光陰

人は
「時間が巻き戻せたら」
とか
「あの頃に戻りたい」
と時間を巻き戻すような事へ憧れる。
と同時に
「早く時間が過ぎないかなあ」
「早く明日が来ないかなあ」
と時間の経過を渇望したり、
「今日と言う日が永遠に続けば良いのに」
と時間の停止とも言える現象を望んだりもする。
兎角人は、時間をどうにかしたがる。

ここに一人の男の子がいる。
ある日、突然物心がついた。
人はそうなるものだ。
皆さんもそうだったであろう。
母親から遊んだオモチャをオモチャ箱にに片付けるよう躾けられるのが苦痛だった。
ある日、父親が子供向けアニメのビデオを借りて来てくれた時、巻き戻しや早送りと言う機能がある事を知る。
「これが僕にも使えたら、オモチャを片付ける所だけ早送りしたいなあ」
そんな風に思った。
翌日、やはり遊んだ玩具を片付けるよう母親に言われた。いつものこと、毎日の事だ。
幼い頃の男は思う。
「片付けを早送りしたい」
そして口にしてみる。
「早送り!」
すると辺りが一瞬真っ暗になった。明るくなったと思ったら、散らばった玩具がものすごい速さで箱に収まっていく。何が起きているのだろう?と思うがよく見ると自分自身の手が経験した事ない速さで片付けの作業をしているのだ。
10秒もしない間に片付けは終わった。
すると黒い影がこれまた猛スピードで自分に迫ってくる。
恐くてそちらを見る事が出来なかった。
影に覆われると自分の頭が左右に激しく揺れる。しかし頭には感じなれた感触。ものすごい勢いで心を揺さぶる安心感。
母親だ。母親が超スピード自分の頭を撫でているのだ。いつも面倒な片付けを終えるとこのようにしてくれた。
ここで彼は時間が早送りされている事に気がつく。
「止まって!」
止まらない。景色はどんどん過ぎていく。
「止まって!止まって!止まって!」
止まりはしない。早送りされていく世界の中で、遊ぶオモチャが変わったり、友達が出来たりするのだが、何の楽しみも感じないまま過ぎ去って行く。
「止まれ止まれ!停止しろ!」
早送りの世界で叫ぶ。いつの間か語彙が増えている。猛スピードで何度も目の前に現れる父親や母親の顔が段々近くなっていく。
成長している。
宿題も、教室に墨汁ばら撒いて教師に説教されるのも、万引きがばれて補導されるのも全て早送り。
それは助かるのだが、
少年野球で優勝したのも、中学で柔道部のエースに喧嘩で勝ったのも、割といい高校に受かったのも早送り。
「時よ止まれ!汝はいかにも美しい!」
高校でゲーテのファウストを読んだらしく、
こんな台詞で時を止めようとしても早回しは続く。
わけのわからん大学にものすごい速さで入学し卒業する。どうやら高校で勉強は頑張らなかったらしい。
何の会社かわからない会社へ入った。本当にわからない。早送りのスピードが上がって来てるのか、速過ぎて社名が読めない。何をしてるのかもよくわからない。何故か同僚と思しき女性社員二人から殴られた。それもまたものすごいスピードで去って行く。
「止まれし!止まれし!」
なんだか気持ち悪い言葉で騒ぐ。早送りで通過した世界で流行った言い回しだろうか?
いくつの情景、幾人の人が自分の目の前を通り過ぎただろうか?
一瞬自分に子供が出来た気がしたが、束の間だけいた奥さんと思われる女に凄い勢いで連れて行かれてしまった。
いつのまにか両親もいなくなった。
面倒な葬式や葬式後の手続きもすっ飛ばしていく。
「頼むから止まってくれ!」
……目の前が真っ白になる。ほんの数秒全てが止まった気がした。
すごくゆっくりに見える世界。
薄暗い部屋。1秒毎に動くアナログ時計の秒針。
机の上に転がっているアルミ缶に反射して映るボーボーの髭と髪の男。
男の子は成長したと言うよりはむしろ退化が始まる段階の人間になるまで時を進めてしまっていた。
手にはスマートフォンを持っている。
勿論使い方はわかる。
LINEが入っている。開くと沢山の写真。
グループLINEに4組同窓会とある。
宴会場で楽しそうな集合写真やらなんやら。
自分自身も写っていて今にも声が聞こえて来そうなほど笑顔の写真ばかり。
とてもぼんやりしているが、かつて楽しい時間を過ごした仲間達と再び素晴らしい時を過ごした記憶がある。
俺はなんだかんだ良い人生を送っていたんだなあ。
男の目からは涙が溢れる。
殆ど経験した記憶がないのに、
確かに思い出されるあんな事やこんな事。
早送りの中で確かにあった事実なんだと。
もっとゆっくり味わいたかったと。
慟哭。
「わかるわけないだろ!3歳の子供に、人生を早送りする事がこんなに怖い事なんてわかるわけないだろ!」
男は一人叫ぶ。
「時間を早送りできたなら、巻き戻しもあるだろ!巻き戻せ!」
時計の左回りが止まらない。
全てが、巻き戻されて行く……

あの日に戻る。
早送りされ辿り着いたあの未来の記憶も剥ぎ落とされ、すっかり突然物心ついたあの子供になる。
やがて遊んだオモチャを片付けるように言われ、片付けをするのが億劫になった男の子はこう思う。
「片付けを早送りしたい……」

景色が猛スピードで過ぎる。
また早送られる世界が始まった。

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