テロリストバナナ

 二つの爆弾。今俺はそれらを抱え込んでいる。
 一つ目。それはDNAの爆弾。メンデルの遺伝の法則とやらが本当に正しいのであるとすれば俺にとっては確実に悲劇。
 俺の父方の祖父は肝臓癌で死に、母方の祖父は大腸癌で死んだ。これでまず俺が癌で死ぬ可能性が高くなる。
 父方の祖母は六十過ぎでアルツハイマーに掛かり頭以外は健康なのに六十半ばで死んだ。母方の祖母は同じくアルツハイマーにかかり六十前半で死んだ。リュウマチも患っていた。これらのため俺が癌に苛まれなくとも、短命で更に認知症になる可能性が上昇してくる。
 親父は大した甘党でもない筈なのに糖尿病で母に至っては俺が十六歳くらいの頃からヒステリーに掛かる事が多くなった。親父が糖尿のため体調を崩し勝ちになり仕事を休むため収入も減り、その上治療費もかかる。もしかしたらこう言った状況から来るストレスが原因かもしれない。まあ、ヒステリーは遺伝しないと言うが気は抜けない。
 癌、糖尿、早死に、アルツハイマー。ひょっとしたらヒステリー。こんなにも多くのマイナス要因が込められた爆弾がDNAとして俺の中に組み込まれている。来年二十歳を迎える俺は、そろそろ導火線に火が点けられるのではないかと気が気でない。どうしたって最悪な結末を考えてしまう。重圧が遣って来る。

もう一つの爆弾。
俺のオリジナルの「バナナ型爆弾」。
俺はあの子を爆破する。 
四月。桜散る頃。大学のキャンパスであの娘に一目惚れした俺は悪夢の渦の中へ放り込まれた。
長い黒髪を靡かせ、誠実なイメージをばら蒔く顔立ち。一撃でやられたこの心。
―まるで呪いだ。
俺にとって恋と言うもものは苦痛であるだけだ。俺の家族は次男の弟を除き、三男の弟も親父もお袋も寡黙な人間であった。そして恥かしがりで引っ込み思案。声量も少なく、人見知りもする。長男の俺も例外ではない。これも遺伝のせいかも解らない。
だから当然、ましてや異性に自ら声を掛けることなんて出来はしないし、携帯電話のアドレスや番号を教えてもらうなど以ての外。更に恥かしいのでこの現状を友人に相談も出来ずひたすら内面に溜め込む。
誰にも聞こえない心の叫びを毎晩上げる。
寝ても覚めてもあの娘のことばかり想う。あの娘が微笑めば決して有り得ることではないのに、それが自分に向けられているものと身勝手な錯覚を起こし、もしもあの娘が俺に思いを馳せていて俺に近づいてきたらなどと図々しい妄想を創り上げ、誰も知らない夢の中ではあの娘と幾千の言葉を交わし、笑い合い、強く握った手をいつまでもいつまでも離さない―あの娘を―。最低最悪空回りと知りながらやむことは無く……。
あの娘は俺を統括し、支配している。当然あの娘はその事実に気付く筈が無い。俺が明かさないのだから当たり前だ。講義を休みたい日にもあの娘の顔が見たいたがために大学へ赴き、休日に外出しても絶対逢うわけ無いのに視線はあの娘を探している。見つけたところで何も出来やしないのに……。
今あの娘を基準に動く。自ら動かされている俺にとって法律は秩序はあの娘だ。謂わば俺の政府。勝手に祭り上げた独裁者。
だから俺はこれにテロを起こす。反旗を翻し革命を実行しなければならない。俺自身を救済するために……。自ら堕ちた地獄から自分を己の手で拾い上げる呆れた救世主(メサイヤ)。それが俺。
バナナ型爆弾――。こいつをあの娘に投げつけて爆破すれば任務完了、恋歌終了。解放される俺の悩み。開放される新世界。情けなく、空しい事実に目を瞑れば呼び戻される平穏。
―やらねばなるまい。

