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65回目 "Midnight's Children" を読む(第17回)。 時には「プロパガンダ小説」と「芸術と言える小説」の境目に興味が湧くことも。

今回は 27 番目のエピソード ”The shadow of the Mosque” を読みます。その書き出し部分を取り上げることにします。何とももったいぶった言い回し、工夫を凝らした表現です。興味が湧きます、これがプロパガンダ小説という汚名を避けるのに役立つのかなという疑問が頭に浮かんだのです。

前回の記事の投稿を済ませた後、ボールドウィンの小説 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" にまつわる批評文をGoogle 検索して読んだのですが、その時から頭に残っていた話題と丁度重なりあったのです。


1. 小説を芸術 "art" に格上げする要素 = 落語のような話

一つの小説を前にして、それを芸術と判定するのかそれとは別物と判定するのかの基準を考えてみます。以下に取り上げる一つ・二つの例が示す程度の工夫を凝らした表現の有無がその基準になるのではないと思うのですが、良く分からないなという気持ちです。

[原文 1-a] No shadow of a doubt: an acceleration is taking place. Rip crunch crack – while road surfaces split in the awesome heat, I, too, am being hurried towards disintegration.
[和訳 1-a] このことに疑わしい気配はありません(確実です。)このことに関しては加速するばかりなのです。引きはがし、叩きつぶし、ひび割れの発生が加速するばかりです。すさまじい暑さによって道路の舗装面がひび割れる日々が続いていますが、私自身も分解に向け背中を押され続けています。

[原文 1-b] What-gnaws-on-bones (which, as I have been regularly obliged to explain to the too many women around me, is far beyond the powers of medicine men to discern, much less to cure) will not be denied for long; and still so much remains to be told … Uncle Mustapha is growing inside me, and the pout of Parvati-the-witch; a certain lock of hero's hair is waiting in the wings; and also a labour of thirteen days, and history as an analogue of a prime minister's hair-style; there is to be treason, and fare-dodging, and the scent (wafting on breezes heavy with the ululations of widows) of something frying in an iron skillet … so that I too, am forced to accelerate to make, to make a wild dash for the finishing line; before memory cracks beyond hope of re-assembly, I must breast the tape. (Although already, already there are fadings, and gaps; it will be necessary to improvise on occasion.)
[和訳 1-b] 骨に喰いつき骨を破壊する奴はこの先長い間かけても駆除されることはないでしょう。この骨を破壊する奴たるや私の周囲に居る過剰とも言える大人数の女性たちに、日頃、繰り返し繰り返し説明してきた通り、医者たちの解読能力の及ばない奴であって、治療となるとましてや遠く及びません。この件以外にも未だお話し出来てない事柄が山積みです。叔父のムスターファが益々私の気掛かりの度合を高めています。魔女のパーバティの突き出た唇についても話さねばなりません。舞台の両袖では英雄の髪の毛の一束とやらも待機しています。13日間かかった労働の件、総理大臣の髪型が暗示するものとしての歴史の件、裏切り行為、の未遂事件と正当なやり過ごし行動 料金踏み倒し事件、更には鉄釜の中で何かが焼きあがった臭いのことも話さねばなりません。その臭いたるや強い魅力で未亡人たちをウキウキさせる性質を持っていて、それがそよ風にのって周囲に拡散したのです。そんな訳で私自身までもが釣り糸を求めて全力で駆け出すように仕向けられたのでした。記憶が再構成不能なまでに分解・分裂してしまう前に私は自分の胸でゴールのテープを切らねばなりません。(既に、本当にもう既に記憶の薄弱化、何ヵ所にも渡る裂け目が発生していると分かっています。すなわち(これからのお話では)それらの箇所、あちらこちらで適当なつなぎ合わせ、創作をせぜるを得なくなっています。)

Lines between line 1 and line 18 on page 536, "Midnight's Children",
40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback

1-a そして 1-b として上に取り上げたような、小説の極めて小さな部分だけを見ている限りでは、「なるほど言いえて妙だな」、「面白いな」と楽しめるのですが、落語を聞いているのと同じ楽しさに留まるのかなと思います。もう一つ同じ様な例を拾い上げます。

