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40回目 "Him with His Foot in His Mouth" from Saul Bellow Collected Stories を読む(Part 1/3)

しばらくSaul Bellow から離れた後、戻ってきたのですが、まず気付いたのは、その文章の長さ。名詞・名詞句の後からそれを長々と限定する「断り書き」が続くことでした。これが彼の文章が発する彼独特の匂いの源泉の一つだという点です。もう一つは、挿入句を用いて直前の名刺を修飾する文章構成です

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1. 関係代名詞、挿入句を使って名詞に長い説明を加える構造の文章

私には、この種の文章構造によって、登場人物やその人の心情などが次々と明らかになっていく時の快感・好奇心が充足される心地よさは、ベロー作品を読む大きな楽しみの一つです。

[原文 1] Please forgive this, Miss Rose. It seems to me that we will need the broadest possible human background for this inquiry, which may so much affect your emotions and mine. You ought to know to whom you were speaking on that day when you got up your nerve, smiling and trembling, to pay me a compliment--to give me, us, your blessing. Which I repaid with a bad witticism drawn, characteristically, from the depths of my nature, that hoard of strange formulations. I had almost forgotten the event when Walish's letter reached me in Canada.
[和訳 1] ミス・ローズ、私がこうした(長い手紙を出した)ことをお許しください。今回の要請(この手紙が要請する作業)の遂行には、私たち双方が可能な限り広範な人間的特質を作業の土台に置かねばならないだろうと私には思えます。この作業はあなた、そして私の感情に大きな負荷をかけかねないのです。あなたにはあの日、笑みを浮かべ、そして声を震わせて私に、あるいは私と私の傍らにいたもう一人の双方に好意的な言葉を投げかけようと、思い立ってくれたのですが、声かけの対象であった私たちがどのような人間であったのかに今回は目を向けて頂きたいのです。その声に私は大変にまずい返答を返したのです。ウィットを効かせようとしたのですが。ウィットを効かせたはずの言葉は、私の性格の奥に潜む様々な特性が絡み合って作り出したものとして、ややもすれば起こりえる類のものでした。今回、ウォリシュ氏から手紙がカナダにいる私に届いたのですが、手紙を見るまでの私はほとんどあの日の出来事は忘れてしまっていました。

Lines from line 16 to line 22 on page 381,
Saul Bellow Collected Stories, a Penguin Paperback


2. ユダヤ人がユダヤ人であることを、非ユダヤ人に対して負い目に感じる複雑な心情を小説においてどう表すのか

Bellow や Malamud を読む読者にはこの観点から考えることはよくあることと思います。次に示す文章はその読解がむつかしいのですが、私は次のとおり理解し、ユダヤ人の心情を垣間見た気になりました。

[原文 2] One of Walish's long-standing problems was that he looked distinctly Jewy. Certain people were distrustful and took against him with gratuitous hostility, suspecting that he was trying to pass for a full American. They'd some times say, as if discovering how much force it gave them to be brazen (force is always welcome), "What was your name before it was Walish?"--a question of the type that Jews often hear. His parents were descended from north of Ireland Protestants, actually, and his mother's family name was Ballard. He signs himself Edward Ballard Walish. He pretended not to mind this. A taste of persecution made him friendly to Jews, or so he said. Uncritically delighted with his friendship, I chose to believe him.
[和訳 2] ウォリシュ氏にとって、いつまでも解消されることのない悩みの一つが、自分の顔が極めてユダヤ人風であることにありました。一定の割合の人々が彼に疑いの目を向け、その根拠が薄弱であるのにもかかわらず敵対心を露わにするのです。振る舞いをとり繕ってアメリカ人に成りすまそうとしているだけだろうと想定するのです。そんな人たちは、恥を恥とも思わずこの質問を投げかけることで得られる力、相手を萎縮させる力の大きさを試してみるかのごとく(力を持つのはいつであれ心地よいもので)、「ウォリシュという名前になる前の元々のお名前は何というのですか?」と一度ならず質問するのでした。この質問はユダヤ人が頻繁に投げかけられる質問です。ウォリシュ氏の両親は、事実、アイルランドのプロテスタントの家族の出でした。父はアイルランド北部のプロテスタント家族の出身、彼の母の姓はバラードでした。ウォリシュ氏自身はエドワード・バラード・ウォリシュと自分の名前を記述します。氏はそうすることに躊躇することはないと表明しました。迫害を受ける苦しみへ同情を寄せるという氏の気風が幸いして、ユダヤ人たちに受け入れられました。この理由の当否はともかく、氏自身がそう口にしたのです。こんなウォリッシュ氏に対して私は、批判的態度をとることもなく、むしろこの男の馴れ馴れしさに心惹かれて、この男を信頼したのです。

