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78回目 "Tell Me How Long the Train's Been Gone" を読む(第7回)。

第7回の今回から、この小説の最後の1/3である Book 3 に這入ります。Penguin Modern Classics Paperback 版 pages 238-304 です。


1. 主人公であり、語り手である Leo (今や 50 才直前)の記憶をたどる話、自身が 24 才の頃の状況です。

演劇団に加入が許されたものの、まだまだ研修・訓練生の身分です。アクターとは言えても名ばかりで、空き時間には West Indian 料理の店で働いています。

この頃の Leo の心の中を象徴する spiritual song として、この歌のタイトル "Jesus is a rock in a weary land" が page 263 に現れます。この歌はインターネット・サイトに多くの人によって様々な形で公開されています。その二つは次の通りです。

"Jesus is a rock in a weary land" がその一つで、教会の中で歌われるシーン。もう一つ、'Timeless Truths (Free Online Library)'と題されたサイトにはこの歌の歌詞が文字化されています。

1-1. 生活が不安定な中、両親の家に顔を出す息子 Leo を待っているのは、息子を案ずる親との口論でしかないのです。

Leo は特別な仲の Barbara と NYC の East Village に住まいして、自分たち二人それぞれが一人前と認められる日を目指し苦労を重ねています。そんなある日、父と母、そして結婚して子供もできていた、6才年上の兄とも顔を合わせるべくハーレムの家(両親の住まい)を訪れます。Barbara も同行しています。兄の Caleb は地区の教会で伝道師の地位を得て、やっとのことながら安定した生活を手にしていました。

むごい、しかしこうなるしかなかったかなという類の「言い争い」が母と Leo の間に展開します。Leo が白人の若い女性と浮ついた生活をしているとしか思えなかった母の恐怖心は極限に達します。狂ったかのように叱りつける母を前に、 Leo は母の家を飛び出すことになります。次の通りです。

[原文 1-1] 'Leo! You come back here!'
  'I will not come back here! I'm going to see my whore!'
  'Leo! Oh, Leo. What's happened to you? Why can't you be the Leo you used to be?'
  ’I will not ever again,' I shouted, 'be the Leo I used be! Fuck the Leo I used to be. That boy is dead. Dead.' And out of the door and down the steps I went.
  What a pity. What a waste. I knew, when my mother went on like that, when my mother hurt me, that she was not trying to hurt me. I knew that. And yet -- I was hurt. I was too old to be hurt, especially by my mother. I did not know -- then -- what nerve was unbearably struck in my mother by the conjunction of Barbara and myself. I wish I had known. But one of the reasons I was so vulnerable -- in those days, in those ways -- was my unspoken and unspeakable shame and fury concerning my career. I had, indeed, appeared on the professional stage, oh, four or five times, and worked with little theatres all up and down the goddamn country. I still choke on the dust of those halls, will never really recover from the stink and chill of those rooms.
[和訳 1-1] 「レオ! 出て行かないで家に戻ってきなさい!」
  「いいえ戻りません。今から、私の員売女の処に行くことにします!」
  「レオ! あゝレオ。 一体あなたには何があったのよ。 どうして以前のレオではなくなってしまったの?」
  「私は二度と以前のレオには戻りません! 昔のあのようなレオめ、もう要らないよ。あの頃の子は死んでしまったのだ。死んだのです。」と言うと私は玄関ドアを抜けて階段を下り出しました。
  なんとも悲しいことです。何と空しいことでしょう。 母があの様に叫び出した時には、母が私を苦しめた時には、その瞬間から私には母が私を苦しめようとしているのでないことは分かっていたのです。本当です。 そうでいながらも私は苦しみました。 心を痛めるような年齢、特に母に叱責され苦しむような年齢は卒業していたはずだったのです。 なぜならその時まで気付かなかったのですが、そんな母を目にしてその可能性に気付いているべきだったと後悔したのです。その時に、Barbara と私の繋がりによって、母の心中のどの神経が絶え難いまでに酷い攻撃を受けていたのか、その点への察しがつかなかったのでした。 私にそれが解っていたら良かったのにとは思います。 しかし当時の私の心も(母の叱責に耐えられる程には)強くはなかったのでした。その理由は私の職業に関して話題にする訳にも、言葉にする訳にも行かない恥ずかしさ、いらだちを抱えていたことでした。私は確かにプロとして舞台に上っては居たのですが、そう、4ないし5回は田舎の劇場、あちらこちらに出かけて行って舞台に立っていたのでした。今日になっても私は当時の環境を覚えていて、思い出す度に当時の劇場入り口の誇りっぽい空気に喉がつまるし、劇場部屋の悪臭と寒さとなると今でもその辛さを記憶しています。