[原文 1-c] And at last, having turned left towards Dupleix Road, I arrived at an anonymous garden with a low wall and a hedge; in a corner of which I saw a signboard waving in the breeze, just as once signboards had flowered in the gardens of Methwold's Estate; but this echo of the past told a different story. NOT FOR SALE, with its three ominous vowels and four fateful consonants; the wooden flower of my uncle's garden proclaimed strangely: Mr Mustapha Aziz and Fly.
Not knowing that the last word was my uncle's habitual, desiccated abbreviation of the throbbingly emotional noun 'family', I was thrown into confusion by the nodding signboard; after I had stayed in his household for a very short time, however, it began to seem entirely fitting, because the family of Mustapha Aziz was indeed as crushed, as insect-like, as insignificant as that mythically truncated Fly.
[和訳 1-c] デュプレイクス道路に向かって左折して、とうとう私は名前不詳の、低い塀と生垣があるガーデンにたどり着きました。やがて、そのガーデンの一端にある弱い風に揺れている案内標識が目に止まりました。嘗てメスワルド邸宅の敷地内のガーデンにおいて日々目にしていた咲き乱れる花のごときであった案内標識を思い出させるものでした。そうはいっても、このときに感じた過去からのこだまは当時とは全く異なる話を引き連れていたのです。3個の悪い予感を誘う母音と4個の不運を象徴する子音でなる言葉、NOT FOR SALE 「売り物件にあらず」と主張していました。木製の花、我が叔父の家のガーデンに立つ木製の花は不可解なことに、ムスタファ・アジーズとFlyとあったのです(その家族(Family)のa, mi が欠落している)。

この表示された文字列の最後の単語が人々の心に訴える響きを持つ名詞、ファミリーの短縮表現、私の叔父に特有の、乾ききった感性に由来する短縮表現であるとは知る由もなく、私の頭は少し垂れ落ち気味のこの標識板によって混乱をきたしました。叔父の家に踏み込みひとときを過ごす内に、この表記が叔父の家庭状況を示すにぴったりであると直ぐに気付きました。叔父、ムスタファ・アジーズの家庭が文字通り見事に損傷を受けていたのです。あたかも虫けらのように、あの意味不明なまでに羽根や脚をちぎり去られた一匹のハエの姿にまで損傷を受けていたのです。

Lines between line 1 and line 16 on page 545, "Midnight's Children",
40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback

ヒトと呼ばれる生き物に、普遍的な美意識、よろこび、心の高まりを呼び起こす作品が芸術作品(ART 作品)であるとします。すると落語的な面白さの有無、その巧みさといった観点のみでは芸術作品、その必要条件を満たすに十分ではないのです。また、作品は一旦公開されるとその作者から独立したものとして評価されるとは言え、反社会的な行動をする人の作品を果たしてその事実を無視して楽しめるのでしょうか? 一定のグループの人をアロガント(雄弁)にこきおろして味わう優越感を喜びの糧にしている人が、もう一方で楽しい作品を創作してもそれは普遍的にと言えるまでに多様な人々の喜びの的・喜びの源泉となることはないのでしょう。


2. 小説を芸術 "art" に格上げする要素 = 人物の心情を表すにぴったりの会話

もう一つ別の小説をして芸術と判定する基準的要素として、私もいつだったか、どこかで学んだはずのものがあります。登場人物の心情の表現力です。

戦争に敗れたパキスタンの兵士である身分からすると脱走兵であるサリームは戦場、すなわちバングラデッシュのダッカから、昔からのつながりがある魔術師に助けられ、戦犯である大勢の兵士を輸送するインド軍手配の飛行機にこっそり紛れ込んで、インドの首都のデリーまで戻ります。途中で拾ったオーバーオールの服に身を包んではいるものの汚れは酷く全身が悪臭を発しています。何時間も一人で歩き続けて母の弟の家に、とりあえずの援助を求めてたどり着きました。