晩秋の夕暮れ時、下宿近くの土手を走る。健康のため。俺のため。DNAの中に埋め込まれた爆弾を爆発させない為。こんなことしたからといって俺がそれから逃れられるわけではないが、何かしておかない事には不安でしょうがない。所詮気休め。そう解っていても走る。
 「おう。今日もやってるねえ」
 此処で何度も会ったことはあるが名前も知らない何処ぞの爺さんが自転車を漕ぎながら俺と並走する。
「いつも頑張ってるねえ。なんかスポーツやってるの?」
その質問には何度か答えた事があったが仕方なく答えてやる。
「バスケット……。中学時代に」
走っているので息切れして喋るのも容易ではない。
「へー。今は?」
それにも答えたらも何度目になるのだろか?
「今は……何……も」
あと三十分くらいは走らなければならないのに無駄に体力を消耗する。
「どのくらいいつも走るんだっけ?」
『だっけ?』って、今度は質問したこと自体は覚えているようだが結局忘れたようだ。こっちは喋るだけでも辛いと言う事をいい加減察してくれないのか? 横目でチラッと爺さんの顔を見るとなるほど、何も察していなさそうな良い笑顔だ。それが俺の鼻に付いたが怒りで下手に体を熱くすれば更に疲労が積み上がる。
 皮肉を込めた笑顔を、要するに苦笑いしながら、
「この土手の端から……端までです」
 と答えてやった。
「おー! すごいねー!」
何が『おー! すいごねー!』だ! 
何度も教えてやってることだから今更驚くような事でも無かろううに。早くどっか行け! 
 その願いが届いたのか
「じゃあ頑張って」
 と爺さんはペダルを漕ぐ速度を上げ俺より前に出て必然的に背中を見せる。そしてそれは一定の速度で何かに吸い込まれるように段々と俺から遠ざかって行く。
 いくら走ろうが、電車に乗ろうが飛行機で海外へ飛ぼうが、このDNAの爆弾は俺の体内にあって何処へも置き去りに出来ない。常に俺と共に在って爆裂する機会を伺っている。そうに違いない。
 俺が気付かぬ間に俺の中でもう始まっているかも知れない悲劇。憂鬱を背負って折り返す。
 すると目に飛び込む、いや、体全体を包み込む橙の光。それを放つぼんやりとした円形の太陽が西の山へと沈んでゆくのが見えた。         
 魅せられて足が止まる。汗が噴出してきて胸の奥から、腹の底から、地に着いた足の裏から一斉に高熱が発生し体を熱くする。太陽に火照らされ一層汗が流れ出す。
 この灼熱橙光を浴びていれば体のあらゆる毒が消しとられるのでは無いかと一瞬勘違いする。しかし、そんなことは無いのは解っていたので再び走り出した。
 慣れてしまえば暮れなずみの太陽なんて眩しいだけで邪魔臭くなってきた。が、やがてこれも一定の速さで何かに上から押さえつけられているかのように山の裏へと物静かに沈んで行った。
 そして空が紫色に染まって天然色。そして暗い夜へと毎日の決まりを守って変化していった――。
 下宿へ帰ってシャワーで汗を流す。湯気で曇った鏡に湯をかけ自分の姿を映す。均整の摂れた俺の肉体からは俺を脅すDNA爆弾の存在など到底覗うことは出来なかった。

