だらだらと屁理屈を並べる記事

屁理屈をダラダラと並べてるので、頭の中身がそのままアウトプットされたメモ書きです。

※画像はギャラリーよりお借りしました

① ツイッターを開けば、各種運動が目につく。もちろん、それらを行動に移すエネルギーは素晴らしく誰もが今より、より良くを胸に燃やしていると信じている。
現在の社会的な価値観はさまざまな人たちの運動によって勝ち取ってきたものが多くあるし、自分もそれを享受している。
一部は、先導者として担ぎ上げられていることに愉悦を覚えてしまい手段が目的になってしまっている人も居るだろうとは思うけど。


② 目にした差別問題に対しての運動。
自分も差別って良くないなと小学生みたいな感想だが思う。
ただ、どこまで行っても差別心がないかと言えば違うと言えると思う。
他人の自由を奪った、未来を奪った、現実を奪った犯罪者は死刑にして欲しい、平等に人権をなんてまっぴらだと思っているので確実に差別はしている。それは差別ではないと言ってもらえるとしたらこれは区別かもしれない。
その人の行動で、ある一定のゾーンに入ったら区別しますよという言い方が出来るのであればこの感情は区別だと思う。

話が逸れたけれど、何を思ったのかと言うと差別をなくすために、フラットな社会にするためには肉体というある意味でしがらみの先にある(と思われる)仮想空間の有効利用が最適なのではないかということ。


③ そもそもどうして差別が生まれるのかなど突き詰めた時に、人それぞれ違う形の肉体があるからだなと思った。

考えをまとめ上げようとすると新たに社会と結びつく、肉体が必要とされない仮想空間への取り組みが急務ではないか、それらが万人が生きやすい社会なんじゃないか、人の気持ちだけに委ねていたらいつまでも各種差別はなくならないんじゃないかと感じた。
そして自分は誰か賢い人たちの手によって新たな社会の構造が生まれるなら、臆することなく意思表示をして受け入れるべきではないか。
そう思ったという話。

④ 自分が想像する仮想空間では、国も性別も名前も年齢も生まれも貧富の差も何もかもが本人が望めば関係なく活動できる差別がない空間。
ただ、自由に何をやっても良いとすると無法地帯でしかないので、秩序は必要で現実のように1人に対して1つの名前というかアカウント。自分の言動には責任を持つことが望ましいし、潮の満ち引き的に何らかの制限はつくんだと思う。
懸念されるのは逆に、完全に思考能力勝負となることでより差別が大きくなる可能性もある。自分もすっトロい思考の持ち主なので周回遅れになる可能性が大きい。
それでも、現実社会か仮想空間か自分で好きな方を選択して生きていくことが当たり前になればいいと思う。しかし、それともやはりこれはガンダムで言うところの1年戦争を引き起こすような、スペースノイドとアースノイドに似た新たなラベリングの火種なのかもしれないなと、考えがまた迷宮入りしたので終了です。

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