Lines between line 24 on page 265 and line 8 on page 266, "Tell Me
How Long the Train's Been Gone", a Penguin Modern Classics paperback

1-2. プロフェショナルな俳優になったと言っても回ってくるのは、悲惨な役でしかないのです。

[原文 1-2] And my God, the roles I played! Roles -- roles is much to say. I made my first professional appearance, inevitably, carrying a tray. I was on for about a minute, and I had to carry the tray over to some fucked up, broken-down British faggot, who was one of the great lights of the theatre. I had to serve this zombie his breakfast about five hundred fucking times, and every single time I went upstage to uncover his eggs and pour his coffee, Britannia came up behind me and lovingly stroked my balls. Nobody could see it, because he had his wide velvet robe stretched out behind him; but he had done it in the sight of the entire audience, I don't think anybody to see. Well, I took it as long as I could -- the point is, I took it too long: and I did it, as I kept saying to myself, because I was being exposed -- indeed, I was -- and it was a Broadway show, and it would look good in my resume. The end between me and Britannia -- and the show -- came during a matinee when I reached behind me a second before he reached and pulled on his balls like I was Quasimodo ringing the bells of Nortre Dame. The mother couldn't make a move and he was supposed to be downstage to greet Lady Cunt-face who had just fluttered in; and by the time I let him go, and stumbled downstage, he looked like a tea-kettle about to whistle.
[和訳 1-2] その上、何という悲惨さ。役回りです、問題は私が演じた役です。役などとはとても呼べるようなものではなかったのです。私がプロとして始めて舞台に上ったのは、拒否できるはずもなかったのですが、食事を乗せたトレイを運ぶだけの役でした。精々、一分間の舞台でした。トレイを老いぼれ役者、英国人俳優の下種ゲス野郎のところまで持っていく役です。この劇場にとっては最もあがめられているランクにある俳優の一人でした。私はこのお化けのような役者が演じる男のテープルに朝食を 100 回も運んで行かされたのです。トレイを届ける度にタマゴ料理のフタを取り外しコーヒーを注ぎ入れたのです。この英国を象徴する女神のごとき下種ゲス野郎ときたら、その度に私の後ろに回り込んで私の金玉を撫でまわすのです。野郎が纏っている幅の広いベルベットのガウンが広がってその行為を覆い隠すもので客席からは見えません。仮に客席全部から見えたとしても、観客の誰一人としてそれに気づかなかった、あるいは問題にしなかっただろうと私は思います。人というものは目にしても自分には目にしたと騒ぎ立てる訳にいかない(力の無い)人は目を閉じるものなのです。一方の私ですが、私は辛抱の限界が来るまではそれをそのまま受け入れていました。この出来事のカギ、その一つは自分がそれを許した期間(公演期間)が長きに過ぎたことでした。もう一つは、自分がこれを許せば舞台に上がり続けられると自分に言い聞かせたことです。そうなれば自分の履歴書は見栄えすることになるのです。私とこの英国の象徴である女神との縁(共演)の終了、そしてこの出し物(公演)の終了はマチネー午後の公演の時に訪れました。この野郎の手が私の物に届く寸前に私は自分の手を自分の尻にまで伸ばして野郎の手を捕まえ放さなかったのです。私はノートル・ダム寺院の鐘を綱を引いて鳴らすカシモドーになったという次第です。ノートル・ダム役にされたこの野郎はその場から一歩も動けなくなったのでした。幕引きと同時に客席に降り立ち、舞台際までにこやかに近づいて来て待っているこの下種ゲス野郎夫人の処に行く手はずだったのですが。何とか舞台下までたどり着いたこの下種ゲス野郎は笛を吹き鳴らす寸前の薬缶そのものでした。

