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22回目 Zetland: by a Character Witness を一回で読み切る。語り手は、自分が友達になった時に14才であった男の、それからの一生を、自身が見たり話し合ったりしたままに語ります。ベローは生きる哲学を検討するのです。

  Saul Bellow のこの Short Story の語り手はZetland氏と友達になります。Zet(彼の愛称)は当時14才でした。その3- 4年後には大不況が襲います。Zet は7才の頃に大病に襲われたもののかろうじて回復できたという本好き(Bookish)の天才少年です。彼は既にこの時、地球どころか宇宙の始まりを理解していて語り手に話し聞かせてくれたのです。その話たるや、私が偶々並行して読んでいた加島祥造が描く「老子が書き残した世界観」そっくりです(加島著「私のタオ」参照)。その後、2人は、大学生となる頃にあって、哲学の世界の議論に時間を過ごします。

<Zetと語り手が7~19才の頃のシカゴの街の様子>

  当時のシカゴの様子が原書 "Saul Bellow Collected Stories" では次の通り描かれます。
[原文1]The neighborhood was largely Polish and Ukrainian, Swedish, Catholic, Orthodox, and Evangelical Lutheran. The Jews were few and the streets tough. Bungalows and brick three-flats were the buildings. Back stairs and porches were made of crude gray lumber. The trees were cottonwood elms and ailanthus, the grass was crabgrass, the bushes lilacs, the flowers sunflowers and elephant-ears. The heat was corrosive, the cold like a guillotine as you waited for the streetcar. The family, Zet's bullhead father and two maiden aunts who were "practical nurses" with housebound patients (dying, usually), read Russian novels, Yiddish poetry, and were mad about culture. He was encouraged to be a little intellectual. So, in short pants, he was a junior Immanuel Kant. (Lines 1 - 10 on p.241)
[和訳1] 住いの一帯は概ねポーランド、ウクライナ、次にはスウェーデンからの人たちで占められていました。彼らはカソリック、オーソドックス、あるいはエヴァンジェリカル・ルーテル派の何れかでした。ユダヤ人は極僅かでした。また通りには危険が溢れていました。建物となると三階建てアパートのビルとバンガロー家屋がその大部分でした。建物裏の階段やバルコニーはカンナ掛けされていない木材で造られ、灰色でした。建物周りにはコットンウッドの木やエイランサスの木が植えられ、芝生であるべきところにはクラブ・グラスなる雑草が広がり、ライラックの低木の繁みもあります。花といえばひまわりとエレファント・イヤーが目に付くくらい。辺りは、暑さたるや耐えがたいまでに酷いもので、寒さたるや路面電車を待つのがギロチンの下にいるごとくでした。ゼットの頑固な父親と二人のおばさん(二人とも未婚で実際上は看護婦として死にかけの家族の世話をしていた)でなる家族の全員が、ロシア小説やイディッシュ語の詩に読み耽けり、文化に熱狂していました。ゼット当人はインテリ少年であることを期待され、半ズボンを履いた、少年哲学者マニュエル・カントという風体でした。

[原文2]Books in Chicago were obtainable. The public library in the twenties had many storefront branches along the car lines. Summers, under flipping gutta-percha fan blades, boys and girls read in the hard chairs. Crimson trolley cars swayed, cowbellied, on the rails. The country went broke in 1929. On the public lagoon, rowing, we read Keats to each other while the weeds bound the oars. (Lines 23 - 27 on p.241)
[和訳2]シカゴの街では本との出合いが容易でした。1920年代にあって、公共の図書館が街の多くの一般商店、特に公共交通の路線沿いにある商店の一画に図書館コーナーを設けていたのです。夏には少年少女たちがゴムを板に固めた回転翼の下に置かれた堅い肘掛け椅子に潜り込んでこれらの本を読みました。線路を進む赤い色の路面電車は左右に揺れ、乗客で膨れ上がってもいました。1929年には国中が破産したのでした。私たち二人はシカゴの水辺で、オールに水草が絡みつくのに苦戦しながらもボートを漕ぎ出し、キーツの書物・詩を読み合ったのでした。

<哲学的な議論も根気よく調べ、考えると理解できるはずです>

禅の考えやメルビルのモービー・ディックの話が出てくる部分の意味をしっかりと理解してみるべく原書 Page 253 の一部を取り上げます。結婚後日の浅い頃に病が再発、生死のはざまを行き来する3-4週間です。Zet はベッドに伏しています。