 大学へ行き教室の席へ着く。大体何処の教室も作りは同じで、俺とあと数人の友人達は三列ある席の真ん中、更に一番後ろの方へ座るのが暗黙の了解であった。今日は高田と言う友人しか来ていなかったのでそいつと二人で並んで席に着く。
 あの娘は今日、何処の席に着く? 一番左の席、前から四番目くらいの場所、あの娘の友人たちと座る。
俺は講義の時間中ずっとそちらが気になって仕方ない。何度もあの娘の方へ視線が向いてしまう。ほとんど後ろ姿しか見えないのだがたまに横顔がチラッと見える。その度に走る切なさが苦しい。苦しさが切ない。早く楽になりたい。
だけど機会さえあればいい。この爆弾バナナ型を投下してそれでお終いだ。そう考えながら、視線は斜め左前方に固定したまま鞄の中を手探りする。確かに爆バナナ型弾は中に在る。
 さあ、好機よ来い! 甘く切なく清く美しく。……はないこの恋に終止符を打つ為に! 早く速く深く近くへ――。
 「なあ、おい、お前いつも何でそっちばっかり向いてんだ?」
俺の横に座っている高田が小声で尋ねてきた。
「え? いや、何処も見ちゃいないぞ」
俺は心臓が壊れるくらいドキッとしたがそう答えて誤魔化そうとした。
「嘘つけ。」
高田はそう言って俺が見ていたのと同じ方向に視線を向けると
「ああ、ひょっとしてあの女の子見てるんじゃあるまいなあ?」
不適な笑みとはこうゆうものか。と率直に理解出来るほどの表情を高田はする。
「や……違うって」
熱い。顔中耳まで赤くなるのを感じる。これは昨日走ったからではなく恥かしいからだ。おそらく、いや、確実に赤面しているのだろう。
「お前赤くなってんぞ。ええ? あの人が好きなんかい?」
やはり赤面していた俺の顔面。さらに熱くなる。
「え? 何だそれ?」
 白を切るしかない。
「お前今時好きな娘当てられたくらいで赤くなるなって、さらに誤魔化そうとして、小学生かよ」
高田が声を殺して笑う。
 その時丁度講義が終わったらしく周りの人間が席を立ち始めた。それと同時に高田の笑い声がさっきより大きくなった。
「告れや」
高田が俺の右肩を叩く。そして更に俺を冷やかそうとしているのが表情から見て取れた。ニヤニヤしている。
 少し苛立ちを感じたがこの爆弾型バナナをこの男に使うわけには行かない。俺は机の上のノートと筆入れを鞄に放り込んで、これ以上高田に俺の怒りを呼ぶ言葉を発しさせないために、先手を取って口を開いた。
「ああ、俺はあの娘が好きだ。でも告白はしない。それ以上の手を打つ」
この言葉を発した時、俺の心に恥かしいと言う観念が無くなっていた。高田は眉をくねらせて俺を見る。
「いいか、誰にも言うなよ」
俺は鞄の口を開いて高田の腹の辺りに突き出した。
「ん? バナナ?」
「バナナ型爆弾だ」
胸に絡み付いていた筈の恋情から来る苦しみまでも消し去られていくような気がする。
「はあ?」
高田は口をポカンと開けている。常人には到底理解出来まい! 俺の策略は! 優越感が生まれ俺の中に自信が湧き上がる。
 悩みを人に打ち明かすと楽になるというのは正論だ。ふっ切れた状態とはこのような状態を現すんだ。
「俺は俺自身を守護するためにテロを実行する!」
「ちょ、お前それは……」
高田の言葉を無視し鞄を持って立ち上がり教室からいつもより早い歩調で出てゆく。出発する。

ミッション

飛び出し、放たれたテロリスト。狙いは既に決まっている。今、この時間帯はこの世界。任務遂行任務完了後は真世界。深い不愉快愉快破壊破戒。
 さあ見つけ出せ標的を!
 この捻じ曲がった情熱で勝手に勝ってな自分自身を己そのもで救いだせ!
二つの、二種類の爆弾に挟まれた俺の人生。DNA爆弾は自然といつか必然的に爆発し、今鞄から手に取った弾爆バナナ型は自らの手で起爆させる。時はゆっくりそして速く流れ、空間は無視できる。今ならやれる!
これは幸運だった。俺は人通りの全く無い廊下を歩いていてその前方から来るのは間違いなくあの娘だ。その距離二メートル強!……明日が無い。今しかやれる。右手に握ったバナナ型爆弾をあの娘に向かって全力で投げつける――。
――手から離れた爆弾バナナは一直線にあの娘の腹部にぶつかる。爆裂する爆弾……。

俺のもう一つの爆弾。DNAに隠されたその爆弾は既に爆発していたようだ。しかも意外な形でであった。DNA爆弾。俺がその存在を意識した瞬間にもうそれは爆発していたといっても過言ではない。精神がこいつがために発狂していたんだ……。
確かに目標を捉えたバナナ型の爆弾。ただ、こっちは不発だった――。しかもこれは誤作動などと言う都合の良いものなんかではなく、予め仕組まれたものであった――。

……ただのバナナ。あの娘に当たってあの娘の足元へ落ちる。
真実の世界に出会って俺の顔は紅潮している。体全体がそうなっていてもおかしくは無い。これは早歩きしたからでもなければ恥かしいからでもない。後悔。兎に角それだ。
『何やってんだろう……』
この言葉を自ら発生させ俺の心に纏わり着かせる。
 目線を下に下ろしつつ一瞬あの娘の顔を見た。驚いたと言うのをとっくに終えて不愉快を露にしている。俺を軽蔑するような視線を、表情を感じる。
 逃げようと思ったが足が動かない。膠着する阿呆の根性無し俺一人と、全てがイメージでしかない、実態が解らないあの娘。対峙し、静止した二人の間に現れる様々な解釈を含むであろう沈黙。
「ごめんなさい」
 これ以外に何も出なかった――。

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