Lines between line 8 and line 25 on page 266, the same paperback


2. Barbara と Leo の二人に訪れた心温まる一瞬のシーンはこの小説の魅力の一つです。

この二りには、白人と黒人のカップルを不健康と考える周囲の人々がすごいプレッシャーを加え続けます。そんな中、夏も終わりのある日、午後の時間に登り始めた山、その山頂の廃屋の陰で二人だけの一夜を過ごします。

二人が交わす会話は、若者の将来に向けた不安と希望とがないまぜになった、「20 代前半の青年に特有の心境」を表すに見事です。

夏が終わると参加していたWorkshopも終了します。二人は次の住まいをどこにするかも考えねばなりません。 《注記》このエピソードは上記 1-1 と 1-2 に示したエピソードよりも3年余り遡る頃のものです。

[原文 2-1] 'I didn't say that you looked like Paul Robeson. I said that your voice is an asset, and you ought to use it. People will hear you, and that means that they'll see you, and -- well, there are other roles besides The Emperor Jones and Othello.'
  'There are? You've really been scouting around.'
  'And you could start this winter. Really, why don't you? So we'd both be working--'
  'You have a job lined up for this winter already?'
  'No. But I've heard of a couple of things. I was going to go down to the city next week to -- to investigate. You know, this is August. The summer's almost over.'
  'I know.' For no reason at all, I thought of Dinah Washington, singing Blowtop Blues.
  'And I know you've been practicing the guitar. And there are places in the Village where you could start out. Oh, you know, there's that West Indian restaurant. I bet they'd be glad enough to have you start out there.'
[和訳 2-1] 「私はあなたがポール・ローブソン」に似てるとは言ってません。私が言いたいのは、あなたの声があなたのすばらしい財産だ、使わずにおく手はないよということなの。人々は魅せられるはず。そうなれば人々はあなたの姿も見たいと思うはずです。 そうね、皇帝ジョーンズとかオセロの役ではなくて、あなたが演じるのに向いた人物はきっと他に見つかるはずよ。」
  「そんなのあるって本当かな? あなたは既にスカウト業も遣っているんだね。」
  「それから、この冬には役者業を開始できるのよ。本当よ、出来ない理由なんてありません。私たち二人して仕事を始めるのよ・・・」
  「あなたは、冬の仕事の契約を既に勝ち取ったというのですか?」
  「いいえ、そうではありません。しかし幾つかの当てはあるわよ。来週にニューヨーク市にまで出かけて、調べてくるつもりよ。今は8月、夏は終わりよ。
  「そうだね。夏は終わるね。」と私は答えたが、その時どういう訳かダイナ・ワシントンの歌が、Blow Top Blues の歌声が頭をよぎりました。
  「そう、あなたはギターの練習もしてるよね。ヴィレッジ地区にあるお店を知っているのですが、そこならあなた仕事がもらえると思うよ。知っているでしょう? あの西インド諸島系の料理を出すお店。あのお店ならきっとあなたを喜んで受け入れてくれるし歌も歌わせてくれると思うよ。」

Lines between line 29 on page 278 and
line 15 on page 279, the same paperback

[原文 2-2] 'If they want people to sing West Indian songs, why would they come to me? I'm not West Indian.'
  'Oh, Leo, you are, too. You're part West Indian. You're just putting up objections so I can knock them down. I know you. It's a damn good idea, and you know it.'
  I had thought about it before; I began to think it again. 'Maybe.'
  'You could be the singing waiter.' She laughed. 'You'd be a tremendous drawing card.'
  I thought, it's true that I have to start somewhere. I said, 'I'm not ready to start singing in public yet.'
  'But, Leo, the whole point of starting out in a place like that is that you haven't got to be ready. They'll think you're doing it just for fun. But that's how you'll learn.
  'And I can just see me, twenty years from now, playing my guitar all over the Bowery.'
  'You will not. You'll use it to get what you want.'
[和訳 2-2] 「そのお店なら西インド諸島の人たちの歌を望んでいるだろうから、私に興味を示すだろうか? 私は西インド諸島系ではないのだよ。」
  「レオ、あなただって西インド系とも言えるのよ。 少なくとも何分の一かはね。 あなたは私が考えたやり方を引っ込めさせる為の屁理屈を言っているだけだわ。 私はあなたのことを良く知っています。 私が言ったのは本当に賢いアイデアです。自信ありです。
  実のところ、私も一度は考えたことがあったのです。この時改めて考えて見ました。「そうね、いいかもね。」と頷きました。
  「あなたなら歌も歌えるウェイターができるでしょう。」と彼女はにっこりしました。「あなたは、思いがけない程の当たり籤かも知れないよ。」
  私には彼女が言う通りどこかに働き口を見つけないといけないとは思っていたのでした。 「しかし人前で歌うには早すぎるよ、まだまだ。」と私は尻込みしました。
  「しかし、考えて見てよ、このような店で働くというのは、ここが大事なところですが、あなたはまだ訓練が足りていないからこそなのよ。お店の人やお客は趣味でやっているのだと思ってくれるはずよ。 そこで経験を積むのをあなたの狙い・作戦と考えるべきです。」
  「そうはいっても、私にはその後 20 年経ってもそのお店の近辺、バワリー界隈でギターを鳴らしている自分の姿が眼に浮かぶよ。」
  「そんなことありません。あなたは自分が目指している地位をつかみ取るためにこの機会を利用する(タイプの、能力を秘めた)人間です。」

