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54 回目"Midnight's Children" を読む(第8回)。試験勉強とは違って「事そのものへの興味」に魅かれ、その結果として英語が身につくことを経験・実感します。

今回記事での読書対象は、17 番目のエピソード The Kolynos Kid です。
英語の学力を磨くための学習については専門外にある自分。できるだけその領域に踏み込まないようにしている私ですが、今回は少しだけ越境します。

今回の部分を読んでいて「英語の勉強で 300 ~ 600 ページに及ぶ Paperback 小説を読むのに求められる根気強さが生まれるのか?」という疑問が湧いてきました。

1. 小説におけるエピソードの流れについて行きたいという欲があれば、時間(暇)が必要ではあるものの、何とか調べは付くことが多いのです。

10 才の賢い男の子が、誕生以来ずっと子守役として雇われているる女性と叔父の二人に、トラブルに見舞われた両親から連れ放されるシーン。大人が僕をなだめたり、ごまかしたりして親の家でなく叔父の家に強引に連れて行くのです。

[原文 1] All too fast … we are at Kemp's Corner now, cars rushing around like bullets … but one thing is unchanged. On his billboard, the Kolynos Kid is grinning, the eternal pixie grin of the boy in the green chlorophyll cap, the lunatic grin of the timeless Kid, who endlessly squeezes an inexhaustible tube of toothpaste on to a bright green brush: "Keep Teeth Kleen And Keep Teeth Brite, Keep Teeth Kolynos Super White!" … and you may wish to think of me, too, as an involuntary Kolynos Kid, squeezing crises and transformations out of a bottomless tube, extruding time on to my metaphorical toothbrush; clean, white time with green chlorophyll in the stripes.

Lines between line 16 and line 26 on page 333,
"Midnight's Children", a Vintage Classic, 40's Anniversary Edition

Kolynos が英国生まれの歯磨きペーストのブランドだと解ると、私にはややこしかったこの隠喩まじりの文章も「面白い」と解ったのでした。次に示すのが上記[原文 1-1]に対応する和訳です。

[和訳 1] 速すぎる移動です。既にケンプス・コーナーに差し掛かっています。いずれの車も鉄砲の弾のごとく跳び回っています。しかし一つだけは変化しません。それは叔父の顔にあるニヤッした微笑です。子供サイズの妖精、葉緑素の緑色の帽子を着た小さい妖精の絶えることない微笑です。それは永遠に年を取ることがない子供の無邪気な微笑でもあって、手を止めることなく、中身が尽きることのないチューブを絞り続けています。中身は歯磨きペーストで、それは輝く緑色の歯ブラシの上に押し出されています。「歯を清潔に保とう。歯の輝きを絶やさないよ。歯はコリノス色の最高の白色にしましょう。」と言い続けます。さてそこでです。この叔父の顔の微笑、すなわち私のこの顔はコリノスの少年であると捉えることができるだろう。するとこの私(叔父)はこの少年と同じように、しかし当人がそう望んだわけでもないのですが、危機と変転をいつ尽きるともなくチューブから絞り出していることになるよね。すなわち、自分という歯ブラシの上に汚れのない白色の時間、ただし葉緑素の緑色のストラプ模様が付いている時間を押し出し続けているのです。(次々と寄せ来る課題・困難と対決しているのです。)

TRANSLATION of Lines between line 16 and line 26 on page 333,
"Midnight's Children", a Vintage Classic, 40's Anniversary Edition

上記引用箇所では、歯磨きの広告にでている子供のキャラクターにまつわるたわいない道草のごとき文章が一瞬にして生活の苦労や降りかかる厄災との格闘に移り変わるのです。この連想・転換の妙に私は驚かずにおれません。


2. 大江健三郎の「あいまいな日本の私」の中でグロテスク・リアリズム、あるいは民衆の笑いの文化のイメージ・システム」なる言葉に出会いました。

「エログロ・ナンセンス」という言葉を連想します。合わせて「マジック・リアリリズム」という小説の分類用語も頭に浮かべました。このような言葉を使って私を煙に巻いていた文学評論の世界、一瞬、そんな世界への視界が開けたかのような気がしてきます。併せて、私の投稿記事「49回目」で触れた W. S. Maugham の言葉 "it is of no more real importance than the epistolary style which was in vogue during the eighteenth century." 「18 世紀に流行った手法であるところの手紙風の小説を書くという手法と同程度の重要度のものであってそれ以上のものではありません。」が思い出されます。

次の引用部分もそのような「小説表現手法」の事例でしょうか? 