[原文 2] With what words was I greeted when, a little nervously, I rang a doorbell, filled with hopes of beginning a new career? What face appeared behind the wire-netted outer door and scowled in angry surprise? Padma: I was greeted by Uncle Mustapha's wife, by my mad aunt Sonia, with the exclamation; 'Ptui! Allah! How the fellow stinks!'
And although I, ingratiatingly, 'Hullo, Sonia Aunty darling,' grinned sheepishly at this wire-netting-shaded vision of my aunt's wrinkling Irani beauty, she went on, 'Saleem, is it? Yes, I remember you. Nasty little brat you were. Always thought you were growing up to be God or what. And why? Some stupid letter the P.M.'s fifteenth assistant undersecretary must have sent you.' In that first meeting I should have been able to foresee the destruction of my plans; I should have smelled, on my mad aunt, the implacable odours of Civil Service jealousy, which would thwart all my attempts to gain a place in the world. I had been sent a letter, and she never had; it made us enemies for life. But there was a door, opening; there were whiffs of clean clothes and shower-baths; and I, grateful for small mercies, failed to examine the deadly perfumes of my aunt.
[和訳 2] オドオドしながらも、新しい仕事と生活が始まるかとの期待も胸に、ドアのベルを鳴らした時に相手はどんな挨拶の言葉を返したかをお話します。入り口外側の扉、金属の網目越しにどのような顔が迎えてくれたのか、どのような顔が怒りと驚きの大声をあげたかをお話します。聞いていますかパードマ? 私はムスタファ叔父さんの奥様に迎えられたのです。あの気が狂った叔母のソーニアにです。「プティ―! アラーア! 何とこの輩、臭いの酷いこと!」と言ったのでした。

私が相手に取り入るように低姿勢で、「ハロー、ソーニア叔母さん。いとおしい叔母さん。」と言葉を切り出し、金網の陰の中に覗く叔母の皴にまみれたイラン人風の美人顔に向かってニッコリしたのですが、彼女は言葉をつづけました。「サリームなの? 間違いなしね。あなたのこと覚えていますよ。悪さなチビだったわね。ずっとこれまであなたは神になったとか、それに類するものに成長したと考えていたのよ。それなのに、今の姿は何なの?総理大臣の下で働く下級事務の副担当中の第15番目の役人が書き設えたとしか思えないような馬鹿げた手紙を覚えていますよ。」 この時、顔を合わせたその瞬間、自分の目論見が破綻するであろうことに私は気付くべきだったのです。私は気の狂った叔母にまとわり付いた公務員に共通する嫉妬心が放つ臭いに気付くべきだったのです。この嫉妬心なるや、世界に打って出て、然るべき地位を獲得しようなどという私の如何なる試みをも妨害するものなのです。私には一通の手紙が届いたのでしたが、彼女は一通たりとも受け取ってはいないのです。この事実は私たち二人をして一生続く対立関係に陥れたのです。しかし、目の前には扉があり、開かれていました。そこから清潔な衣類、そしてシャワーでの水浴びの匂いが漂ってきました。私はこのチョットしたやさしさに感謝の気持ちで一杯になり、おかげで叔母の身に付けた香水の恐ろしい香りの意味を熟慮する作業を失念したのでした。

Lines between line 17 on page 545 and line 2 on page 546, "Midnight's
Children", 40th Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback


3. 小説を芸術 "art" に格上げする要素 = 取り上げられた話題・中身の重さ

社会に係る課題であったり、人生の喜びであったり、人生の苦しみであったりとこればかりは私に限定できそうにはないのです。しかしこれ抜きに芸術はあり得ないのだとは思います。

Baldwin の小説 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" (1968)をしてプロパガンダ小説になってしまっている。Baldwin の評論文(Critics)は素晴らしいのに彼の小説はこれに限らず今一歩の感があるという主旨の Mario Puzo の手になる批評文が June 23, 1968 付けで The New York Times 紙に掲載されて大きく話題にされたようです。M Puzo 氏はゴッド・ファーザー、Part 1 & 2 の大ヒットした映画の原作者(年代記の体裁で成る小説そのものの発表は1969 年)で同映画の製作にも影響力を発揮された有名人です。

この辛辣な批評に対して、投稿者名:Cheryl という方がこの Mario Puzo 氏の非難に対抗するコメントを March 30, 2020 付けで Goodreads に投稿されています。その極一部を引用します。

One thing this novel illustrates are the lasting effects of trauma on African American children, trauma as a result of police brutality witnessed or experienced during childhood. Again, I borrow Ralph Ellison's words, which I stated in this review of Invisible Man: "If social protest is antithetical to art, what then shall we make of Goya, Dickens, and Twain?"

Cheryl's article in Goodreads, Mar. 30, 2020

「中身の重さ」なるものの意味をこの議論を一つの例にして、今後の考察への切っ掛けにしたいと思った次第です。


4. Study Notes の無償公開

以下に私のStudy Notes を無償公開します。今回は原書 Pages 536-564 "The shadow of the Mosque" に対応するものです。Midnight's Children の第17回と番号付けた Study Notes です。例によって A-4 用紙に両面印刷すると A-5 サイズの冊子に仕上がるように調整されています。

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