Lines between line 16 and line 32 on page 279, the same paperback


3. 人たるものの生き方について Leo と その兄Caleb は、夜を徹して議論します。

Caleb は第二次大戦に出兵、イタリアで終戦を迎えて帰還、それから 3 年を経て、今では妻と子の家庭を教会で牧師の補佐をして支えています。

この議論にあっては、互いの主張の根拠をここまで丁寧に説明しあう、議論は延々と続きます。293 ページに始まった議論は 303 ページに至っても、まだ終わりそうにありません。

教会の伝道師の一人である Caleb は役者となったものの「これ以下の役はないという端役」を見つけるのが精々の弟 Leo を、その生き方は誤っているとあの手、この手で責めまくります。

このような説教をされると普通の人なら宗教に絡め捕られるのも当たり前と思えるまでに「見事な働きかけ」です。

《注記》ここに引用しませんが、Leo がこの兄に対抗するに繰り出す理屈は、Caleb による働きかけ以上に見事なものです。

[原文 3] 'Yes, we have to find our way out of the prison of the self,' said Caleb, 'we have to release ourselves from all our petty wants, our petty pride, and just see that the will of God is far beyond us -- like King David said, Such knowledge is too wonderful for me -- and just surrender our will to His will.' He smiled a ruined, radiant smile. 'We know He'll always guide us right. He'll never let us be lost.' And then his face became both tender and austere, at once old and young. 'Until that day, Leo, the soul is a wanderer and it has no hope and can find no peace. I know. I moaned and I moaned. I moaned all night long -- you remember that song, Leo?'
[和訳 3] 「我々誰もなのですが、自分自身を縛っている檻から抜け出す方法は自身で見つけるしかありません。 私たちは、自分自身を安っぽい欲望、安っぽい虚栄心から自由になり、そして私たちより遥かな上方に、高い所に神の意思が存在していることに気付くべきです。それはダビデ王が『その知識のすばらしさとなると私などのそれに比べようもありません。』と語った通りです。 そして私たちは自分の意思を神の意思に差し出すのです。」とカレブは話すと、作為的な、矢を射るような笑みを私に向けました。「私たちには神がいつも正しい道に私たちを導いてくれること知っています。 神が私たちに道を誤まらせることは決してありません。」と続けました。 するとカレブの顔はようやく穏やかで自然なもの、そして老けていて、同時に若くもある風を呈しました。カレブは続けました。「人の魂は、そのような日が来るまでは放浪者そのものです。 レオ、聞いているかね。 そんな状態では希望は持てないし心の平穏も得られません。 私の知っている歌があります。『私は苦しんだ、私は苦しんだ、私は一晩中ずっと苦しんだ。・・・』という歌です。 あなたも覚えているでしょうか?」

Lines between line 20 and line 29 on page 302, the same paperback


4. Study Notes の無償公開

今回投稿の読書対象である、原書 Pages 238 - 304 に対応する私の Study Notes を無償公開します。A-5 サイズの用紙に両面印刷・左閉じで A-5 サイズの冊子が出来上がるように調製しています。

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