今回読書の対象としている ”The Kolynos Kid" と題されたエピソードにある文章断片、10 才の私が身を寄せている叔父夫婦のアパートメントでの出来事です。

[原文 2-1] My Mumani -- my aunty -- the divine Pia Aziz: to live with her was to exist in the hot sticky heart of a Bombay talkie. In those days, my uncle's career in the cinema had entered a dizzy decline, and for such is the way of the world, Pia's star had gone into decline along with his. In her presence, however, thoughts of failure were impossible. Deprived of film roles, Pia had turned her life into a feature picture, in which I was cast in an increasing number of bit-parts. I was the Faithful Body-Servant: Pia in petticoats, soft hips rounding towards my desperately-averted eyes, giggling while her eyes, bright with antimony, flashed imperiously -- 'Come on, boy, what are you shy for, holds these pleats in my sari while I fold.' I was her Trusted Confidant, too.
[和訳 2-1] 私の叔母、偉大なピア・アジーズ叔母です。彼女と暮らすのはボンベイという映画の都の粘っこさのど真ん中に居ることでした。その当時、映画業界に係る叔父の仕事が急激に衰退し始めていたのです。それは広く世間に一般化していたことからピア叔母さんの勢いも同様に下降中でした。しかし彼女が傍にいると低迷なる言葉に居場所はありません。映画で演じる仕事がなくなった結果、彼女は挿入写真への出演で生きることにしたのです。その仕事において私には幾つもの下役の仕事が与えられました。忠実な身の回りの世話役です。ピアはペチコートだけの姿で、光輝く化粧品で素肌を飾り堂々とフラシュを浴びていました。「しっかりしなさい。何を恥ずかしがっているの。あなたはサリーの折り重ねたこの部分を抑えているのよ。」私は彼女にとって何でも頼める召使でもあったのです。

Lines between line 8 and line 20 on page 335,
"Midnight's Children", a Vintage Classic, 40's Anniversary Edition

[原文 2-2] While my uncle sat on chlorophyll-striped sofa pounding out scripts which nobody would ever film, I listened to the nostalgic soliloquy of my aunt, trying to keep my eyes away from two impossible orbs, spherical as melons, golden as mangoes: I refer, you will have guessed, to the adorable breasts of Pia mumani. While she, sitting on her bed, one arm flung across her brow, declaimed: 'Boy, you know, I am great actress; I have interpreted several major roles! But look, what fate will do! Once, boy, goodness knows who would beg absolutely to come to this flat: …'
[和訳 2-2] 私の叔父が葉緑素の色の縞柄のソファーに腰かけて映画のシナリオ、誰かが映画化してもらえるというあてもないシナリオをライプライターで叩き出し続けている中で、私は叔母の哀愁漂う一人語りに聴き入っていました。禁断の丸みをおびたもの、メロンのごとき曲面、マンゴーのごとき黄金色のそれからは、意識して両目を逸らしていました。既にご想像されたことでしょうが、それはピア叔母さんの見事な胸の膨らみです。叔母さんはベッドに腰を下ろし、片方の腕を自分の眉の上に被せた姿勢で「あなたあh知っていますよね。私は有名な女優なのよ。いくつもの大事な役を演じてきたのよ。それなのに、運命というのは見ての通りよ。良かった頃には、それはそれはすごい有名人がこのアパートメントに招かれることを夢にまで見たものなのよ。本当よ(知る人は知っていますよ)。」

Lines between line 20 and line 30 on page 335,
"Midnight's Children", a Vintage Classic, 40's Anniversary Edition


3. Study Notes の無償公開

17 番目のエピソード The Kolynos Kid, Pages 330-349 に対応する私のStudy Notes を以下に公開します。A-4 用紙に両面印刷することで A-5 サイズの冊子が出来上がるようにフォーマットされています。

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