変えます。

たぶん、、
GHQの居住区や、その周辺には盛り場があり、当然、音楽が演奏されたはずだ。

兵隊は、士官もいるし、下士官、そして普通の兵隊も。
事務を担う役職や、本当にアメリカ人の役人もいたと思う。
そして、次第に、本国から家族を呼んだり、、。
それは、士官たちに、先に与えられる特権なのか??。

日本各地に、リトル・アメリカの町があったと思う。

どうにも、ネットの記録記事を探しても、驚くほど、存在しない!!。

アメリカの力は、スゴイのは、よく分かる。。
でも、、どういう理由で、削除されているのか??  は、分からない。


各地の酒場でも、日常でも、音楽は聞かれたろう。

特に、、各地でラジオ局を作ったろうし、そこから音楽も流し、、日本の庶民にも、届いたと、想像する。

( 私の中で、宿題なのだが、戦前からのラジオの果たした役割を調べたいのだ。良くも悪くも、民衆を戦争へと走らせた一因が、ラジオ放送にもあるか??。
普及率の変化のグラフも知りたい。)


ヨコハマや、TOKYOの昔むかし。

しかし、、敗戦後のそれは、センチメンタルでもなければ、ホンワカした世界ではない。
その対極だ。

私の想像なのだが、、

米兵相手のジャズの演奏から始まった、戦後の日本のアナログ音楽は、、
煙草と、バーボンやウイスキーの香りだった。

文化・芸能は、一気に アメリカの洗礼を受けたのでしょう。

今日現在から考えると、、アナログの生演奏しか存在しない世界とは、何と贅沢なのでしょう!。
ーーーこれもまた、センチメンタルで、優雅すぎる話ですね。
当時は、、もっと、泥臭く乱暴で、疲れ果て、イライラしている暗い酒場なのでしょうか?。


強く感心するのは、、 【重労働と 唄】という側面です


私の勝手な持論ですが、、、

古来、人類の歌は、苦しい労働と共にあった。
漁師が 重い網を引く。
百姓の希望を込めた 田植え歌。
アメリカの昔、 黒人霊歌は奴隷たちの歌らしい。

だから、アメリカ兵が、汗とアルコールの騒ぎの中でビートを刻むのは、、

ーーー 音楽に魂を入れていたのだ。

そういう音楽が、日本の「新しい音楽」の始まりの1つになったのなら、、

私達・日本の庶民は幸せかも知れない。


今のように、現代の手軽さで、、

ハ イ ! 、 最高級の音質ですョ〜。

ボタンひとつで 「ベートーベン、 一丁あがり!!」


 、と言うのとは、まるで 正反対の世界ではないか!!!


( そして、近頃、私は 齢をとったので、原住民的な音楽も気になっています  ネ〜。)

◎  ◎


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