[原文3]She (妻の Lottie) went to the shelf and read off the titles. He stopped her at 'Moby Dick', and she handed him the large volume. After reading a few pages he knew he would never be a Ph.D. in philosophy. The sea came into his inland, Lake Michigan soul, he told me. Oceanic cold was just the thing for his fever. He felt polluted, but he read about purity. He had reached a bad stage of limited selfhood, disaffection, unwillingness to be; he was sick; he wanted 'out'. Then he read this dazzling book. It rushed over him. He thought he would drown. But he didn't drown; he floated. (Lines 1 - 8 on page 253) 
[和訳3]ロッティは書棚の処に行って本のタイトルを順に読み上げて聞かせました。彼は「モービー・ディック」と聞いて彼女を制止し、その分厚い本を受け取りました。2・3ページを読むと彼は哲学の研究を続けて博士号を取ることは止めようと決めます。あの海が彼の心の世界にやって来たのです。彼の心の世界とはミシガン湖でなる魂の世界です。これは私に、後日、Zet が話してくれたのでした。大西洋の冷たさはその時苦しんでいた高熱を癒したとも聞きました。彼は病気の黴菌に汚染されていると認識していたのですが、この本に汚れの無い世界を読み知ったのでした。彼はその一瞬前までは自分の意向は制限を受け、孤独感に襲われ、生きている意欲を喪失しといった病気の状態にいたのです。何とかしたいと思っていたのです。そんな中で心揺さぶられるこの本を読んだのでした。その話は彼を覆い尽くしました。彼は一瞬溺れてしまうかと思いました。しかし彼は溺れずに済みました。水面に浮かんでいる自分がいたのです。
[蛇足的コメント]前記「私のタオ」70-71 頁には「老子の世界の紹介」として水泳の達人として50メートルの滝に流され落ちてもやがて平然と川底から浮かび上がる男の話があるのですが、ここでの引用部分はそれを思わせます。

[原文4]The creature of flesh and blood, and ill, went to the toilet. Because of his intestines he shuffled to sit on the board and over the porcelain, over the sewer-connected hole and its water--the necessary disgrace. And when the dizzy floor tiles wavered under his sick eyes like chicken wire, the amethyst of the ocean was also there in the bevels of the medicine-chest mirror, and the white power of the whale, to which the bathtub gave a fleeting gauge. The cloaca was there, the nausea, and also the coziness of bowel smells going back to childhood, the old brown colors. And the dismay and sweetness of ragged coughing and the tropical swampiness of the fever. But also there rose up the seas. (Lines 9 - 16 on page 253)
[和訳4]肉体と血液でできたこの生き物、病気に苦しんでいるのですが、トイレに移動しました。胃腸の部分に抱える問題故に彼は便座によろけながらようやく腰を降ろしたのです。そこは瀬戸物容器の上、下方の下水配管につながる空隙とそこを埋める水もあります。嫌なものとは言え必要不可欠な世界です。病気に苦しむ彼の両目に、彼の視覚を混乱させる作用を有する床のタイル面が足元で亀の甲型の金網のように揺れて見えたときには、トイレの小物棚に備わった鏡の傾斜面取りした枠には海の色であるアメジスト色が姿を現し、浴槽の図体が一瞬、あのクジラがもつ例の白い力を連想させたのでした。喉の奥が開き、吐き気も続いていました。加えて消化器官からの出口の匂いの生暖かさはあの子供の時、茶色のものを思い出させるものでした。記憶にあるところの、気味悪い咳から感じる不安感と発熱に伴う熱帯のような高温・高湿度の不快感でした。しかし一方、それとは別に海や川も立ち現れたのでした。(和訳終わり)
[蛇足的コメント]メルビルの海や白い力の記憶に気付き哲学から詩の分野に関心を振り向けるのは前述の著作「私のタオ」にある言葉の無い宇宙に気付くことで、人はそこに言葉を作りあてはめ、人の知識に新しい領域を取り込むとする発想に相当するものだと私の興味は拡がり深まる思いがします。

<Study Notes の無償公開>

短篇 "Zetland: By a Character Witness" 一回でその全てに対応する Study Notes をダウンロード・ファイルとして以下に公開します。


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