Lines from line 39 on page 382 to line 7 on page 383,
Saul Bellow Collected Stories, a Penguin Paperback


3. 語り手でもある登場人物の「私」のおしゃべりは、興に乗ると「日本の大衆芸である落語」そのものです。

小説の語り手である私はクラシック音楽の評論家。世間には、人をけなして得意になっているだけとの見方があることを察知すると、この筋の大先輩には馬鹿にされたことが何度もあるのですと、その時の様子を吐露します。コモ湖(イタリア北部アルプスの麓の高級保養地)の会議場で、私の論文を発表するにあたって、その予稿に目を通し、発表の前にご意見を頂きたいと頼み込みその道の大御所の部屋に押しかけた時の話です。

[原文 3] Anyway, I was reading to the worldly-wise and learned Kippenberg, all swelled out in green, his long mouth agreeably composed. Funny eyes the man had, too, set at the sides of his head as if for bilateral vision, and eyebrows like caterpillars from the Tree of Knowledge. As I was reading he began to nod. I said, "I'm afraid I'm putting you to sleep, Professor." "No, no--on the contrary, you're keeping me awake," he said. That, and at my expense, was genius, and it was a privilege to have provoked it. He had been sitting, massive, with his two sticks, as if he were on a slope, skiing into profound sleep. But even at the brink, when it was being extinguished, the unique treasure of his consciousness could still dazzle. I would have gone around the world for such a put-down.
[和訳 3] ともかくことが起こったのは、私は予稿を世界的な賢人・知識人であるキッペンベルグ氏に向かって読み上げている時でした。氏は大きな身体に緑の装束をまとっていらっしゃいました。その横に長い口元からは無駄な言葉が漏れたりはしません。眼についても口と同様に、一風変わっていて、左右の目は額の両側に大きく離れて位置していました。恰もそれぞれが別の方向に視野広く目を配っているかのようでした。眉毛はというと知識の大木から落ちてきたキャタピラ(毛虫)のようでした。私が声に出して読み上げていると、氏はこっくりし始めました。すかさず私が「どうも私は先生に眠たく感じさせてしまったようで。」と申し上げたのですが、氏は「いいえ、そんなことないですよ。その反対です。あなたは私の目を覚まさせたのです。」と対応しました。この対応たるや当に天才の技です。このジョークは私をさり気なくけなす(コケにする)ものです。しかし一方、こんな反応を引き出したのは私の方だった訳で、こんな経験・発見ができたのは私自身の大きな収穫でした。この時の氏は左右二本の杖を手にして、大きな身体を椅子に沈めていたのです。その姿勢たるやスキーヤーが雪の斜面の上段から今まさに滑り降りようといわんばかりの体制でした。氏の場合は睡眠の深みに滑り降りるのでしたが。すごいのはこんな際どい一瞬にあってすら水をひっかけられると、氏の宝石ともいえる、氏の知能に根付いている格別の能力のなせる業でしょう、間髪を入れずに反応して、その場にいる人々に感動を与えることができるのでした。このようなからかい・辱めに遭遇できるとあれば私は世界中のどこにでも出かけて行きたいものです。

Lines from line 34 on page 384 to line 2 on page 385,
Saul Bellow Collected Stories, a Penguin Paperback


4. Study Notes の無償公開

原書、Saul Bellow Collected Stories, a Penguin Paperback の Pages 374 - 386 に対応する部分の Study Notes 1/3 を以下に公開します。この文書は MS Word によって作成され、A-5サイズの冊子形状に設定されています。

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